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3.


固唾を飲んでゾロが返答を待つ間、男は数瞬虚を突かれたように表情を凍りつかせたかと思うと、すぐに思案気に眼を細めてじっとこちらを見つめてきた。
瞳の色をそのまま体温に表した様に冷たく白い掌に、頬をそっと包み込まれる。

「……“ロロノア・ゾロ”この名に聞き覚えは?」
「俺の名だ」
「……転倒した際に頭を打っての記憶喪失、ってわけでもどうやらなさそうだね…。あんたの質問に答える前に、あんたのことを少しだけ聞いてもいい?」
「…ああ」

頷くと、頬から掌が離れていった。
代わりのように手首を引かれ、導かれたベッドへと共に腰を下ろす。

「あんたの生業は?」
「剣士だ。仲間と共にグランドラインを航海している」
「…船で旅をしてる剣士さんなんだね。あんたが俺と間違えたっていう男も、もしかして仲間の内の一人?」
「ああ…船でコックをしている」
「顔が似てて、職も一緒か…不思議なモンだな。剣士さんにとって、そいつの作るものは美味しい?」
「…どうだろうな。美味ぇんだろうけど、よくわからねぇ」
「…あんまり、仲良くないんだ?」
「……男は塵みてぇな扱いしかしねぇ、女尊男卑も甚だしい女好きコックだからな。仲良くなる余地が無ぇし、あっちも端からそんな気無ぇよ」

一寸自分たちは海賊なのだと訂正したものかと逡巡したのも忘れて吐き捨てるようにそう答えると、男が小さく苦笑して言った。

「そっか…だから俺が抱いて運んでたときに、あんなに激しく拒否られちまったんだね…」
「あっ…悪い。……間違えちまって言うことじゃねぇかもしれねぇが、似てるのは姿形だけで、中身は全然違う。お前は…」
「…俺は?」

途切れた先に続く言葉を、穏やかな眼に促されて。

「……お前は、優しい」

素直に答えてしまってから、ゾロはどうしようもなく面映くなって耳朶を染めて唇を噛み締めた。
何を言っているのだろう、自分は。
どんなに顔が似ていても、相手は出会ってまだ僅かの赤の他人だというのに。
この男のことなど、まだ何も知らないというのに。

「ありがとう剣士さん。俺、そんなこと言われたの初めて。…ねぇ剣士さん、旅する剣士さんの目指す先はどこ?」
「大剣豪…そう呼ばれている男の居る場所が俺の向かおうとしている場所で、そいつを倒してそう呼ばれる存在になることが、俺の野望だ」

大剣豪と口にした瞬間、倒すべき男の姿が鮮明に脳裏を過ぎった。
己の血肉が引き裂かれる感覚も、男の言葉も、新たな誓いも、流した涙も。
いつまでも焼きついて離れない、薄れることを知らない、激流のような光景と感情が渦を巻いて己を満たす。
一度意識すれば覚えずにはいられない焦燥が噴出しそうになって、ゾロは腰に下げた刀の柄をきつく握り締めた。
静かに自分を見守り、尋ねてくる男の声が、穏やかに耳朶を打つ。

「…そいつは、グランドラインのどこかに居るの?」
「…恐らく。暇が嫌いな性質らしいから、一つ所に定まらずにフラフラしてて、居場所を探し当てるのは容易じゃねぇが」
「そう…。残念だけど、ここはあんたが察してる通り、グランドラインじゃない。ここはニホンという国の小さな山村で、俺はここで喫茶店を営んでいるサンジというんだ。野望を持ってるあんたが自らの意思でここに来るとは俺も思えねぇし、できることならグランドラインまではこう行けば着くと教えてやりてぇ。けど、グランドラインと呼ばれる場所自体がこの世界には存在しねぇ以上、俺にはどうしてやることもできねぇんだ。…ごめんね、役に立てなくて…」
「…っグランドライン自体が存在しないだと!?そんなバカなことがあるはず…っ」
「落ち着いて…。“この世界には”って言ったろう?あんたの生きてきた世界には当たり前に存在していたものが、こちらには無いということは、決して稀なことではないよ」

思わず噛み付くように食ってかかった肩をやんわりと抑えられ、諭すように言い聞かされる。
何もかも得心しているかのような言い草に、ゾロは険しく睨みつけていた双眸から僅かに力を抜いた。

「…どういう意味だ」

低く尋ねたゾロの眼は、自分では気づいていないが、激っした余韻で紅く潤み、ともすればまるで今にも泣き出しそうに見えた。
男は痛ましげに眼を細め、宥めるように背を撫でながら、静かに言葉を紡いだ。

「…世界は一つきりでは無いんだよ。自分が今いる世界ばかりが全てだとつい錯覚してしまうけれど、そうじゃない。俺が住む世界とあんたが住む世界が同じようでいて全く違うように、無数の世界が均衡しあい、尚且つ互いの世界が交わりあうことは無く、それぞれに異なった世界と環境でそれぞれの生を営む生き物が居るんだ。そしてその無数の世界の中にはね、異なる世界同士だからこそ、自分にとっては当たり前にあるはずのものが無かったり、或いは同じ顔で同じ名前で同じ魂を持つ人間が同時に存在することもある。例えばこちらの世界にグランドラインが無く、あんたの世界に一見俺と全く見分けがつかないほどによく似た奴が居るようにね。そいつの名前は、俺と同じサンジという名前だったりするんじゃない?」
「…当たってる…」
「だろう?…こっちの世界にもね、あんたと名前も顔も全く同じな人が居るよ。最初は、あんたを抱いて歩いていたときの反応とあの人が俺に対して取るだろう反応があまり変わらなかったからなかなか気づけなかったけど……でもこうして話してると、やっぱり違うんだなってわかる。俺がこんなに傍に座っていても、あんたは嫌そうな顔をしない。ちゃんと会話をしてくれる。俺の声に耳を傾けてくれる。俺が触れても―――」

ふいに言葉をとぎらせた男が、背を撫でていた掌はそのままに、そっと反対側の手でピアスの耳朶に触れてきた。
反射的にヒクリと首が竦む。
冷たい指先に耳朶を揉まれ、ピアスが男の掌の中で涼しげな音を立てる。
耳の中に潜り込み、戯れに擽ってくる親指が、耳朶を舐る舌の動きを髣髴とさせて。

「……っ」

ぞわぞわと駆け巡ったむず痒い痺れに、ゾロは思わず息を詰めて肌を粟立てた。
耳は弱いのだ、どうしようもなく。
熱くなる頬を見られたくなくて顔を背けても、身を捩っても、近距離に相手が顔を覗きこんでくるため、意味を成さない。
ならばと耳朶から手を外させようとするも、力が上手く入らない。
どころか、いつの間にか正面から抱き締められるようにその胸に囚われている自分の状態に気づいて、ゾロは一瞬たりとも見逃すまいというように執拗に見つめてくる男を睨みつけた。

「離せ…っ」
「……嫌」
「っ…!?」
「…本気で離して欲しかったら、あんたは俺が触れた時点で俺を殴ってでも引き離してる。嫌悪の眼で睨みつけて、同じ空気なんか吸いたくねぇって面して出て行く。でもあんたは、俺が触れても嫌悪して振り払ったりしなかった。真っ赤になって蕩けた眼ぇして、離せって言いながら、身体から力抜けちまってる。こんなに可愛いあんたを自分から離すなんて、そんな惜しいこと絶対できねぇ…」

切々とした囁きを吹き込まれた耳元に、温もりが押し付けられて。
それが男の唇だと思い至ったときには、お気に入りの縫いぐるみでも抱くようにぎゅっと強く抱きすくめられていた。
合わさった胸から、誤魔化しようも無く速い男の鼓動が伝わってくる。
ゾロは茫然としながらも、もしやと閃くものがあった。
逃すまいとでもいうような拘束の強さ。引き離さないでくれとしがみつき、懇願するようなその必死さが示すもの。

「…お前、もしかしてこっちの世界の俺のこと…」

呟きかけた言葉を、男の人差し指が遮った。
言うなというように首を振る男の顔は見えないが、覗き込もうとすることすら拒む硬くなさに、二の句を告ぐことへの明確な拒絶の意志を感じ取る。
ゾロは口を噤み、ぎこちなく男の背に腕を回してポンポンと撫でてみた。
傍によることを嫌がられても、まともに会話ができなくても。
似ているだけの自分にすら本気で心配して怒鳴り、別人とわかった後も頭がおかしいと呆れて投げ出すことなく優しく話を聞いて受け止めてくれた男だ、想い人の本人にはもっともっと温かな想いをいつも注ぎ続けてきたのだろうに。
どんなに想っても男同士では想いが報われる方が稀で、自分とあの男のように閉鎖的な船の上という特殊な環境におかれて必要に迫られでもしない限り、身体を繋ぐなんて以ての外だ。
惜しみない優しさばかり垂れ流して、それが受け入れられることも報われることもなく、友人としてすらつきあえずに過ごすことがどれだけ苦しいことなのか、自分は想像すらつかない。
それでも、こんな風に触れて抱き締めたい想いをもうずっとこの男は耐えてきたのだろうかと思うと、何故かしら物悲しくなるような、胸が疼くような心地になるのだった。

「……俺は、身代わりはできねぇぞ」

俺だったら……と欠片ほども思わなかったかと思うと、それはきっと嘘になるけれど。
抱き締めてくる腕が真摯なほどに、身代わりにされるのはもうたくさんなのだと軋んだ悲鳴を上げる自分が居るから、ゾロは敢えて釘を刺すようにそう言った。
肩に顎を乗せた男が、静かに首を振る。

「…身代わりなんて、ない。どんなに似てても、あんたはあの人じゃない。手に入らないからって身代わりを求めるほど、俺は愚かじゃない。…あんたを見て話してるとね、触れたくて堪らなくなっちまうんだ。いつまでも腕の中に閉じ込めて、うんと甘やかして、溶けるほど愛したくなる。あんたが今本気で嫌がって俺を引き離したとしても、俺はまたすぐに我慢できなくなってあんたに手を伸ばしちまうと思う。…俺は、あんたが嫌がらねぇから触れてるわけでも、似てるから離したくないわけでもねぇんだよ」

肩から重みがすっと消えて。
真摯なアイスブルーの眼に、じっと瞳の奥を覗き込まれる。

「…俺は今、あんたに触れてぇんだ。あんたっていう人間に。それだけは、信じて」

熱い、真摯な言葉の渦だ。
本当にこれが自分に向かって言われたものだなんて、誰が信じられるだろう。
触れたい?想う相手でなく、身代わりでもなく、この自分自身に?
腕の中に閉じ込めて、甘やかして、愛したいとも言ったか?
それは…そんなのは、自分が聞かされていい言葉じゃない。伝える相手を間違えている。
触れたくなるのだと、それを伝える以外に男に他意などないとわかっているのに、まるで愛情でも告げられたような錯覚を引き起こす言葉は…そんなものは聞かされても惨いだけだ。
ゾロは眼を見返していられなくなって顔ごと視線を逸らした。
耳が熱い。眼の奥も、熱くなってくる。

「剣士さん……」

逸らした頬に温もりが触れて、ゾロは堪らず眼を瞑った。
酩酊にも似た眩暈がする。こんな優しい熱など、知らない。与えられたことなど無い。
閉じた目尻が薄く濡れそうになった、そのとき。

「サンジさーん!お客様ですよぅ!ロロノアさんがいらしてますよぅ!」

突然階下から上がった呼ばわる声に、ゾロはハッと眼を開けた。
同じくハッと瞠目して身を固まらせた男と、思わず眼を見合す。

「……呼んでる」
「…ああ」
「……行けよ。待ってんだろ」
「………そうだね」

深い溜息を堪えるように呟いて、男が抱擁を解く。
温もりが離れた身体が急な冷えを覚えて、ゾロは自分の身を抱く代わりに刀の柄を強く握り締めた。
名残惜しくなんて、ない。
男に抱き締められることなど、そんなことは少しも望んじゃいない。……けれど。
想い人のことで既にきっと頭も心もいっぱいになっているだろう男の顔を見ることは何故か躊躇われて、手持ち無沙汰に絨毯の床へと視線を落とす。
自分はここにずっと居ていいのか、それとも出て行ったほうがいいのか。
男が寝室を出て行く前に聞かなければいけないのに、それを問う唇も凍りついて動かない。

「…すぐ戻ってくるから、ここで待っていて。絶対、どこにも行かないでね?戻ってきたら一緒にお茶を飲もう」

頭上から振ってきた声に、ゾロはハッと男を見上げた。
柄を握り締める手をそっと包んできた男が、ね?と念を押して眼を合わせてくる。
反射的に頷くと、男は優しい眼をして笑みを浮かべ、「約束ね…」と囁いて寝室を出て行った。




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