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学校での僕なら、それではあなたプラスお風呂で、とかなんとか顔色ひとつ変えずに言ってのけ、
彼にど突かれるのだろうが、今はそのブレーキとなる人物の姿は見られない。
僕がうなだれていると不意に、ぼんっ、と白い煙が長門さんの両隣りから立ち込めた。
「有希もこう言ってるんだし、キスくらいならいいじゃない!減るもんじゃないもんね。
そろそろ有希にも教えてあげるべきだわ、
羊の顔していても心の中は狼が牙を向く、そういうものよ、って!」
僕から見て右の煙から、背中にコウモリの羽、頭に触角付きカチューシャ装備の涼宮さんが現れた。
「だっだだだだだめです!絶対絶対だめです!!
だって女の子にとってファーストキ…は、恥ずかしいのでここから先は言えません…
けど、こんな流れじゃ、だめですよう〜!」
左からは、真っ白な翼を背負った朝比奈さんが――頭イカれたな、僕。
「いいじゃない!」
「だめですう!」
うるせー…
耳を押さえたい衝動に駆られていると、長門さんの真後ろでまた煙が上がった。
今度は誰だ…
いや、このメンバーで次に出て来る人物なんて、もう大方見当が付いているのだが。
…案の定、彼だった。
が、まさか閻魔大王の装束を着込んでの登場だとは思わなかった。
騒ぎ続ける悪魔涼宮さんと天使朝比奈さんを尻目に、彼は手にしたしゃくをくるくると弄び、
長門さんの背後で、座り込んだままの僕を見下ろしていた。
まるで、僕の行動如何によってはそのしゃくを地獄逝きの門に突き付けるのも辞さないかのように。
「どれにするの?」
長門さんにはこの三人が見えないのか、僕の前に屈んでそう聞いただけだった。
そうか、彼女に見えて無いのだから、これはただの僕の現実逃避の現れ…
彼が片方の眉をぴくりと持ち上げたのを見た途端、僕の背中に悪寒が走った。
声を張り上げる。
「ご飯で!!」
「ファイナルアンサー?」
と、長門さん。
「ファイナルアンサー!」
その場を、あのダラララララ…と焦らす音が駆け巡った。
はーい、一旦CMでーす。
「『朝比奈ミクルの冒険 Episode 00』DVD大好評発売中!
おまけ映像も付けてあげたんだから、サラ金に手え出してでも買いなさい!」
「ごっ、ご利用は計画的に…ふええ、恥ずかしいですよ〜…」
……ダラララ
「あ、そうだ!
せっかくなんだし、この天使みくるちゃんのブロマイドを作って、
それ入れたのを初回限定版に…」
「おいハルヒ、もうCM開けたぞ」
「え!?ごっめーん!!」
ダラララララ……
「正解」
何故かそう言ったのは閻魔大王で、ふっ、と微笑んでから僕の脇をすり抜けて部屋から出て行った。
「まあね、古泉くんはそんなことしそうにないもんね」
「ああ、良かったあ〜…あ、じゃあもうこれいらないから取っちゃいますね」
「みくるちゃん、まだ羽取っちゃ駄目よ。写真撮るんだから」
「ひょええー…」
涼宮さんと朝比奈さんも彼同様に部屋を出て、扉を閉めた。
玄関の向こうで声が聞こえる。
「じゃっ、キョン、みくるちゃん!今日はこれで解散よ」
「おう。俺はどっかそこらの物陰で着替えとくよ。じゃあな。朝比奈さん、さようなら」
「あ、はい、さようなら〜」
「…ねえねえ、邪魔キョンも居なくなったことだし、
古泉くんの部屋に盗聴器と隠しカメラ付けない?」
「ふえええ、止めましょうよお。個人情報保護法が…」
「冗談よ冗談。それより、プリクラ撮りに行くわよー!!」
あれ!?幻じゃなかったの!?!?
ええええ!?どゆこと!?!?
「え、え?」
「わかった。ではお風呂と私はその後」
「え?……って、あなたは、一体、どこで、誰から、そんなことを…
とにかく、私、は要りません…」
「……そう…」
僕は立ち上がって、ズボンに付着した砂埃をはたいた。
「今晩はシチュー」
それって、カレーのルーを入れる所を、シチューのルーにしただけじゃないですか…とは言わない。
作って貰っている身だし、それに、長門さんが、どこと無く寂しげな雰囲気を纏わせていたからだ。
まあ、見間違いか自惚れなんだろうけれど。
「ところで」
シチューをすくって口に運びながら、僕は長門さんに聞くべきことを切り出した。
「携帯の着メロが覚えの無い曲に変わっていたんですが…」
「あなたの着信メロディーがつまらない物だったから」
いや、確かにつまらないけど…
あなたのだって、きっと着信音1とか2とかだと思うんですが…
「ロールパンナの方が良かった?」
「いえ…」
夕食も終え、またも風呂に突っ込まれ、
(情けなさの極みなので、この辺りの描写は例によって省かせて頂こう)
一段落ついて、ソファに倒れ込む。
すると、
「爪切り」
と風呂上りの長門さんが、僕の背中に飛び乗った。
「わ!」
体が少しだけ跳ね上がり、またソファに突っ伏す。
重くは無いのだが、居心地が悪いので、
足を代わり番こにばたばたとさせていると、爪切りを手にした長門さんが背中から退いた。
「座って」
もう一度乗っかられるのは勘弁願いたいので、
言われた通りソファから起き上がり、そのまま腰掛ける。
すると、すとん、と長門さんが僕の足の間に座った。
「は…!?」
「手、出して」
包帯を解いた右手を前に引っ張られ、仰天しながら、
側にあったクッションを左手で鷲掴みにして、長門さんと僕の間に押し込む。
密着は黄色信号だ。
「向き合った体勢では切りにくい」
背中をクッションに預け、彼女はそれだけ言って、ぱちん、と爪を切った。
年頃になったなら慎みなさい、と言いたい所であるが、長門さんに通じるとも思えないので止めておく。
「終わり」
左手の爪も切り終えて、長門さんはそう言った。
「ありがとうございます」
足の爪も、なんて言い出したらどうしよう、とはらはらしていたので一安心だ。
そのままの体勢で、彼女は僕の右手に新しい包帯を巻いてくれた。
で、
「………」
「…あの、退いて下さい」
「…すー……」
「寝たフリですか…?」
僕が呟くと、長門さんは勢い良く立ち上がり、これもまた、同じような勢いでこちらを振り返った。
「歯磨き」
「…やっぱりフリだったんですね」
洗面所に向かう長門さんにそう言うと、戻ってきた彼女に歯ブラシを乱暴に突っ込まれた。
痛いって。

その日は寝物語もせず、長門さんはベッドに潜る際に、おやすみなさいも言わなかった。
怒らせた、かな…?
と僕が不安に思い、ベッドに近付くと、小さな寝息が聞こえてきた。
昨夜と違い、もう眠ってしまったらしい。
頬をつついてみたいような、いやしないけど。
彼女を起こしてしまって、僕の夢の中で暴れる機会を作る訳にはいかない。
おやすみなさい、と小声で言い、僕はソファに寝転んだ。

ぱーんぱっかぱ〜ん!ぱかぱっか
体を反転させたせいで、ソファから転げ落ちながら、
テーブルに置いた携帯を引っ掴み、通話ボタンを押す。
どんなに深い眠りに就いていても飛び起きることが可能な着メロである。
案外いいかもしれない。
既に第六感がぴんときていたが、確認のために携帯を耳に押し当てる。
「仕事よ」
森さんのその一言と共に、僕は部屋を飛び出した。
本日二度目のタクシーに乗り込む。
閉鎖空間が発生した場所を感知したままに新川さんに告げ、
発車してから、ベッドで眠る長門さんの姿が脳内によぎった。
置き手紙なんてしている暇は無かったし、
今から彼女の携帯に電話を掛けてわざわざ起こすのも迷惑だろうし、
そもそも新川さんがいるので電話はまずい。
メールという手段もあったが、僕はどの連絡方も取らなかった。
彼女なら、涼宮さんや僕に何が起きたのか、直ぐに理解できるだけの能力がある。
ひょっとしたら、危険な分子は見られなくて、
彼女は僕達を心配するまでもなくそのまま眠りの世界にいるのかもしれない。
「到着しました。お気をつけて」
僕はドアを開き、深呼吸をして車から降りた。
いざ、閉鎖空間へ。

無意識の内に神人を暴れさせる程の悪夢とは、一体どのような内容なのだろうか、
と常々疑問に思うのだが、だからと言って翌日涼宮さんに、
今日は気分が優れていないようですね。昨晩悪い夢でも見ましたか?
などと聞いて、閉鎖空間を再び発生させる訳にはいかない。
今日は比較的大人しかった神人が破壊していた筈のいくつものビルを眺めながら、
僕は帰りのタクシーに揺られていた。窓に頭を預ける。
この時間帯に現れる閉鎖空間は、大体悪夢によるものだ。
まどろんでいると、車体が大きく揺れ、一瞬ガラスから離れた頭が、再び窓に当たった。
ごん、と音がして鈍い痛みが走る。
「あいた」
目が覚める。
ああ、もう、最近こんなのばっかりだ。

送って下さった新川さんの車を見送り、自宅の扉の前に立つ。
そーっと、扉を開いて中の様子を窺うと、思った通り長門さんは寝たまま――ではなかった。
彼女は、ソファの上で膝を抱えて座っていた。
僕が乱した、毛布と掛け布団にくるまって。
こちらに背を向けているので表情は全く見えないが、彼女の肩が落ちているのはわかった。
呆然として、それでも、僕はなんとか口を開こうとする。
が、長門さんが僕に気付く方が早かった。
布団の中から立ち上がり、裸足をひたひたと床につけ、彼女は僕の目の前で立ち止まった。
「ひとりは寂しいと言った筈」
それだけ言うと、長門さんは、きつく僕に抱き付いた。
肋骨が折れるのでは、と冷や汗をかく程力強く。
「…すみません……」
寂しい思いを彼女にさせてしまった僕には謝るくらいしか出来ず…
いや、違った、もうひとつ、謝ること以外にできることがあった。
彼女の後頭部に手を回し、ゆっくりと髪を撫でる。
もう片方の手はどこに持って行けばいいのかわからないので、そのままにしておく。
「閉鎖空間が発生しまして…」
「わかっている。けれど、何も言わずに出て行かないで欲しかった」
震えた、くぐもった声でそう言い、ますます強く顔を胸板に押しつけられる。
そうだ。彼女は理解こそできるけれど、それをそのまま、
無感情でいられるだなんて、繋げてはならなかったんだ。
「すみません、本当に、すみません…」
始めから独りで眠っていて、目が覚めてもやっぱり独りだと言うのと、
寝る前は確かにそこに自分以外の存在があったのに、目を覚ましたらいなくなっていたと言うのは、
独りだと言う点では同じでも、置いて行かれた方にとってはその意味が、全く、全然、違ってくる。
僕はそれを失念していた。
あの灰色の世界に久々に身を投じて精神が弱ったせいもあるだろうが、
決してそれだけでなく、彼女を安心させようと彼女の頭部を上下する僕の手までもが震えた。
この震えが、寒さからのものだとすれば、どれ程平穏だったのだろうか。
暫くそうして、ふたりとも足が冷えるのにも無頓着でいたが、長門さんが、
「あなたは睡眠を取った方がいい」
と言って僕を離したので、僕も彼女から手を離し、漸く靴を脱いだ。
長門さんに手を引っ張られ、ベッドに押し込まれた。
続いて彼女も布団に潜り込んでくる。
「あの、これは…」
「ひとりは寂しい」
彼女は一言だけ言い、僕の方を向いて詰め寄る。
対する僕も壁の方へ壁の方へと体をずらす。
長門さんが頭ひとつ分詰めれば、僕はふたつ分間を広げる。

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