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ざわざわする。
雨の日は嫌いだ。
また、何かがなくなってしまいそうで。

台風が近づいていることは、朝のニュースで知っていた。
学校に来る途中、ちらちらと見上げた空は雲の形がぐちゃぐちゃで、まだ風も吹いていないのにこれから来る嵐を予感させた。
いつもの通学路で、いつも会うはずの野良猫がいない。
妙に煩い犬の鳴き声。
みんな、怖いんだろうと思った。
亘と同じに。
でもそんなこと何の慰めにもならない。
台風なんて、来なければいいのに。
亘はきゅっと唇を引き結んだ。

雨粒が窓ガラスを叩き始めた。
「お、降ってきたな」
担任の先生が計算問題の説明を中断して言ったのは、五時間目の途中のこと。
四年生まではお昼で帰ってしまったので、学校に残っているのは五年生と六年生の児童だけになっていた。
(そんなこと、分かってるよ)
朝からずっと窓の外ばかり気にしていた亘は、じわじわと雲が増えてきたことにも、最初の一滴がベランダの手すりを濡らしたことにも気がついていた。
ぱたぱた、とガラスを叩く水音は瞬く間に大きくなって、くぐもった音の連続になる。
閉塞感が大きくなっていく。
雨なんて降らなくてもいいのに、と外を睨んでいると、校内放送が流れ始めた。
「……」
どうやら本当に台風が近づくようなので、残っていた児童たちも今から下校になるらしい。
周りのクラスメイトが喜んだり笑いあったりしている中、亘はひとりどんよりと自分の机を見下ろす。
今日は母親が仕事で遅い日なので、家に帰ってもどうせ一人きりになってしまうのだ。
学校があった方がまだましなのに、とため息をつくけれど、危ないから帰れと言う学校側が居残りを許してくれるはずもなく、亘もすごすごと帰り支度を始めた。

「おい、ワタル」
「あ、カッちゃん」
克美の方が、亘よりも出入り口に近い。
いつまで経っても帰ろうとしない亘に焦れたのか、カバンを背負って机のところまできてくれた。
「雨、強くなると面倒だからな、早く帰ろうぜ」
「あ、うん…そうなんだけど、」
亘の口調は歯切れが悪い。
カバンに荷物を詰めたはいいものの、いっこうに背負おうとしない亘を見て、克美は少し首を傾げた。
口を「あ」の形に開けて、けれど何も言わずに再び閉じてしまう。
別に隠しているつもりはなかったけれど、不調を気取られてしまったな、と少し恥ずかしくなる。
「ごめん」
咄嗟に謝って先に教室を出る亘を、克美は何も言わずに追いかけてきた。
上履きの底がきゅっと鳴るのは、それだけ校舎内にも湿気が入り込んでいると言うことだろう。
まとわりつくじめじめした空気が嫌で足を速めると、小走りに隣に並んだ克美が強張ってしまっている亘の肩を肘でつついた。
(あ…)
その軽い調子にふっと毒気を抜かれて、亘はぽかんと立ち止まる。
少しの間、克美のことを考えもしないで行動していたと思い至り、恥ずかしさで顔を赤らめた。
「ごめん、カッちゃん」
「やー、いいけどよ」
急にふざけた口調に戻って、克美は普通の速さで歩き出した。
亘もその隣を一緒に歩く。
亘の、と言うよりも、自分ではない他の誰かの気持ちを汲み取ることが、克美はずいぶん得意だと思う。
それは克美の家が客商売をしているせいなのかもしれなかったし、あるいはただ単に克美の性質なのかもしれなかった。
どっちにしても、意識して行っていることじゃない。
美鶴や宮原のように他人の思考を読み解くことが得意と言うわけではなく、もっと動物的な、感覚の話なのだろうと思う。
一人っ子で強情なところのある亘は本当はクラスに溶け込むことが苦手だったけれど、いつも克美が知らない間にクッションになってくれた。
今だって、たとえ克美が意識して行っているのでなくても、ささくれ立った亘の気持ちを上手くほぐしてくれたに違いない。
(…結構、敵わないこと多いんだ)
心の中のざわざわも少し納まって、亘は少しだけ笑うことができた。
「ワタル、今日うちで遊ぶか?」
唐突に、克美が言った。
「え?」
「宿題もないし、ゲームしようぜゲーム」
それはとても魅力的な提案だった。
亘だって、許されるならそうしたい。
けれど途中で学校が終わると言うことは、やっぱり外に出るのが危ないくらいには雨が降ると言うことなのだろう。
ここで克美に甘えてしまったら、最後には克美や小村のおじさん、おばさんにまで迷惑がかかってしまう気がする。
それでもちょっとだけ考えて、結局亘は首を横に振った。
「台風くるし、今日はやめとくよ」
本当は雨なんて平気にならなければいけないと亘も知っているのだ。
強がりでも、しないよりはした方がいい。
克美は気を悪くしたふうでもなく、そっか、とだけ言った。
「…ごめん、ありがと」
「おう」
それから暫く無言で歩いて、階段を下りて、また歩いて、たどり着いた下駄箱は靴を履き替える児童たちでごった返していた。
たくさんの児童が昇降口を出たところで傘を開いたり迎えを待ったりしているものだから、先がつかえて余計に混雑している。
(あ、ミツルだ)
亘たちとは反対側から、見知った色素の薄い頭がすいすいと人の波を通り抜けてくる。
こっちに気づくかな、と考えていると、亘が何か言うよりも先に克美が美鶴を呼んでいた。
「芦川!」
「?…ワタル」
「いや呼んだのは俺なんだけど」
亘たちは人ごみを前にして立ち往生していると言うのに、美鶴がなんでもなく動けてしまうのはやっぱりその人を寄せ付けない雰囲気のせいなのだろうか。
美鶴の周囲には顔を赤らめる女子もいれば、あからさまに避ける男子もいた。
(相変わらず協調性ないんだから)
けれど、亘は逆に美鶴を見てほっとしていた。
ちくちくと痛んでいた心が、美鶴に会えたことで無条件に暖かくなる。
条件反射みたいだな、とちょっと笑った。
「…まあいいけど、おまえ帰る方向同じだったよな、一緒に帰ろうぜ?」
「俺が?小村と?」
「悪いか」
克美は、美鶴に対してはなぜかいつもそっけない。
割と誰に対しても賑やかに接する方なのに、不思議だな、と亘は思っていた。
他の男子が美鶴に対して持つような対抗心や劣等感でなしに、むしろ間逆の無関心のようにも思えて、そのつど首を傾げることになる。
なんか変な雰囲気になってないか?と亘がやっと二人の様子に気づいた時には、美鶴が少しの間亘のことを見て、分かった、と答えたところだった。

結局、亘と克美と美鶴、と言うありそうでない三人組で帰ることになった。
(…なんか、変?)
美鶴も克美も、何もしゃべらない。
傘の分だけ距離が開いて、それからますます強くなった雨音が声を遮るから、何かを話そうにも相手に届かないのだけれど、妙な居心地の悪さに亘はそわそわと二人を見比べた。
いよいよ本格的に雨が降り始めたようで、何メートルか先は白い靄がかかったようになっている。
亘の家はもうすぐだからいいけれど、二人は大丈夫だろうか、と心配になった。
これでは克美の家に遊びにいくどころではない、逆に二人を三谷家に避難させるくらいだ。
「ワタル」
「え、なに?」
ぐるん、と傘ごと振り返ったのは克美だ。
水滴が飛んできてうわっと驚くけれど、そんなことは気にしてくれないらしい。
「なんかやばそーだから、俺走って帰るわ」
「へ?」
「じゃな!」
「ちょ、カッちゃん!?」
ばしゃばしゃ、と水溜りを蹴り上げて、本当に走っていってしまう。
突然の出来事に呆然としていると、どんな意味なのか、隣の美鶴が「過保護だな」と呟いた。
「もー、どうしたんだろ。走ったら余計に危ないのに…」
「けど、本当にやばそうだからな、俺たちも急ごう」
「あ、うん」
横殴りの風が吹いて、雨粒が頬を掠める。
美鶴と二人きりになってしまった。
さみしいけれど、仕方ない。
ちくん、と忘れていた痛みを思い出して、亘は美鶴に続いてとぼとぼ歩き出した。
でも、美鶴がいてくれてよかったと思う。
あと少しだけだけど、一人きりにはならないで済むから。
無言の二人に挟まれてはらはらしていたせいで気にせずにすんでいたけれど、風も雨もどんどん強くなってくる。
どうしよう、と不安が大きくなってきたとき、少し先を歩いていた美鶴が立ち止まった。

(あ…)
もう家の前についてしまった。
カバンの中に入っている鍵を意識する。
今までだって、母親がいないときなどは一人で留守番をしていたこともあった。
けれど今は一人きりでいなければいけない時間が二倍に増えたのだ。
そしてさみしさは単なる掛け算で増えていくわけじゃない。
しかも今日は、ひどい雨だ。
「ワタル」
(ちゃんと、ばいばいって言わなきゃ。カッちゃんだけじゃなくて、ミツルにまで心配かけるなんて…)
顔を上げて、笑って「明日ね」と言おうとして、結局亘は失敗した。
厚い雲のせいで薄暗いけれど、目元に滲んだ涙を雨だと言っても美鶴は信じないだろう。
「あの、」
それでも必死に取り繕おうとした亘の言葉の先を、美鶴は許してくれなくて。
「…ワタルの家で雨宿りしていく」
「みつ、」
「ほら、はやくいくぞ」
…甘やかされてしまった。
亘の手を、濡れるのにはかまわないでぎゅっと掴み、美鶴はさっさと階段を上っていく。
もう何度も来ているので足取りに迷いはない。
「ミツル」
「いいから、はやく」
「…うん」
(…だめだ、うれしい)
雨音はまだ怖いけれど、一緒にいようとしてくれる美鶴の思いがうれしい。
それきり押し黙った美鶴に手を引かれ、亘は一人ではなく二人で家の鍵を開けたのだった。

カバンを下ろしてリビングのソファに落ち着いたものの、美鶴はやっぱり黙ったままだった。
克美といるから黙っているのだと思っていたけれど、どうやら違ったらしい。
甘えすぎたかもしれない、と反省してみても、けれど今になって無理に美鶴を帰そうとはどうしても思えないのだった。
「あの、さ、アヤちゃんは?」
気になっていたことをそっと聞いてみる。
「今日は姉さんが家にいるはずだから。電話だけ借りてもいいか?」
「あ、うん」
じゃあ、うちにいてもらっても平気かもしれない、とほっとした。

短い、けれどやさしい口調で少しだけ話をして、電話を終えた美鶴から受話器を受け取る。
アヤと会話をすれば少しは違うかもしれないと期待していたのだけれど、美鶴の態度はやっぱりどことなく硬かった。
さみしさは確かに半減したのに、美鶴がこうでは亘だって気が気ではない。
何か悪いことをしただろうか、それとも美鶴に何かがあったんだろうか、といろいろ考えるけれど、思いつかなくてますます焦る。
「な、なにか飲む?」
「…いや」
「そっか…あ、じゃあタオル洗濯機に入れてくるね、ちょうだい」
それぞれに髪や服を拭いていたタオルをまとめ、先に洗濯機に入れてきてしまうことにする。
テレビをつけても、雨や風の音のせいで聞こえないし、何かしていないと間が持たないったらない。
そう言えば、涙も引っ込んじゃったな、とため息をついた。

(さっき言ってた過保護って、なんのことだろ)
ぺたぺた、と短い廊下を裸足で歩きながら、先刻美鶴が克美に向かってこぼした一言を思い出す。
もしかして、亘が克美に気を使ってもらっていたことに美鶴も気づいたんだろうか?
そう考えると、珍しく克美が美鶴を呼び止めたのも、亘がさみしがらないようにしてくれたのかもしれないと思えてくる。
(僕、だめだなぁ)
洗濯機のふたを開け、タオルをぽいぽいと投げ入れながらまたため息をついてしまう。
美鶴にあきれられたかもしれない、もしかしたら美鶴と克美の間で何かの意思疎通があって、それでわざわざ付き合ってくれているのかも。
考えれば考えるほど情けなくなってきて、亘は力なく洗濯機のふたをしめた。
「!」
ふつり、と電気が消えたのは、そのときだった。


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