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うだるような湿気の多い夏の日だったということだけはよく覚えている。
その日はいつもと変わらない日だったはずなのに、なぜ彼がそんな事をしたのかは分からない。
そんなまるで学生に戻ったような




夏名残に空気



ジリジリと照りつける太陽を恨めしく思い、滝のような汗を掻きながら、関口は目眩坂を上っていた。
わざわざこんな夏の日に出掛けなくともよかったのだ。
しかしその日は、何故か朝から京極堂に行かなければいけないような予感めいたものが、頭の片隅にちらついて仕方なくて昼に一人になったのを機に家を出た。

しかし思い立ったら吉日、なんて嘘に違いないとふらふらと歩きながら苦々しく思う。
あの男に会うことがそんなに大切だったかと今更後悔をしたが、もう既に目的地は目の前に迫っていた。

せめて冷たい飲み物ぐらい貰おうと店の戸に手を掛けたら先にガラリと音を立てて開いた。


「人の家の前でそんな死にそうな顔して何してるんだい、関口。」

中から出てきたのは今まさに会いにきた人物だった。

「君こそ出掛けるのかい。このくそ暑いなか?」

これで冷たい飲み物を貰う計画がなしになってしまったと悔しく思い、京極堂にそう問う。

「今まさにそのせいで死にそうになっている奴に、そんなことを言われたくないね。
ちょっと取りに行くものがあるんだ。君も来るかい?」

戸に鍵を掛けながら京極堂は聞く。

僕は正直この炎天下にいなくていいのなら、もうどうでもよかったのだけど、わざわざ死にそうな思いまでして彼を訪ねてきたのだ。

「うん。」

あまり考えもせずに返事をした。


外は相変わらず蒸発してもおかしくないんじゃないかって、猛暑。
蝉が狂ったように鳴くから耳がジンジンとした。

どうも京極堂が僕を誘ったのは取りに行くものである本が、沢山あって一人で持つのが嫌だったからのようだ。
彼は口癖のように「肉体労働は14歳の時にしないと決めた」という。
だからといって自分が死にそうだと判断した人間にここまで荷物を持たせるか?と疑問になるぐらい働かされたが。
そんなことばかり考えながら、肩が抜けそうな重さの荷物を運んだ。


人の声が煩い町を抜け、少し静かな裏通りのような場所を通り、僕らは帰る。
道に点々と植えられた木が僅かに日陰をつくっていたが、そんなものは体を冷やすには到底微々たるもので、僕は更に汗が流れるのを感じた。
少し不快感が増したような気がするのは、人がいないこの道の空気が古いからだろうか。

そんなことを思っているとふと脇の店のショーウインドウが目にはいる。

中に並んでいたのは、古びたアンティークの装飾品だった。
指輪やネックレスやブローチなど少しくすんでいるが味のある品が並ぶ。

ふと今日も小さく笑顔を見せて仕事へ出かけた妻を思い出す。

恥ずかしながらいまさら妻への感謝の気持ちを感じた。
このくしゃくしゃになったシャツをいつも丁寧に片付けてくれるのはいつだって妻なのだ。

関口がぼんやりそれを眺めていると、いつのまにか京極堂が後ろに立っていた。
「何かほしいものでもあるのかい。」

背後から急に話し掛けられたものだから、ぼうっとしていた僕は息が止まりそうに驚いた。

「いや、僕のじゃなくて雪絵に、」

照れ隠しのように早口になってしまう。でも疾しい事など言っていないのになぜ自分はこんなに焦っているのだろうと不思議に思った。
大方京極堂の話し方に問題があるとは思っているのだが。

すると京極堂はすいっと横に並び、ショーウインドウを眺めて関口に
「君はどれをあげようと思っているんだい?」
と聞く。

僕は迷ったが、さっきちらと目に入った梅のような花をあしらった簪が雪絵にとても似合うと思ったので、それを指差す。
すると京極堂は何もいわずにそのまま人気のないその店に入っていってしまった。

「ちょ、…!」
あわてて後を追おうとすると、目の前でドアが閉まってしまい、入りづらくなる。
一人取り残されたようだったが、京極堂はすぐに店から出てきた。
その手には小さな包みを持って。

「何を…買ったんだい?」

僕はそう問うと、京極堂は小さく笑い、その包みをこちらに差し出す。
わけも分からず受け取ったものの、どうしていいか分からず困る。

京極堂はまた困ったように笑い、開けてみろと促した。

ぎこちなく袋の紐を解くと中からは、

「………これ…………、」


そこには紅色の煌めく小さな簪。



「雪絵さんへじゃない、


君へだ。」



真っすぐに烏の羽のような闇の眼に射抜かれたように


息が詰まるかと思った。




嫌だと思った。




一瞬でも嬉しいと思ってしまった自分に。




気をとられていると不意に口付けられていた。

すぐに唇は離れる。


「これは牽制、だよ。」



そう呟く声は小さく不安をたたえたような。

顔が火照って醒めなくて

堪らなく妻の笑顔が頭に鮮明だった。



「運ぶのはここ迄でいい。」



そういって運んでいた本を手に取り京極堂は歩いていってしまった。

取り残された僕と簪。

夏の日にキラキラショーウインドウが輝いて、曇った気持ちも晴れないまま、乱反射して消えた。












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