カーテンから差し込む光に目を反らすように、毛布を被れば、突然伸びてきた手に引き剥がされた。
「由貴〜起きなさい。早く起きないと変身出来ないぞ」
ガバッと身を起こすと部屋の時計は7時を回っていた。
「ちぇーい!何で起こしてくれないの」
慌てて制服に着替えて、階段を掛け降りると、母が朝食を作りながら呑気そうに声を掛ける
「うふふっパパ最近由貴が構ってくれないから、拗ねてるのよ」
「だって由貴、最近すっかり可愛くなっちゃって、パパ心配で」
「だって〜真栗くんとねぇ」
意味ありげに腕でこづかれると聞こえないフリをして、逃げる。
「ええ?うわぁ髪も跳ねたまんまだ。洗面台使うよ」
ここで捕まると長くなるのは解ってる。
「あ、由貴!ちゃんと呪文を唱えるんだよ」
ひらひらと手を振れば了解の合図。
誰でも一度は唱えたことのある魔法の呪文。
心の中でいつも真栗の隣をイメージする。
鏡に向かって、大きく深呼吸。
「マインドオラクルジェネレーション」
唱えなれた呪文を呟けば、スイッチが入る。
洗面台に広げられた色とりどりの化粧品を手慣れた手つきでこなしていく。
アイラインは目を縁取っていき、アイシャドーは春の新色を取り入れた。
ビューラーで睫をあげて、マスカラを塗っていく。桜色のリップは仕上げにひと塗り。
念入りに髪をブローして、まだ結びなれない真栗のりぼんをキュッと結べば、
一ノ宮由貴からまおらに変身する。
まおらはあいつの隣にいる為だけに産み出された姿。
十年越しの恋が成就して、本当はもう必要がないのかもしれない。
意地になってるって?
そうかもしれない。
だけど、
「おおっまおら!相変わらず別嬪さんだなぁ流石オレの娘」
「まおちゃん、お弁当持った?今、車を出させるわね」
「パパ、ママ!ありがとうっ。行って来まーす♪」
家族の中でもこんな感じに馴染んじゃって、消えはしない。
車に乗り込むと、フロントガラスに頭を寄せると、反射して写し出されたのは、どこからどう見ても女の子。
服も靴も鞄もレディースがほとんどでメンズなんてちょこっとしか持ってない。買い物してるときもまおらに似合う服を探してしまう。
由貴よりまおらでいるときのが楽だし、女装することにも苦痛にも感じない。
可笑しいかもしれないが、まおらにとっても由貴にとっても自然体で……。
校門横に車をつけると、ツカツカとと足を早める。
目的地は講堂裏の古井戸。いつも真栗と何かあると、王様の耳はロバの耳のように不満をさけんできた場所。
まおらがこんな風になったのもぜぇーぶバカまぐのせいっ。
大きく息を吸い込むと、思いっきり叫んでやった。
「臆病ー待たせすぎー自惚れ屋ー責任取れぇー辻宮真栗!」
井戸に反響した声が何重にも響き渡る。
ひと呼吸おいて、息を整えると、後ろから伸びてきた手が、いきなり体を包み込む。
「何の責任だ?」
耳元から聞こえてきたのは、聞き慣れた甘い声。
「なっなっなっなぁんであんたがここにいるのよ」
振り返って文句が言いたくても、しっかり腰元に手が回されていて、振り返れない。
「なんでってまおらに会いたかったじゃダメか」
真栗は付き合い始めてから、人目の付かないところでは、こうやってまおらに触れるようになった。
髪をすく手つきが、
腰元に触れられている手が、
妙にくすぐったくて、落ち着かない。
顔に血液が集まっていくのが、自分でも良く解る。
「だから、TPOってもんが……」
体をバタつかせると、真栗は耳元にくっつくくらい口元を寄せた。
「やめてもいいんだぞ」
「へっ?」
「女装。オレはもうまおら以外目に入らんじゃけえ。どんな姿でも好きだって言える。だから…」
いつもの甘い声が低く掠れて、言葉が頭の中で何度も何度も繰り返される。
ずっと欲しかった言葉をこんなタイミングで云うなんて、ズルい。
でも、でも、でも!
「まおら?」
黙りこくったまおらを心配して、真栗は体を正面に向かい合わせた。
「まおら?」
抱きしめられて、
額合わせて笑いあって、
手を繋いで、
変身しなければ
まおらにならなければ、なかったかもしれない。
大切な僕の半身……。
「いやだよ!女装はまおらの誇りだもん。真栗が好きでまおらが産まれたんだよ。そう簡単にやめらんないっ」
思いっきり啖呵切ったら、口から出たのは物凄い言葉。
今更口に手を当てても、時間は巻き戻ってくれなくて、真栗がみるみるうちに表情が歓喜の色に変えていくのが解ってしまう。
「めちゃくちゃ好きじゃけえ。まおらぁーー」
「にょわっ〜〜やめろぉ。バカまぐっっ」
頬には何度もキスが送られ、体は手加減なしにきっつく抱きしめられた。
大型犬にのしかかられている気分になる。
「ちょっとぉ〜苦しい」
「……由貴は好きか?俺のこと」
「っばかあ。ズルい、反則!そんなこと聞くなー!」
いきなり名前を呼ぶなんて、反則。ドキドキが止まらない。
「わぁ真栗とまおちゃんだ。ラブラブだね、潮」
「くだらない」
「まおちゃん、良かったね」
「……ああ」
たった一言で変われる魔法の呪文
かけたのはあなた
まほうの呪文
080305
080308
END
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