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 枕元に置いた携帯が着信音を奏で、僕は手を伸ばしてそれを開いた。
普段、5時という早朝に着信があれば、閉鎖空間発生か、と飛び起きるのだが、
今回はおそらくあの人からだろうな、と見当がついていたのでベッドに潜ったままだ。
表示された名前はやはり。
通話ボタンを押す。
「もひ…もしもし、古泉です」
ぼんやりした頭で、なんとか呂律を回す。
『おはよう。
今からそちらに向かう』
ピンポーン
「…ん?」
『着いた』
「え……」
一秒も間を開けずにインターホンが鳴り、長門さんが携帯の向こうでそう言った。
始めから扉の前から電話していた…という訳でも無いのだろうな、彼女なら瞬間移動だってやりかねない。
通話の繋がりが、向こうから先に切れた。
目覚めて一番にこれだと、なかなか疲れる。
ピッキングだか情報操作だかで、僕が玄関に行かずとも彼女は入れるだろうと思い、
余りに眠いので掛け布団の下で丸くなっていると。
ピンポーン
「侵入七つ道具を家に忘れた」
扉の向こうで長門さんの声が、張り上げている訳でもないのに僕の耳に入ってくる。
侵入七つ道具…何も聞かなかったことにしよう。
ピンポーン
ピンポーン
「開けて」
「どう、ぞ、入って下さ…い」
昨日の夕方と違って、今は朝の5時だ。
情報を操作して鍵を開けても、というかむしろそっちの方がピッキングよりずっといいのだが、
他人に目撃されても寝ぼけているから、と言い訳もすんなり通るだろう。
布団の中でもぞもぞとそう返して、まどろんでいると、
『居留守使ってもおるんは解っとるんや!!』
「!?」
『はよ金返さんかい、借りたもんは返すゆうて、きさん習わんかったんか!』
慌てて布団から飛び出し、玄関に駆け寄る。
『足りんのやったら腎臓なり目ん玉なり売り飛ばせ!!』
内側から鍵を開け、扉を外に押しやる。
そこには、CDラジカセを両手に提げ、胸の前に持ち上げている長門さんがいた。
「ながっ…」
「あなたが早く開けなかったから」
ラジカセの電源を切り、カセットを取り出し、ドスの効いたやくざさんの怒声を止めてから長門さんは、
「彼の言う通り、眼球なら片方を失っても、もう片方が存在するから大した問題には」
「大問題ですっ!!」
朝から絶叫する羽目になるとは…
で、そのテープはどうやって手に入れたのだろうか。いや、聞かないけれど。
「あと二秒扉が開くのが遅かったら、扉を破壊していた」
両隣りの部屋から怒声を聞きつけた住人が、顔を扉から覗かせるよりも先に長門さんは、
足元に置いてあった通学用の鞄とスーパーの袋を手にして、僕の横をすり抜けて部屋に入った。
テーブルの上にラジカセを置く長門さんを目の隅で捕らえて、制服をハンガーごと脱衣所に持って行く。
脱がされる前に着替えないと。
くいっ、と服の裾が引っ張られた。
「待って。着替えより先にやることがある」
見つかった…
やることってなんだろう、
と僕は彼女がラジカセに先程とは違うカセットを入れ、再生のボタンを押したのを見ていた。
『あーたーらしーいあーさがきた
きーぼーのあーさーだ』
「喜びに胸を広げ、青空仰ぐ
ラジオの声に健やかな胸を」
「………」
上から、ラジオを通して聞こえてくる元気な子ども達の歌声、
続いて長門さんのプロかと思う程無駄に上手く、はきはきとした歌声、
最後は僕が、懐かしーなー、と続く歌詞を思い出そうとしているものの、
まあ別に思い出せなくてもいいや、面倒臭い、と放棄したために音無しだ。
『ラジオ体操第一!
腕を大きく上げて深呼吸!
いち、にー、さんし』
「五、六、七、八
古泉一樹、手を抜いては駄目。
ラジオ体操とは体操のおじさんとPTAが小学生にもたらす、
夏休みと銘打っているというのに寝坊すらできない理不尽なまでの耐久戦。
油断は即、敗北へと繋がる」
「そんな大袈裟な…」
「動かすのは口ではなく体」
やけに厳しく長門さんに言われて、手をできるだけ高く伸ばす。
僕達は小学生でもなければ、今が夏休みでもないと言うのに。
まあ、長門さんに小学生時代があったとは思えないので、
そういった事に興味があると言うのなら、付き合おう。
『深呼吸〜
ラジオ体操第二!』
「えっ、第二も!?」
「当然」
第一、第二体操が終わってもラジカセは止まらなかった。
『アルゴリズム体操始め!』
「ぐるぐるぐ、ぐるぐるぐ」
「……ぐーるぐる…」
「やろうとする意欲が見られない。
ばっちんばっちん」
「いだだ!やります、やりますよ!
がしんがしん!!」
「やればできるこ」
「………」
付き合うって言ったよ、言ったけどさ…
『アンパンマンはーきみっさー』
「力の限り」
「…ほーら、聞こえるーよー……」
まさかそんな…こんな……
『慌てたアヒルがあっ!』
「悪戯イルカがい」
「うさぎが転んで…う……」
『とっとこハムハム』
「とっとこモヒモヒ」
「これーで決ったぜー……」
何が決まったって言うんだよ…
この星の子ども向け番組って実はレベル高いんだなあ、宇宙人の日課になってるよ…
ここでやっとカセットテープが切れ、決めポーズから解放されてぐったりとしている所に、だ。
「着替え」
あっさりと脱がされた。

そこから後の支度(朝食はフランス料理のフルコースだった)
と学校生活(上履きに「by長門有希親衛隊」と書かれた花道部の剣山が仕込まれていた)
と団活動(トイレに行こうとしたら、ひとりでズボン下ろせる?
と長門さんに聞かれ、つまづいて机に額をぶち当てた)の部分は割愛させて頂こう。
本日の出来事で特筆するべき箇所は学校以外で起きたのだ。
どうせまたマンションに来るのだから一緒に帰ることになり、僕と長門さんは扉を開けた瞬間、
ただいまとお帰りをお互いに、打ち合わせをした訳ではないのに声を揃えて言っていた。
いつもは帰宅すればラフな服装に着替えるのだが、今日は出かけるつもりだったのでジーンズを選んだ。
「少し遠出しませんか?」
冷蔵庫を開けて、中身が朝食に消えてすっからかんなのを長門さんと確認して、僕はそう提案した。
駅前のデパートでいいか、と聞くと彼女はこくりと頷いた。
扉に鍵を掛け、一階まで降りる。
「あなたの自転車を借りる」
電車かバスで行くつもりだった僕の前を歩く彼女は、自転車置場に向かった。
「電車かバスの方が…」
「こちらの方が早い」
と、言うことは、長門さんは自分が運転するつもりなのだろう。
「後ろ」
自転車の鍵を開けてスタンドを上げ、彼女は荷台を指で指した。
「乗って」
いや、それは恥ずかしい、恥ずかし過ぎる。
なんだって、そこそこ背の高い男が、制服を着ていなければ中学生でも通用しそうな、
小柄な女の子が漕ぐ自転車の荷台を跨がなくてはならないんだ。
「早く」
「いえ、でも」
「日が暮れる」
「は、はい…」
しかし、抵抗する術がある訳でもない。
うう、恥ずかし…
彼女は僕が荷台に座ったのを見てから、サドルに跨がった。
長門さんがペダルに足を掛ける。
「出発進行」
ぎゃりっ、とタイヤが地面に強く擦られる音が聞こえた。
次の瞬間には、周りの風景が後ろに物凄いスピードで流れていく。
「速!速過ぎます長門さん!」
「速くしないと日が暮れる。
冬は直ぐに暗くなる」
国道を走る車の横を涼しい顔で長門さんが追い抜く。
車の運転手の目にも留まらないような高速で、だ。
「落ち…!」
強風を正面から受けて、体がよろめく。
慌てて何かにしがみつこうとしたが、まさか彼女の体の前に手を回す訳にもいかない。
仕方無く目の前で翻っているセーラーを掴む。が、全く安定しない。
「肩に手を置けばいい」
後ろをちらりと振り返って長門さんが言った。
「あ、では、お言葉に甘えて」
「あと、昨日のように顎を置きたかったら、それもすればいい」
「え……あー…」
いや、これはそうしようかやておこうか迷っているのではなくて、
昨日のそれについては正に気の迷いだったので、忘れて欲しいな、と思うがための唸りだ。
よってそれはしない。運転中は危ないだろうし。

「到着」
私事なので新川さんのタクシーを呼ぶのは憚れたのだが、これだと長門さんが運転する自転車の方が随分早い。
店に入って、早速買い物カートを押し、食品売り場に向かおうとする長門さんに、
「先に服を見てもいいですか?」
「構わない」
かごを置き直してエスカレーターに乗る。
彼女を連れて、子ども服売り場、それも女の子用のスペースで歩みを止める。
「女装趣味?」
適当に上着を一着手にして、畳まれていたのを広げると、そんな言葉が背中に突き刺さった。
「違います…僕ではなくて、あなたに。
冬服、お持ちでないでしょう?」
夏服は孤島の時に見たけれど。
すると長門さんは、少し離れた所にある、若者向けの服が並べられているスペースと、
今僕が立っている小、中学生向けの服が網羅されている棚を見比べて、
「幼女趣味?」
「違います…」
誤解を招いても仕方が無いのだが、あえてこういった服を彼女には着て貰う必要がある。
その必要については後で説明するから。
白地に、翼が生えたピンクと赤のハートの模様がたくさん散らばったタートルと、
赤いタータンチェックのひだが入ったスカート、
おまけで、天辺にぼんぼんがついたオレンジと白のストライプのニット帽。
それらを長門さんに手渡して、試着室に入って貰う。
試着室のカーテンが閉まったのと同時に、僕はそこから少し離れた男性向けの服を見るとはなしに見て回る。
着替え終えた長門さんが小部屋から出て来て、直ぐに僕を見つけられる程度の距離にとどまる。
いや別に、近くだと衣擦れの音が聞こえそうだったから、とかではない。
ないない、と僕が緩く頭を振っていると、カーテンが開く音がした。
「古泉一樹」
彼女は小部屋から顔を覗かせて、僕を見てそう呼ぶと、
半回転して部屋に設置されている全身を映す鏡の方を向いた。
僕もそちらへ向かう。
「どう?」
「良くお似合いですよ」
鏡の中の長門さんは、小柄なのと、少しばかり幼顔なのとで、僕が選んだ子ども服を完璧に着こなしていた。
「これなら小学校高学年、もしくは中学一年生でも通用するでしょうね」
「やはり幼女趣味…俗的に言えばロリコン」
「違いますってば。直ぐに解りますよ」
もう一度制服に着替えて貰って、レジで会計を済ませる。
紺のソックスだと不自然か、と追加したピンクと白のストライプのオーバーニーも一緒だ。
レジにいた店員さんに頼んで値札を切ってもらう。
その時の店員さんの、高校の制服を着た長門さんと、彼女に相応しくない子ども服と、
お金を出してお釣を受け取った僕を順に見たあの目は当分忘れられそうもない。
それについては後でたっぷりショックを受けるとして、今は今すべきことに全力投球しよう。
買ったばかりの服をまた長門さんに着て貰い、これで準備は整った。
つまり本来の目的はこれからだ。
脳内にミッションインポッシブルの音楽が流れる。
僕は深呼吸をして、長門さんを連れ、レジから最も離れた所にいる女性の店員さんに声を掛ける。
「あの、すみません」
「はい、どうされました?」
営業スマイルを浮かべ、店員さんが振り向く。
対する僕も、
ぼろが出ませんように出ませんように、
といつもの営業スマイルを装備する。
「この子に、上の下着を見て下さいませんか」
ここで、店員さんの目線が長門さんに移動する。
「母も来る予定だったのですが、直前になって急用が入りまして。
仕方無く、こうしてふたりで来たのはいいのですが、如何せん勝手が解らず…」
どうだ、名付けて、
『お兄ちゃんだけじゃどうしていいかわかんなくて、
ここは女性店員に成長期を迎えた妹を任ることにした…感じに見えますように作戦』
だ!!縮めてわたおに作戦!
「あら、まあ。
確かに、こればっかりはお兄ちゃんでは難しいでしょうね。
かしこまりました。お任せ下さい」
いよっし、上手いこと騙されてくれた。
心の中でガッツポーズをする僕の横で、長門さんは、
「なるほど…」
と呟いて僕を見上げた。
あなたのお察しの通りですよ、長門さん。
いくらなんでも、高校生がしてないのは色々と危ないだろうし、
着替えの際、クラスメイトの中で彼女が悪目立ちしているのが、安易に想像できてしまうので、
もう一度、小さな親切大きなお世話、とやらをさせて頂こう。
「妹さん、こちらにどうぞ」
動かない長門さんの背中を僕は押して、店員さんの方へ誘導した。
カモフラージュは完璧だ。
同じ高校の制服を着た男女でこれを頼んだら、
お前どんな変態だよ、
と思われても仕方が無いが、今の僕達の服装なら、兄妹に見えるので何ら問題は無い。
しかし、
「彼は私の兄ではない」
ニヤリ、と長門さんが無表情の中にも、悪戯めいた笑みを滲ませたような気がした。
「愛人」
愛人……って…
「援交…?」
店員さんの口から恐ろしい単語が出て、僕はぶんぶん首を左右に振った。
「有希!」
兄らしくするために、と長門さんを呼び捨てにすると、彼女はきょとんとして僕を見つめた。
珍しい表情だ。
「食品売り場にいるから!
店員さんに迷惑かけんなよ!」
妹設定の長門さんに通常の丁寧語もおかしいので、それもかなぐりすててて、
財布から樋口を引き抜いて彼女に押しつけ、エスカレーターに直行する。
あのままでいれば、あること無いこと言われかねない。
一気に疲れて、しばらく壁にもたれて落ち着いてから、
買い物カートに寄り掛かるようにして、夕飯の材料を見て回る。
片手で食べられるもの、お箸を使わないもの…
オムライスなら条件にぴったり当てはまるな、
と、卵を取ってかごに入れようとしたのと、その音は全く同時に響いた。

ピンポンパンポーン

『古泉一樹様、古泉一樹様。
お連れの古泉有希様がお待ちです。
至急、六階迷子センターまでお越し下さい』
ぽろ、ぐしゃっ、と卵が床に落ちた。
えええー…
食品売り場にいるって言ったのに!!
っていうか、古泉有希って誰!?

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