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 僕はずり落ちた鞄を拾うことすら思い付かず、ただただその場に固まっていた。
考えて欲しい。半時間程前に帰り道が分裂した所で別れた筈のサークル仲間が、
家に帰ってみれば玄関の少し奥で正座をかましていたのだ。
鍵は掛かっていたと言うのに。
宇宙人や未来人の仕業でなければ想像すらできないような事態に直面しても冷静でいられるように、
それ相応の訓練は機関で受けているが、今の状態に涼宮さんが関連しているとは思えないし
取り繕う必要も無いので素直に絶句することにした。
そもそも長門さん相手に演技は無駄だ。直ぐに見破られる。
長門さんは正座から立ち上がり、一向に動かない僕の代わりに足元の鞄を拾った。
「あの、長門さん」
「何」
「鍵の解除は、カマドウマの部長氏の時みたいに…?」
「安心して。
今回は情報を操作したのではない」
長門さんはそう言って、ポケットから針金やら錐やらを取り出した。
「あなたの隣人が偶然目撃する可能性を考慮し、
鍵を用いずに侵入を果した説明がつく様、極めて原始的な手段を使った」
ピッキング…!!
それこそ見られたら通報ものではないか、と僕が軽く目眩を覚えていると、
長門さんは構わず鞄を居間のテーブルの上に置いた。
「本日、あなた達と別れた後、私は利き手が使用不可能という条件の下に行う、
最低限の生活活動をシミュレートした」
彼女はそのまま箪笥から適当なトレーナーとジャージを引っ張り出して、玄関に戻ってきた。
「結果。スムーズとは言い難い。
なので、生活活動を円滑にするべく、あなたの家を検索し、あなたの帰宅を待つことにした」
長門さんなら、僕の通学路とは別の道を、距離的には遠回りになって僕のマンションに向かったとしても、
僕より早く到着する手段を確実に持っているんだろう。
彼女はそう言いながら、僕のブレザーの襟に手を掛ける。すったもんだ再び、か。
しかも今回は体育前の時のように着替えなくても良い、と言い訳もできない。
帰宅しても制服を着たままだという学生は滅多にいないだろうから。目の前に例外がいるけど。
「あなたの利き手が通常の機能を成さなくなったのは私のせい。
あなたの手が完治するまで私があなたの生活をサポートする」
もっともらしいことを言っているように聞こえるが、
なら左利きにしてくれたらいいのに、と思う。
実際そう言ったら彼女曰く、それは不自然らしい。
不自然と言う程不自然ではないような…?
「ひとりで着替えられます。昨日もなんとかなりましたから。
そこまで心配して頂かなくても」
「不可能ではないが、それでは時間が掛かる。
やはりサポートが必要」
「いえ本当にいいですから!って長門さん聞いてます?」
てきぱきとブレザーのボタンを外してハンガーに掛けた長門さんは、
続いてネクタイを解きにかかった。
どうしよう。いや別に、僕は男だし、見られて困るようなことは無いのだが、
だからと言って同級生の女の子に脱がされる事に抵抗が無い訳が無い。
「いいです、本当に。
自分でやれますから!」
「私が手伝った方が早い」
いや、それはそうかもしれないけど。
あなたはもう少し抵抗を持つべきです。
それとも、インターフェイスにはそういった概念は存在しないのだろうか。
ワイシャツを脱がされて、トレーナーを被される。
次に長門さんの手がベルトに伸びて、僕はこれはシャレにならないとこめかみに汗を浮かべた。
「いやもうマジでいいです止めて下さい止めてくだ」「黙って」
口じゃ駄目だ。僕は彼女を止めるべく手首を掴もうとした。で、
「邪魔」
やっぱりはたかれた。
「終わり」
結局、抵抗も虚しく、ズボンまでばっちり制服から私服に着替えさせられてしまった…
涼宮さんにコスプレさせられている朝比奈さんもこんな感じだったのだろうか…
涼宮さんのご機嫌がそれで保てるのなら、朝比奈さんには悪いけど彼女を止める訳にはいかないな、
と今まで特に何も言ってこなかったが、結構キツいなこれ…精神的に……
目茶苦茶恥ずかしい上に情けない…
いやでも涼宮さんも朝比奈さんも女の子だが、
僕と長門さんはそうじゃないから、朝比奈さんの方がまだマシだよな…?
だったら、
自分がその立場に立ってみて、初めてその人の辛さが解ったから
次こそは見て見ぬフリを止める、という決意に結びつけなくてもいいよな…?
涼宮さんのお楽しみを、常にイエスマンである僕が阻止して、
機嫌を損ねた彼女に閉鎖空間を発生させる訳にはいかない。
朝比奈さん、これからも副団長は、
団長が平団員に振るう暴挙に対し、見て見ぬフリを貫き通します。
お力になれなくて、本当に申し訳ない。
そうやって現実逃避のために朝比奈さんに謝っている間にも、
長門さんはベランダに干してある洗濯物を取り込み、凄いスピードで畳んで収納している。
ありがたいような、傍迷惑なような…
悪気が無いのは解るんだけど…
「何が好き?」
全ての衣服――シャツじゃない方の下着もな…――を箪笥にしまい終わった長門さんは、
今度は冷蔵庫の前に立ち、ソファでぐったりとしている僕を見ていた。
どうやら夕食まで作ってくれるらしい。
「何でもいいです…」
「何でもいいが一番困る」
どこぞの主婦かよ…
いや、この状態で主婦なんて感想を持ったら誤解の元なので。
どこぞのおかんかよ…
にしておこう。
「長門さんが好きなのでいいです…」
「カレー」
左様でございますか、
と僕は、冷蔵庫の野菜室からにんじんを取り出す長門さんを尻目にソファに仰向きで寝っ転がった。
が、直ぐに長門さんにトレーナーの裾を引っ張られた。
「どうされました?」
目の上に置いていた腕をずらす。
長門さんがカレールーを片手に僕を見下ろしていた。
「あなたの家のカレーはルー?」
「そうですけど…?」
「甘い」
「甘口ではないですよ」
「違う。
私は甘い?ではなく、甘い、と言った」
「ええ…??」
「カレー粉ならざる物はカレーにあらず。
ルーなど邪道もいいところ…粉を買ってくる。
あと福神漬けも。
たくあんごときが福神漬けに成り代われると思っているのなら、あなたの考えは相当甘い」
「それは…すみません」
どうやら長門さんは、カレーに並々ならぬ信念を持っているらしい。
作るのは彼女で、僕はただ食べるだけになるだろうから、彼女の好きにしてもらう。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
扉の向こうに消える背中に声を掛けた。
完璧に閉じてから、一緒に行くべきだったのかも、と思った。

いつの間にか眠っていたらしい。
いい匂いが鼻をくすぐって、目が覚めた。
むくりと起き上がると、毛布が体からずり落ちた。
買い物から戻ってきた彼女が掛けてくれたらしい。
やっぱり一緒に行くべきだったな、と今更後悔する。
くつくつと、カレーが煮込まれる音がする方に目を向ける。
そうして目に入った、台所に立ち、鍋をお玉でかき混ぜる長門さんに、
ほんっとに、ほんーっとーに、ほんとのほんとに、
なーんの下心も無しに、自分でも気付かない内に背後に立って。
腰の辺りで結ばれたエプロンのリボンに呼ばれた気がして。
顎を彼女のつむじに乗せていた。
…………おい一樹、お前何してんだ……
「何?」
「さあ…なんでしょうねえ…」
僕が喋ると、置かれたままの顎がかくんかくん動いて、長門さんの頭も揺れた。
こんな行動を取った意味も理由も理解不能だが、僕は、
何してんだ、長門さんを怒らせたらどうする、げんこつ程度で済む筈ないだろ、
と自分に警報を発しながら
不思議とその反対側では落ち着いていた。
かと言って、この様なことに慣れている訳では断じて無い。
奥手と言う程奥手では無い、と自分では思うが、
あんた手え早そうな面してんのに案外むっつりよねえ、
と森さんに言われる位には奥手なのかもしれない。しかし、むっつりだと言うのは全面的に否定しておきたい。
別にその森さんと何かあった訳ではない、ないない。
大体、高校生で手が早いと言ったって、限度がしれてるだろう。
たぶん、会ったその日にキス、その程度だと思う。知らないけれど。
僕はそこまで乱れていない。ないったらない。
見た目がそうだったとしても。…と言うより、手が早そうな見た目って何だ。
邪魔だ、調子に乗るな、
とカレーにまみれたお玉でぶん殴られるのも時間の問題か、と思っているのだが、
相変わらず長門さんは、居心地が悪そうな様子すら見せず、怪しい薬を調合している魔女のように鍋の中身を混ぜている。
「お怒りにならないんですか?」
「なる必要が無い。
調理の邪魔なのは否めないが、無視できるレベル。
夕飯ならもうすぐできる」
どうやら本当にそういった概念を彼女は持っていないようだ。
今ポケットに突っ込んでいる両手を長門さんのお腹辺りに回したら、少しは反応を示すだろうか、
と、いよいよむっつりだと言われても反論できない考えが浮かんできた所で、
僕は彼女から一歩離れた。
ついさっきまで、ちょっとした重りが乗っていた頭を、長門さんは低くして火を切った。
「できた」
居間まで鍋を長門さんが運んで、僕は皿にご飯を盛った。
「美味しそうですね」
「味は保証する」
頼もしく長門さんは言って、コップにお茶を注いだ。
カレーからは本当にいい匂いがして、僕が想像もできないような異物が入っている訳でもなさそうだし、
スプーンはお箸のように利き手でないと上手く使えない物ではないし、ふう、良かった。
長門さんはコップを手にして、しかし口元にではなく、目の高さに持ち上げた。
「乾杯」
何に?
「あなたのキャラクターソングの発売を祝って」
「ああ、ありがとうございます」
僕もコップを持ち上げる。
そうか、色々あったから、っていうかその色々は現在進行形なんだけど、すっかり忘れていた。
しかし、長門さん達の後に朝倉涼子や鶴屋さんや喜緑さんや彼の妹を挟んで僕と彼か…
えらく長かったなあ、もう一生出ないかと思ってた……
「しかし問題がある」
「えーと、目茶苦茶しゃくですが…需要ですか?」
「それもある。
しかしそれ以上に深刻」
「?」
「あなたの中の人は、彼の中の人程ではないが、それでも相当なおん」「かーんぱーい!!」
強引に僕はコップ同士をぶつけた。
危ねえ…もう少しでNGワードだった…
いや、これはもう言い切ったのと同じか?
長門さんはガラス同士が乱暴にぶつかった嫌な音にも、
少し跳ねたお茶にもびくともせず、一口飲んだだけだった。
彼女はしばらくの間、僕がスプーンを左手で口に運ぶのを見て、
何も言わずに聞かずに見ていた。

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