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海中に零れる太陽光は、雲間から射すそれによく似ていた。



(あの美しい現象は、一体何と言ったっけ)


幼少期、よじ登った境内の大木から見えた、空と海を繋ぐ美しい光の線。

その眩しさに目を眇ていると、ふ、と英国の友人の流暢な英語が耳に蘇った。


(ああそうか…)

神の使者の名を戴いたその名。

宗教と結び付けられる程神々しい現象。


だが、息苦しさに堪え、こちらをじっと眺めてくる男の顔を見上げながら、その現象の名を和訳した草加は、状況を忘れて思わず吹き出しそうになった。


(我ながら明らかに配役を間違ってる…)


ごぽり、と漏れた空気が歪んだ円を描いて海上へと昇っていく。


その速度が常よりも速く見えるのは、空気とは逆に自分の体が沈んでいっているからだろうか。


ゆらゆら揺れる青黒い視界の中で、彼の厳つい顔がぐしゃりと歪む。

辛そうなその表情とは逆に、自分の心は鎮まっていくのを感じながら、草加は思わず微笑んだ。


今まで自分がしてきた事を忘れた訳でもないだろうに、最後の最期までそんな顔をするだなんて、やはりその訳は間違っていないのかもしれない。




彼と出会ってから今この瞬間まで、一度も彼を裏切ったつもりはなかった。

全ては彼とは違う信念に従い動いただけ。

だからこんな事態になっても何等罪悪感は感じない。


(そう、私は間違った事はしていない)


それは流れ出る血潮で黒い縞を描きながら、海中へと沈みつつある今も変わらずに抱いている思いだ。


(だが、彼を傷付けなかったとは到底言えない)


垣間見た未来を元に、新しい『未来』を作ろうとした自分を、彼は最後まで許さなかった。

新しい未来を切り開く為に必死だった自分。
そんな自分を止めようと、何処までも必死で追ってきた彼。

そんな二人の間で、一体幾つの命が零れたのだろう。


(それでも罪悪感を感じる所か、後悔もしていない私は、きっと希代の悪人なのだろうな…)


思わず苦笑する。

また空気が漏れ、いびつなシャボンが生まれる。

先程より小さなそれと同じものが、頭上でも零れるのが見えた。

太陽の光を受けて白く輝くそれは、例えようもなく美しかった。


(ああほら、早く)


貴方は行かなくてはいけない。

まだやる事が、自分が託した願いがある筈。

後数秒しか持たないだろう、命の泡なんかの消滅を見届ける必要なんかないのに。


(だけど、そんな所が、何処までも貴方らしい)


太い眉が微かに痙攣して見えるのは、自分の目が見せる幻覚だろうか。

ぎゅうと固く握りしめられた片手に、先程までの温もりを思い出す。


いつか彼と出会った時と酷似した状況。

違うのは、自分の意識があった事と、もう助からないと悟っていた事。

彼が自分の思いをきちんと理解していた事。


(きっと私は、彼が救う事を諦めた初めての命になるのだろう)


そして最後の命でもあるのだろう。

途方もなく寛容な心を持つ彼が、命を見捨てる訳がない。

それを自分以外の誰かが懇願した所で、きっと彼は許さない。


ふうっと体の奥が熱くなる。
歓喜によく似たそれに、草加は一人頬を緩める。


(それはなんて尊い幸福なのだろう)


頑なに元の世界にこだわる彼に、他の可能性を示したかった。

自分が築くより良い未来を提示して、彼に見ていて欲しかった。


それは、『ジパング』を築くという野望の裏に、ひっそりと巣くっていた願い。



(そうだ私は、私と貴方が出会ったのは決して無駄ではないと知ってほしかったのだ)


愛情でも憎悪でもいい、彼の中で1番大きな存在でいたかった。

例え元の世界へ戻ったとしても忘れられない位鮮烈な存在。


未来を変えようとした、愚かな一人の男として、彼の中にいつまでも存在したかったのだ。


(愚かだ)


笑ってももう零れる酸素はない。

その代わり、ぼんやりと開いたままの目尻が僅かに暖かかった。

久しぶりのその感覚に、草加は戸惑い、笑った。



(なに、構わないさ)


ほんの少し零れたそれは、誰にも知られずに海へと溶ける。

海水と同じ塩分を含むその雫は、次第に離れていく彼の唇に届くだろうか。



沈みながら最後に見上げた天は、何処までも青い海で覆われていた。

自分の邪な思いの表れのように、元は赤かった血潮が黒く海をたゆたっている。

その遥か上、海面に、もう陰にしか見えない彼の体が浮かんでいた。



(ああやはり、間違いじゃなかった)


その手が微かに自分に向かって伸ばされたのを眺めたのを最後に、草加は静かに目を閉じた。








“天使の梯子”














懐かしい階級で呼ばれて目を開くと、いつかに失った者達がそこにいた

躊躇う間もなく飛び付いてきたかつての部下のぐしゃぐしゃな泣きっ面に、草加は久々に声を上げて笑った














お疲れ様。
おやすみなさい。

これからもそこで、『みらい』を見ていてね。


09.7.30


あきゅろす。
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