その笑顔は反則だから 「デートしよう」 ある日、兄さんは唐突に言った。 「何だよそれ」 一瞬だけ感じてしまったときめきを抑えて返す。俺は年頃の女の子かよ。兄に誘われて喜ぶなんてどうかしてる。学校の女子なんかは、兄さんが誘えば黄色い声を出してついてくだろうけど。 「女子でも誘えばいいだろ」 「お前じゃないと意味がないんだ」 本当に、口説き文句みたいだ。俺には絶対に言えない。それが兄さんとの差なんだろうか。同い年とは思えない。 「冗談言うなよ、気持ち悪い。誰が兄さんと」 「冗談だよ」 兄さんはけらけらと笑った。 「たまには二人で話したっていいだろ、ライル」 兄さんは、俺と違って、誰にでも優しい。誰にでも甘くて優しい笑顔を向け、時々厳しい。兄さんは俺なんかにも甘く笑いかけてくるから、時々、ごく稀に、勘違いしてしまいそうになる。 「男同士の話」 「父さんとでも話せよ」 この年になって兄の言葉に素直に従うのには抵抗があり、とりあえず反射的に反発してしまう。幼稚だってことくらいは俺だってわかってる。 「お前、いつもそう言って逃げるだろ。たまには語り合おうぜ?」 肩を叩かれ、宥められると、結局は兄さんの提案を飲んでしまう。いつだって全てをわかったような顔で俺を丸め込む。 双子なのに兄貴面で。 たかがこの世に生まれ出た順番のせいで。そんなのろくに変わらないってのに、やっぱり兄なのだ。 「わかったよ。行けばいいんだろ」 つっけんどんに返しても、兄さんは機嫌を悪くしたりしない。 連れていかれた高台。 既に薄暗くなり始めた時間で、街の明かりがぽつぽつと灯り始めている。 「何でわざわざこんなところに」 「デートっぽいだろ?」 確かにデートスポットらしい。男女が集い始めている。男二人、なんてのは見当たらなくて気恥ずかしい。 「デートって、俺たち男だし、しかも兄弟じゃん」 「だから冗談だって言ってるだろ」 冗談めかして笑う兄さん。 「冗談だってやだよ。野郎二人でロマンチックに立ち話なんて」 冗談に付き合う。付き合わなければきっと……自然な関係は壊れるのだろう。兄弟なんだから。 「そんなこと言うなよ」 兄さんは笑って柵に寄りかかる。 「ライル」 兄さんは一転、真面目な表情で話し掛けてきた。 「最近、エイミーを泣かせたって?」 ここまで連れてきて、何かと思えば説教か。ロマンチックも何も、良い雰囲気などない。兄弟なんだから当然といえば、当然。 「だからなんだよ」 「母さんが心配してた。最近お前の機嫌が悪いって」 「心配? するわけないだろ、母さんも父さんも。俺は兄さんと違って親不孝な不良息子なんだから」 本音だ。 兄さんは勉強もスポーツも何でもできて、人当たりも良くて出来の良い息子。 俺は兄さんには及ばないし、素行の悪い馬鹿息子。 大体、俺が機嫌悪いのは誰のせいだと思ってるんだ。兄さんが誰にでも優しく構うから、兄さんと俺が一緒に過ごす時間は年々減っていく。 「あのなぁ」 兄さんは少しだけ顔を歪め、困ったような表情をした。 随分暗くなってきた。そんな中でも兄さんの表情はよくわかった。全く顔が見えなくたって、多分、わかる。 「母さんも父さんも心配してるぜ? 何したっていいけど心配はさせるなよ」 兄さんは俺の手を取った。冷たい手。手が冷たい人は心が温かい、なんて言うが、本当なのかもしれないと思った。 それに比べて、俺は。 「心配なんて、してるわけないだろ」 「少なくとも」 真っすぐに見つめてくる兄さんの強い瞳は、俺には毒だ。 「俺は心配してる」 力強い言葉に、返す言葉が思いつかない。 結局思いつかなくて、 「馬鹿じゃねーの。いい年して兄さんに心配してもらわなくたって平気」 茶化すことしか出来ない。 「……そうだな」 情けないと思う隙さえ、兄さんは与えてくれない。どんなことも包み込んでしまう。 「悪いな」 兄さんが謝ることではないはずなのに、兄さんに先回りされる。 「俺はさ」 兄さんが俯いて話し始める。足元に転がっている小石を蹴った。大きな石にぶつかって跳ね返った。 「お前に笑っててほしいだけだ、ライル。何にも囚われずに」 寂しげな声で呟く。兄さんには似付かわしくない声だ。 その意味がわからなかった。 すっかり陽が落ち、街の明かりが燦々と輝く。見事な夜景だ。それに負けじと星も輝き始める。 「さて、と」 兄さんは柵に預けていた体重を元に戻した。 「冷えてきたし、帰るか」 何かを振り切るように言って、俺に手を差し伸べた。 「手なんか繋いだら気色悪いだろ。子供でもないし」 「いいだろ、誰も見てない」 兄さんはさっきの真剣な表情が嘘のように、へらっと笑った。 「ライルの手、あったかいんだよ。俺は冷えきっちゃって」 「冷たっ」 腕を引っ張られ、手を掴まれる。同じような大きさ、形の手なのに、温度は全く違った。ひんやりした手に包み込まれる。 「あったかいな」 満面の笑みが俺に向けられる。近くにある俺とそっくりの顔。その表情の温度に泣きたくなった。 「離せよ」 兄さんの手を振りほどいた。兄さんは軽く肩を竦め、俺に背を向けた。 「帰るぞ」 先に歩き始めた兄さんの、大きく見える背中が小さくなっていく。 走って追い掛けて、その背中に飛び付きたい衝動に駆られる。そうしたら兄さんは何て言うだろうか。 『子供みたいだな』 そう言って、優しい笑顔を向けてくれるんだろう。昔みたいに頭を撫でてくれるかもしれない。 何も知らない優しい兄さん。的外れな優しさを俺にくれる兄さん。 俺の気持ちを伝えたら、気持ち悪いと言うだろうか。こんな兄弟の時間は、持てなくなるのだろうか。 「置いてくぞ」 少し離れたところから呼び掛けられる。向けられる笑顔が眩しい。何も知らずに向けてくれる笑顔が、見たい。ずっと見ていたい。 そんな笑顔だから、俺は想いを断ち切ることが出来ない。 俺はゆっくりと後を追う。 折角ここまで来たんだ。似合わない願いでも、一つ。 また、兄さんとこんな時間を過ごせますように――。 星が瞬く。 ――嫌な夢を見た。 煙草を取出して咥え、火を点ける。馴染んだ味を吸い込んで、肺の奥まで満たす。 一気に吐き出す。 紫煙がゆらめく。 長い間会っていなかったのに、あの笑顔は思い出せる。 ひょっとすると、憧れ、だったのかもしれない。違ったのかもしれない。いつも俺より上の兄さんへの憎しみだったのかもしれない。 十代の感情は曖昧で、整理する前に、会わない間に、兄さんはなくなっちまった。 塵一つ残さず、綺麗さっぱり、なくなった。 「俺って、アウェーだよなぁ」 独り言で気を紛らわせたはずが、かえって自覚した。 ソレスタルビーイング。 ロックオン・ストラトスの、ニールの「家」。 「兄さんの家」だから俺はアウェーだってのに、兄さんはいない。 「ロックオン、ロックオン」 隣で合成音を発しながら、オレンジのハロが跳ねた。 「あぁ」 ハロを捕まえる。 「お前はずっと、ここにいるんだったな。兄さんと戦ってたんだろ」 「ロックオン、ロックオン」 ぱたぱたさせる。 「よろしく頼むぜ、相棒」 ――緊急会議です。マイスターはブリーフィングルームへ…… 艦内放送だ。 ハロを脇に抱く。当然、ぬくもりなどない。だが、ハロはあの兄さんが頼っていた相棒だ。頼りになるに決まってる。 「行くか」 過去を抱き、未来へ。 力不足ながら双子への愛だけは込めて、楽しく書かせていただきました。 双子に幸あれ! 風乃/lazy labo |