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*この手をすり抜ける



  02 愛してる



今朝、偶然階段ですれ違えた想い人の「おはよう」の一言。
それが一日中彼の中で何度も繰り返されていたことなど、誰が知っていただろうか。

窓際の席に座りながら、茂吉は考えていた。恋とは何事かと。なにをするにも、恋しき人が頭に浮かぶ。

今、何をしているだろうか。

何を考え、思っているだろうか。

好きな人はいるだろうか。

自分は、どのように映っているだろうか。

想えば想う程、充実感と焦躁に襲われて、次第に恋は憎いと感じるのだった。


「オイ、茂吉!次体育だろ?!早く着替えないとやばくねぇ?」
そう声を掛けたのはクラスメートだった。春を待つ野花が咲いた温かな風景を見ながら動かない茂吉を気に掛けたらしい前の席の彼は、ロッカーのジャージを指指し顔を強張らせる。

教室にはまだ20人前後の生徒がありながら、時間は5分を切っている。時計を流し見て、親切な彼にお礼を言うと、茂吉は漸く我に返った。


背を押されながら履いた靴が、廊下に音を響かせた。




徐々に春に向けて力が入っていたバスケ部に、安心していたのは茂吉だけではなかった。

冬の寒さのお陰で早々と練習を切り上げていた彼らにとって、少しでも温かい環境は有り難かった。


そんなこととは裏腹に、練習後の居残り中、茂吉はなんとなくぎこちない動きの空に不安を抱いていた。
シュートは入っているのにフォームが崩れ、あのパスに追いつけた筈の素早い反応でさえ、ままならないでいるのだ。
ほんの1時間半前に、茂吉には心配そうに見つめていた七尾が思い出されていた。


「車谷くん!」

思わず何も考えずに叫んでしまったその名前に、彼は振り返った。叫んだ本人すら、何が起きたのか分かっていない。
「…どうしたの?モキチくん」
小さな、声だった。

締め付けられるような思いが茂吉を襲った。

逆のコートからゆっくり歩いていき、少し間をおいて空の前に立つ。ボールを持ったままの小さな彼は、少し驚いたように茂吉を見上げた。

「無理しちゃだめだよ」

今朝の笑顔はどうしたの?の一言までは出なくとも、茂吉はなんとか空を理解しようと精一杯だった。

「どうして、分かっちゃうのかなぁ…」

無理に和らげられる笑顔があった。

「分かる。君のこと、毎日見てきたから」
その茂吉の発した一言が、彼の何を揺るがせたねか、抱えられていたボールがテンテンと転がり、静まり返る体育館に響き渡った。

俯き加減の小さな頭が動かなくなった。茂吉は、無性に彼を腕の中に包み込んであげたいと、素直に思った。

自分には、正直彼に何が起こっているのかはわからない。それでも、確かに何かに傷付き戸惑っている。

守ってあげたいと、守ってあげなきゃと、思う程どうしたらいいかわからない。
押さえ付けられた愛は
どこに行くのか。

捧げられない愛を
どうしたらいいのか。


「帰ろう。休んだ方が…」
その瞬間、茂吉の差し出された手が避けられる。一瞬茂吉は目を疑ったが、確かに避けられていた。

「…モキチくんは優しすぎるよ」
いつものトーンといつもの視線。
「…ただの風邪だから大丈夫。今日はもう遅いし、モキチくんも早く帰った方がいい」

ボールをカゴに投げ入れ、空はゆっくり部室へ向かう。部屋に入る前に、茂吉に振り向いて「ありがとう」と一言残すと、やがて彼の姿は無くなった。
ただ一人、静かに茂吉を佇ませて――。








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