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二位:ゆきじ×志麻



―――

がたり。

小さく聞こえた物音に、鏑木志麻は動かしていた手を止めた。
その視線を仕切られていない隣の部屋に向け、すうと少し息を吸って、聞こえるように、声を発する。

「おはよう、ゆきじ」

そう大きいわけでもないが、聞こえる程度に張られた声に、挨拶をかけられた相手、蓋見由岐路は寝起き故の掠れた声で眠たそうに返す。

「…うん」

ただそれだけではあったが、起きたことを確認できたため志麻は包丁と手元の調理中のものに意識を戻す。ゆきじは寝起きはあまり良くないが、起きてしまえば二度寝はしないタイプだ。少し待てば完全に覚醒したらしく、普通の足取りで近付いて来る。

「おはよう志麻」
「おう。顔洗ってすずな起こしてきて」
「志麻が行ってよ」
「弁当作ってんだろうが」
「はいはい」

面倒臭そうに洗面所に向かうゆきじに志麻は弁当を詰めることに集中する。
志麻がこの蓋見家に泊まった日は弁当をつくる、という決まりができたのは約一年前、すずなが手作りの弁当が食べたいと言ったときだった。あれから一年かなどとは考えないが、その分慣れた手つきで弁当を詰め終えると戻って来たゆきじを見とめる。

「あ?すずなは?」

しかしその後ろに付いてこない妹に眉を寄せて問う。あれはゆきじと違い、きちんと起こさなければ起きないタイプだ。面倒臭がって適当に起こして来たんじゃないかと思い半ば非難するように言えば、ゆきじはそれをわかりながらも流して、テーブルについて手に持っていた小さなノートを

「今日は一限休講なんだって」

などと言いながら適当に放った。
受け取ったそれ…すずなのスケジュール帳には赤い文字で「一限休講!」と書き込まれていた。

「なんでこういうとこだけしっかりしてんだよ…」

ため息を吐きながら弁当と同時進行で作っていた朝食を出し、定位置に座り手を合わせる。それにゆきじが続いて「いただきます」と言って朝食をとる。

そんな風に一日が始まるのは、そう珍しくはなかった。




「おっはよー鏑木ー」
「あー。はよ、山井」

少し遠くから聞こえた慣れた挨拶に、志麻は声の主を見つけて挨拶を返す。それと同時にゆきじが眉を顰めたのは、気付いたが知らないふりをした。この友人がもう一人の友人をあまり好いていないのは知っているため、あまりつっこまないようにしているのだ。

「蓋見くんもおはよー。てか、今日は雨じゃないのに一緒?」
「泊まったからな」
「また!?ずっるい!」
「知らねーよ」

ぎゃあぎゃあと朝一番だというのに騒がしく喚く山井に対応する志麻。ゆきじは、これも慣れきってはいるのだがため息を吐いて、いちいち構うなっつの、なんて思った。面白くないのもあるが、何より迷惑だ。自分に。授業へ行く足を完全に止めてしまっている志麻に、頭の中で文句を並べたてつつゆきじは片手をすっとだし、志麻の脇腹を軽く掴んだ。

「っぎゃあ!?」

思わず叫んだ志麻は後退し、顔を赤くする。登校中ということもあり、周りにはそれなりに人が居る。少しだが集まってしまった視線に志麻は俯いてゆきじの背中をグーで叩いた。力はそう籠っているわけではないが、恨みは籠っていた。

「おまえホント…まじでやめろ」
「無駄話してるからでしょ。行くよ」

ものともせずに歩くゆきじには通じていないらしいが。否、通じていながら無視されたというのが正しい。
取り敢えずこれ以上話していたら普通に怒られそうなので山井に別れを言ってついて行く。

おとなしく横に並ぶように駆ける志麻と、文句を言いながら置いて行くことはないゆきじを見ながら、山井は呟いた。

「相変わらず夫婦だなー」

もちろん二人には聞こえていないが。

「お前はさ、いつも思うけど、俺がくすぐったいのダメって知ってんじゃん。なんでああいうことすんの」
「知らないよ。お前がだらだら喋ってるからでしょ」
「だから、口で言えばわかるだろうが」
「イラついたんだよ」
「はあ?」

面倒臭そうに言うゆきじに疑問を口にして返せば、ゆきじは何度目にもなるため息を吐きつつその視線を、志麻の脇腹に向けた。そして、

「ていうか志麻、やせたでしょ」

教室に到着して中に入りながら、さらっと言った。早めに来てはいるが多くの生徒が居て喧しいため、注目されることはない。ただ友人に挨拶しながら入る中、後ろからむけられるじとりとした視線に気まずいのは図星だからである。
適当に挨拶をしながら教室の一番前の席に座ると、ゆきじはわざとらしく息を吐いた。

「昨日から思ってたけど、掴んだら薄いんだから」
「普通はんなの掴んでもわかんねーよ…」
「わかるんだし、事実なんでしょ」
「…最近ちょっと忙しくて」
「体調管理おろそかにしてるの?珍しい」

出来る限りのことはしてるよ、と言い訳臭く言う志麻に、これは怒られると思っているんだろうと予想する。志麻は意外なことに怒られることを苦手とする。優等生で怒られたことがないからだとか、そんな理由ではなく苦手なんだそうだ。バカだよなと思いながら手を伸ばせば一瞬強張る身体。それを気にせずに頬を抓ってやると、困ったような非難するような微妙な視線が送られた。

「んだよ…」
「今日、バイトだよね」
「は?」

しかし突然の質問に首を傾げる際にそれは霧散する。ゆきじは同様に頬から手を外して教材を準備しつつ視線だけを志麻に向けた。

「夕飯作っとくから、うちに帰って来い」
「え?…二日連続になるけど」
「今更何言ってんの」

くすりと少しだけ微笑んだゆきじに、それもそうかと思いつつ志麻は頷いた。
放課後の予定が決まってしまって前に視線を戻すと、既に来ていた碓氷雅教授と目があった。その目がなんとなく気に障って「なんだよ」と志麻が言うと、彼はいやと視線を外し、苦笑いを浮かべた。

「相変わらずイチャラブしてんなと思って」
「いいオッサンがイチャラブとか言うな」
「先生気持ち悪いです」

言われた通り塾講師のバイトを終え、志麻は蓋見兄妹の住むマンションに帰った。合鍵は元々持っているためインターホンだけ鳴らし勝手に鍵を開けて入る。

「おかえり」
「おっかえりーしましま!」
「おう、ただいま」

当然のように掛けられた言葉に簡単に返し、手を洗って食卓につき、志麻は一瞬黙って食事とゆきじを見比べた。思ったよりも豪華な食事がならんでいるテーブルのいつもの席に座るゆきじは別段いつもと変わらない。

「…すごいな」
「ちゃんと全部食べてよ」
「わかってます」

気を遣ってくれたのだろうことに、口に出さないまま感謝を感じつつ手を合わせて食事を始める。酒の缶を開けたのは次の日が土曜だからだ。きっと最初からそのつもりだったのだろう、料理には肴になるものが多かった。

時間にして約四時間。

ゆきじは思った。

(疲れてるからか、結構早かったな)

食事を始めてから四時間と少したった今、寝てはいないが自分の肩に凭れかかって黙っている志麻を見下ろす。すずなは先ほど、志麻がこうなる前に潰れたのを隣の部屋へ運んだので、この部屋には二人だけだ。というか、基本的に志麻はゆきじと二人、ないし碓氷教授と三人であるとき以外にこうして酔いで気を抜くことはない。信頼されていることに嬉しいと思う一方で、それだけ他人に気を遣っているんだと思う。すずなくらいにならば気を抜いてもいいと思うのだが、言ったところでそうはしないだろう。同じ学年であってもすずなの方が年下だということをいやに気にしているのだ、このバカは。

「志麻、寝る?」

ため息を漏らしつつ声を掛けると無言で首を横に振る。

「志麻。何かあるなら聞くよ」
「…ない」
「ホントに?」
「うん」

その返答に嘘ではないと判断しゆきじは普段自分よりも少し高い位置にある頭を軽く叩く。

「そんな疲れるまで頑張んな」

嘘を吐かれればわかる。何もない、という言葉が本当な以上、本当にただ疲れているだけなのだろう。ここのところバイトに授業、学内・学外のイベントの実行委員への参加など働きまくっていたツケが回って来たといったところか。そういうことが好きなのも知っているが、隣で見ていてこいつは働かないと死んでしまうのかとしばしば思わされる。頼まれごとを断るくらいの度量は持てよ、と思ったのはしばらく昔のことだ。断れるのに断らないのがこのバカだとわかってからは、そうは思わない。

「…ゆきじ」

いろいろと考えながら頭をぱすぱすと叩き続けていると、小さく声がかかる。咎めるようなものではないためどうしたのかと問うと、志麻はふいと顔を上げて言った。

「ありがとな」

笑顔でもなんでもないそれは気の抜けきった様子が見てとれて、ゆきじはもう一度だけぺし、と頭を叩いた。

「はいはい」

すっかり寝入ってしまった志麻に、肩がこりそうだと思いながらも一人晩酌を続けていると、先ほどすずなを連れて行った部屋のドアが開いた。首を向けずに視線だけをそちらに向ければ、特に驚いた様子もなくひょいと目の前にしゃがみ込む。

「…寝てるの?」
「うん」

質問に肯定を返せばすずなはゆきじをじっと見て、もう一度志麻に向いた。

「やっぱり結婚すればいいのに」
「それはもういいから」
「でもしましまは、ゆきじじゃないとダメだよ」

当然のように言い切るすずなは志麻を見る。

確かに安心しきったように眠っている志麻が、こうして肩を借りに来るのは自分だけだ。それに優越感を覚えないわけではないが、それと同じくらい、バカだなと思う。

「…ま、これから先そういう相手が現れなければ俺が貰うことにするよ」

ため息交じりの声に嬉しそうに笑ったすずなに、ゆきじも小さく微笑んだ。



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