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◎◎

いちばん好き


◎◎◎



「ねえ、あれ、誰」
「え?ああ、隣の席の…」
「そう」

説明しようとした亘の言葉を遮り、美鶴は早口にもう帰ろう、と告げた。

「え、ちょっと待ってよ、俺まだ課題の話し合いが、」
「もう終わるところなんだろう?それに下校時刻だって過ぎてる」
「それは、そうだけど…」

一緒に残っていた数人の友人たちも、あっけに取られてこちらを見ているようだ。
最初こそ、隣のクラスの「アシカワ」がやってきた、とざわめいていたのだが、二人の妙な攻防の様子にだんだん口数が少なくなっていく。
美鶴がたくさん話しているのが珍しいのか、それとも感情をあらわにした様子が珍しいのか、多分両方だろう。

今日の放課後は美鶴が委員会で、亘も社会の授業で出されたグループ課題の話し合いがあるから、どうせなら待ち合わせて二人で帰ろうと約束した。もっとも、美鶴か亘のどちらかが用事がなくても、どうせもう片方が待っていることになるのだから、二人の予定にあまり変更はない。
結局は亘の方が遊び半分のふざけたものになってしまい、こうして美鶴に回収にこられたと言うわけだった。

「じゃあ、早く用意して、ワタル」
「え、あ、うん」

ぐるり、と周囲を見渡しながら亘を急かした美鶴は、けして他の連中に文句を言った訳ではなかったのだけれど、その冷ややかな視線に誰もががたがたと帰る準備を始める。
四時を過ぎて、もうすぐ先生が見回りに来る時間帯だ。このまま居残るよりは、今すぐ帰ってしまう方が賢明に決まっている。

「ワタル、早く」
「分かったよー、もう、ミツルなに怒ってるの?」

委員会が終わってまっすぐここに来たのなら、タイムラグは少ないはずだ。美鶴の有無を言わせない口調に押されつつも、亘は唇を尖らせる。
うわ、口答えした、と周囲が身構えるが、亘は気にしていない。
出会ってから一年が過ぎて、美鶴の近寄りがたい綺麗な顔はますます整ってきているけれど、亘にとって、美鶴は美鶴でしかない。周囲から浮いているのも相変わらずだ。でも亘は、理不尽なイライラをぶつけられたと感じたら、その都度ちゃんと抗議することにしている。

「怒ってない」
「あ、眉間にしわ」
「ワタル!」

美鶴が眉尻を吊り上げたけれど、亘は友人たちに声を掛けて先に走り出した。

「ミツルが早くしろって言ったんだからな!」






ぱたぱたと上履きの音が長い廊下に響く。それを追うように、美鶴は足を速めた。
その表情はさっきよりも少しだけ柔らかくなっている。亘と二人きりになって、イライラが急に収まっていくのを感じていた。
六年生になってもクラスが離れたままだった時は、すごく残念だった。亘も同じだったようで、長い休み時間や放課後はどちらともなく一緒にすごしているのだけれど、どうしてもそうなれないこともある。
今日みたいに亘のグループ課題の話し合いがあったり(美鶴の班は授業中にさっさと終わらせてしまったので、放課後残ったりすることなどない)すると、亘はそっちに参加しなくてはならない。その間、美鶴はイライラと待っているしかなかった。
図書館で本を借りても、少しも集中できない。亘の隣りは絶対に自分の場所だと決めているのに、それが叶わない。短い時間でも、嫌だった。

「ワタル、」

結局、美鶴が亘に追いついたのは下駄箱まで来てからだった。下校時刻を過ぎているせいで、人影はほとんどない。さっきまで亘と一緒にいた連中がここまで降りてくるのには多分時間がかかるから、今は正真正銘二人きりだ。

「楽しかったか?」
「楽しいって…調べるのは楽しいけど、書くのは楽しくないよ、僕たちの班は女の子いないから、誰もまとめたがらないし」
「…そう」
「それより、今日まっすぐ帰る?どこかに寄っていく?」

お母さん、今日は遅いんだ。
そう言って、亘がにこっと笑った。
さっきまで美鶴に腹を立てていたはずの亘は、すっかり機嫌をよくして寄り道の相談を持ちかけてくる。
亘はこれまでの時間よりもこれから美鶴と過ごす時間の方を楽しみにしてくれているらしいと、それに気づいた美鶴もつられてにっこり笑っていた。

「俺も、今日は寄り道できる。アヤはピアノの日だから」
「ほんとう?じゃあ…神社に寄ろうよ!」
「いいよ」

どこだって、二人でいられるなら楽しい。けれど初めてジュースを飲んで、初めてケンカをしたあの神社と公園はなんだか特別で、二人だけの秘密の場所のようでくすぐったい。
二つ返事で了承して、けれど美鶴は待って、と亘を呼んだ。

「なに?早く行こうよ」
「ああ、でも…ちょっといいか?」
「………何、ん――、」

腕をつかんで引き寄せて、なんの身構えもしていなかった亘の唇に自分の唇を押し当てる。美鶴の前髪が頬をくすぐって、亘は少し笑ったみたいだった。
それからここがどこなのか改めて気づいたようで、ぱっと顔を赤らめる。

「ミツル〜!誰かに見られたらどうするんだよ!」
「亘が俺以外のやつと楽しそうにしてたから、お仕置き」
「バカ、何それ」
「隣の席だか知らないけど、簡単に触らせたりするなよ」

二人でいるだけで、美鶴はやさしくなれる。でも、さっき見た光景が忘れられるかと言うと、そんなことはないのだった。
亘は人懐っこくてかわいいから、誰にでも好かれる。釘を刺しておくことを忘れたらだめだ。

「触らせたりしてないよ!」
「嘘、ちゃんと見てたんだからな」
「…もー、頭叩かれただけだろ?あいつ、面白いんだ。休み時間にギャグとか言うんだよ」
「そうじゃなくて、亘はあいつのこと好きなの?」
「………ミツル、やきもち焼き」
「そんなのとっくだろ、今更言われても、なおらないからな」
「…ミツルが、一番すきなのは変わらないよ?」

亘は、何度だってそう言ってくれるけれど、美鶴は何度でも確認しないといられない。

「証明して、ワタル」
「んっ」

頬や唇に、ちゅっちゅっとキスを繰り返しながら美鶴は言った。
両手はきゅっと亘の手を握っている。そうしていると全部がどうでもよくなってしまいそうになるけれど、ちゃんと聞いておかないと、心配で今晩眠れなくなる。

「ねえ、ワタル」
「ちょ、ミツルッ…そんなふうにされたら、できないよ、」
「………分かった。じゃあ、して?」

最後に、名残惜しげに唇を吸い上げて、美鶴は亘を解放した。両手は繋いだまま、はやく、と口の動きだけで急かす。

「………ミツルがいちばん好き」

触るだけのかわいいキスで、亘が証明してくれる。染まった頬やぎゅっと瞑った目がどうしようもなくかわいいと思う。
その好きがどんな好きなのか、美鶴はまだ聞いていない。多分、亘自身区別がついていないんだろうと思う。
今はまだ満足しているけれど、いつ足りなくなってしまうのか、美鶴にも分からなくてはらはらした。

「今は、許してやる」
「何それ!」

恥ずかしい思いをしたのに!と亘が膨れる。美鶴はそのぷくっと膨らんだ頬にキスをして、亘の手を開放してあげた。
本当は離したくない。ずっとずっと、捕まえていたい。心配でしょうがないし、我慢するのだって辛い。

「ワタルも、もうすぐ分かるさ」
「もうすぐってなに、何の話?」
「………分からなくても、俺が分からせてやる」
「ミツル〜?」

分かんない、とへそを曲げる亘の手を引いて、美鶴は早く行こう、と促した。
缶ジュースの炭酸飲料で、亘は懐柔されてくれるだろうか。
小さな悩みを抱えながらも、美鶴は亘が証明してくれた「いちばん」にささやかな満足感を覚えていた。



20060731


あきゅろす。
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