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私の現役時代






私はいま、大阪大学医学部保健学科放射線技術科学専攻の1回生です。浪人をしていますから、飲み会の席では自分は堂々とお酒が飲める立場にありますw




自分の現役高校時代には神戸大学の理学部の化学科に出願しました。理由は「理系科目が好き」「将来先生になってみたい」という気持ちが強かったからです。




当時の私は水泳部の主任を担っていました。また、クラス代表も兼任していたということもあり、普通の生徒よりも先生方に呼び出されることが多く、




ものすごく多忙な毎日でした。休日には大会が重なり、数学や国語(高校国語には現代国語を始め、古典、漢文があります)の予習が間に合わないというほどでした。




必死になって予習をしても間に合わないときには、早めに登校して、優秀な生徒から予習ノートを借りてはひたすら写し授業に間に合わせていました。




当時の私たちの台の先生方は予習をしていないとものすごく厳しく怒る方が多く、必死になってたのです。特に数学の先生は鬼のようでしたwつのが見えた気がしていましたw




でも今思うと、そういった先生方が多いため、うちの母校では現役京大阪大その他有名国立大学合格者が多かったんだと思います。




私の場合は予習を怠けて友人の答えを写したり、授業中に寝たりしていましたので成績は思うように伸びませんでした。




私は結構真面目なほうなんですが、普段の疲れが十分に取れていなかったためになかなか思うように結果が出なかったんです。




私は某高校に入学した時の成績は440人中424番でした。ぎりぎりの合格でした。入った当初から予習復習をまじめにしてはじめの期末テストから真ん中を維持していたのですが、




受験間際になって周りの生徒たちに抜かれていってしまいました。自分の中では必死に頑張っていたのですが、ちょっとしんどいとすぐ寝たりしていたのが裏目に出て、




センター試験後の神戸大学合格率はE判定になってしまいました。普通ならこんな判定の大学には出願しないものですが、




私はほかに行きたい大学がないと思っていましたので、浪人を覚悟で、私立にも出願せず神戸大学一本で行くことを決心しました。




当然神戸大学は不合格でした。私はそんな気はしていたのですが、親に気を遣わせたくなかったので、「大丈夫だ」ということだけを伝えていました。




大きな期待を裏切ってしまい、両親に泣かれてしまいました。私はこの時本当に情けないと思いました。親さえ私は喜ばせることができないのか・・・




そんな気持ちが脳裏をよぎると、自分のほほにも涙が落ちてきました。




私はその瞬間から私は、『来年こそは絶対受かる』という一心でその日から改めて猛勉強に励みました。




この時はまだ後期試験が終わった瞬間でしたから、気持ちの整理ができていない生徒が多い中、一人黙々と来年への受験勉強に励んでいたことを覚えています。









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