かつんと音がした。
静かに集中して本を読んでいたので思わず顔を上げる。
「あ、……すみません」
音のなったほうを見ると顔を真っ赤にした小柄な男が必死な様子で謝ってきた。
別に何か文句を言ってやろうと思ったわけでもないので、特に何も言わずにまた本の情報を頭に入れていく作業へ戻った。
一瞬見ただけであったが、その男の小動物を思わせる繊細そうな長い睫毛だけが印象に残っている。
エレメント
「中禅寺、おまえ今日から二人部屋だ」
図書室からの帰り、寮監督の教師に言われて苛立つ。
なぜそういう事は事前に連絡が入っていない。
(バカ教師が)
思わず口に出しそうな本音を押し込めて、静かに了解しました、とだけ呟いた。
中禅寺は学年で一人だけ二人部屋である寮の一室を一人で使っていた。
普通ならありえないことなのだが、学年の総人数がその年は奇数であり、運良く中禅寺が一人部屋となったのだ。
だから一人という好条件の中、静かに本を読んだりしていたのだが、二人部屋になるとそれも叶わなくなるということだ。
中禅寺を苛立っているのはそのせいでもあった。
苛立ちを抱えたまま寮に向かい、部屋の近くまで歩くと誰かが立っているのがわかった。
さっき言われた同室になるやつが中禅寺の帰りを待っているのだろう。
どんなやつだろうか。
できれば無口なやつのほうが有り難い。
まさかあの先輩のようなやつはありえないと思うが。
そんなことを考えていると急に思考を断ち切られた。
「あっ、」
かつ―――― ん
また あの音がした。
「君……」
しなやかにその睫毛が揺れる。
(あの音はペンだったらしい)
彼も気付いたのか目を丸くしてこちらを見たままの形で固まっている。(やはり小動物、だ)
そして急に目を伏せたかと思うと、音がしそうな勢いで耳の先まで真っ赤になった。
そんな様子に柄になく、
恋をした、のだ。
*
*
関口巽という人物は、中禅寺が厭だと思うほどうるさい人間ではなかった。
むしろ話し掛けても反応しないぐらいだった。
しかしそれよりも彼は厄介な問題を抱えていた。
始めの方はそれに戸惑いこそしたが、今となれば当たり前のことで、むしろそれを楽しむような。
まさに惚れた弱みだ。
誰にも頑なに心を開かなかった関口は徐々に自分を信頼するようになった。(こじつける迄の努力)
けどそれは、本当に信頼しているのではなくて、中禅寺に好意を抱いているのでもなくて、関口はただ探しているのだ。
自分を受け入れてくれるもの。
(所詮仮初め、か……)
授業を受けているのか、寝ているのかよくわからない隣の関口をそっと盗み見て、あの時見とれた睫毛にまた見とれる。
(でも)
それでもいい。
それでも一番関口の傍にいられるなら。
言葉にならないこの気持ちがあまりに舌で苦みを放つなら、いつかきっと舌から離してみせるから。
(決して傍から離れない、と誓いを立てたのはあの本の主人公)
ファンタジック
(現実主義、だと思っていた?)
夢を見ているのはこっちの方だ。
まだ元素みたいなこの気持ちが反応を始めて苦みを増している。
(まいったな、)
顔が熱いのが分かって思わず関口から目を離した。
こんなに苦労するなんて思っていなかった
こんなに好きになるなんて、
思っていなかった。
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