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*この手をすり抜ける



  01 今が幸せなら



幾度となく、時間は過ぎた。
君があの日、本気で僕の嘘を信じ、本気で入部を考えてくれた。
その目は真剣で、一瞬自らの嘘を後悔したのを覚えている。
たくさんの試練を乗り越えて、笑い、思いやり、共に汗を流して。時に悩み苦しんで、励ましあってきた。


君は知ってる?

君の限りを知らない自信と、堪えない笑顔。仲間を信じる強い心に、時に見せるあどけない姿。そんな君に差し延べられた小さい筈の手が、大きく見えた。
救われたんだ、そんな君に。
何度も、何度も。




「おまえら時間守っとけよ?!」
ジャラっと鳴りながら宙に浮く体育館の鍵が、茂吉の胸に入ってくる。
百春が投げたその鍵たちを数秒見つめたあと、茂吉は「…ハイ」と小さく返事をした。

PM 7:00

冬が近付くこの季節。急ぐように落とされていく枯れ葉などお構い無しに、北風が吹いていた。若干身を縮めながら、帰る生徒も少なくない。

そんな中、夢中でリングに向かう車谷空の姿があるのは言うまでもない。

向かいの離れたリングを相手にする茂吉はいつも、百春に任せられるように鍵を渡されていたが、実際、茂吉にとっては空と一緒に居残り練習をすることに意味があったことは、誰も知らない。

静まり返る体育館に、ボールとシューズの高音だけが響き渡る。普通だったら、どこと無く会話の一つでも欲しくなるような雰囲気でさえも、彼らにとっては心地よかった。
元は茂吉の体力つけで始めたこの居残りの練習も、気付けば二ヶ月を通り越していた。


時に茂吉は思う。
いつまで、彼はこの僕の為にある居残りに付き合ってくれるのだろう、と。
いつだって止められただろうに。今だって、先輩やトビくんも一緒に練習に付き合ってくれるのに、いつだって彼は傍で確かに相手をしてくれた。

もしかしたら、僕の為にあったこの時間の意味なんて忘れてしまっていて、ただリングとの有効時間として利用しているだけかもしれない。


気付けば、目線の先は彼だった。
キレイにとられるあのフォームを、足の先から指の先まで見ていた。
何度我に還ろうとも、その姿が脳裏に焼き付いて離れない。見れば見るほど、身体はその彼への欲求を覚え、遂には自身を苦しめた。

恋しい。
君が。

男の自分が、男の彼に何を想う。認められなどしないこの恋を、どうしようというのだ。
数ヶ月前には確かにあった女性への想いは、形を変えて、自身に存在する。
その恋は実らなかった。それでも、確かに伝えたのだ。ありのままに「好きでした」と。気持ちを伝え、静かに散っていった。


…どうすればいい。

やけに遠く感じた彼の姿を見つめながら、茂吉は小さく呟くしかなかった。
”僕は君に恋してしまった”
いけない、と分かってる。

分かっているのならそれでいい。伝えて崩れるくらいなら、今のこの時間ですら大切にすべきだ。

「モキチくん!1on1大人気勝ー負!」
「…うん。喜んで」
「僕まだ13勝だったよね?」
「たったの1勝差だよ」
「モキチくん、抜きにくくなったもんなぁ」
「車谷くんこそ」
「…ほんとに?!」
茂吉が頷くと、空から思わず笑みが零れる。

それでいい。今が幸せなら、それ以上を求める必要はない。
先が分かるからこそ出されたその決意は、また一つ、静かな体育館へ置かれていった。







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