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雲雀がおかしくなった。

学校は朝からその話題で持ちきりだった。
見た人(と言ってもほとんど全生徒が見たらしい)の証言によると、いつものように校門を抜けてきた雲雀は、応接室に向かわずにそのまま、校舎のある一点で立ち止まりしばらく固まっていたらしい。それも何故か、校舎に向き合う形で、少し空を見上げるような姿勢で。そのため教室では、宇宙と交信していたとか足元にてんとう虫がいて踏まないようにしていたとか、召喚の儀式の最中だったとか、様々に噂が飛び交っていた。(並中生にとっての雲雀は、一種の伝説である)
俺も朝練のかたわら少し見かけたけれど、ちょっと異様だった。まぁ雲雀ならそんな日も有るのかもしれない、けど。


「なぁ、山本はどう思う?」

クラスの1人に話しかけられて、俺は曖昧に笑った。個人的にはてんとう虫説がいちばん有力だと思っている。何せあの雲雀だし。けど。

「んー‥別にさ、何でもなかったんじゃね?校舎の点検とか」
「えぇー、そうかあ?」
「じゃあ屋上に基地作る計画立ててたとか」
「あ、それ有りだな!」
肩を叩かれながら、自分でもちょっと有りかもしれない気がした。あるいは屋上の有料化とか(雲雀ならやりかねない)。

「―そういえばさぁ、」

ふと思い出したようにそいつが振り向いた。


「山本が落ちたのも今ごろだったよなぁ」


俺は1回、本当にどうかしていたとしか思えないけれど、屋上から飛び降りようとしたことがある。もちろん冗談なんかじゃなくて、本気で。重力に引っ張られて地面に打ち付けられて、この世から消え去るつもりだった。
当時の俺の世界は今以上にもっと狭くて、しょうもなくて、俺は、本気で死ぬつもりだった。
普段の行いが良かったのか悪かったのか、行き過ぎたふざけで片付けられたけど、クラスの奴らが安心して教室に帰っていく間、俺はツナに凭れてひたすら泣いていた。
あの時初めて、呼吸したと思った。
ちょうど1年前の、はなし。





視界が開ける。吹いてきた風にほんのすこし目を細めて、一歩踏み出した。踵を履き潰した上靴とコンクリートが擦れて、ずり、と音をたてる。
あの一件以来新しくされたフェンスはまだ錆びもなく頑丈で、手をかけると、かし、と冷たい音がした。網目の向こうに青空が見える。あの日も、こんな風に晴れていた。


「また落ちるの?」

不意に聞こえた声に振り向くと、噂のてんとう虫の委員長だった。腕組みをして、さっきの俺みたく目を細めて(というより、しかめて?)いる。
「何だ、知ってたのか?」
「当たり前だろ。僕を誰だと思ってるの」
「んー?並盛中の風紀委員長さまさま」
雲雀は当然だと言うように鼻を鳴らして、俺の横で片足で軽くフェンスを押した。強度チェックらしい。ずいぶん荒っぽいけど。
雲雀の上靴の裏側でゴム材がしなる。眺めながら次の言葉を待ったけれど、ゴムのぐぐ、という音以外何も続かなかった。

「‥何も聞かねーの?」
「…‥何か聞かれたいの?」
「や、そうじゃねーけど…」
「ふざけてたとか、フェンスの外で足をすべらせたとかって聞いてる。生徒が落ちて、フェンスが壊れた。それだけ分かれば報告書ぐらい書けるよ」
あとは興味ない、と言ってフェンスから離れた。
本当に興味がないだけかもしれないけど、雲雀の無関心さは、時々俺を救う(多分本人は気付いてない)。

長い息を吐いて、俺はコンクリートに横になった。遠くで、プールのホイッスルと号令が聞こえた。次の授業はもう間に合わないだろう。

「‥ヒバリ、いい天気だな」
「何いきなり。しかもどうでもいい」
「俺さ、前まで空がどんな感じとか全然知らなかったんだよ」

やわらかいグラウンドと汚れたダイヤモンドとバットの金属音、それから、空を切る白球。
俺の世界をつくるのは、それだけだった。それしかなかった。
喋る相手も居て普通に笑っていても、どこにもいる気がしなかった。宙ぶらりんで、中途半端で、ぼんやり、フィルターの向こうの世界を見ている感覚。さみしくなかったけれど、おもしろくもなかった。ただぼんやり、突っ立っていた。

野球が全部だった。それしかないと思っていた。

だから急にうまくいかなくなって、焦った。いらいらして、無茶苦茶にして、先に身体が音を上げた。俺の腕は、簡単に折れた。
大したことなんかじゃないって分かってたし、怪我だってすぐに治るもので、スランプだっていつか終わるはずと知っていた。だから大丈夫だと思っていた、のに。
次の日の朝、気付いたら屋上にいた。


「―空がきれいだなって思ったんだ、その日。きれいだなって思って、そのまま何となく階段上って、屋上にいた」
「……何でそれで落ちるの」
「うーん…空に還りたくなって?」
「は?」

何だかやたらと水色が澄んでて、広くてしずかで、きれいに見えた。突いたら落ちてきそうなぐらい、なめらかだった。あの中に溶けたいと思った。それで全部終わる気がした。

「馬鹿だなぁとか、今なら思うんだけど。あの時、何も知らなかったから」

落ちていくとき、上靴の下にさっきまで見ていた空があった。空を踏んだ俺の上靴。
俺は下に向かって落ちていってるのに、空だけがやたらきれいで腹が立った。それから、怖くなった。死にたくなかった。


「宙ぶらりんの人間に誰が会いに来てくれるのかと思ってたのに、ツナがいたんだ。飛び出してきて、近くにいて、話してくれた。あぁ今繋がったなあって。呼吸したって、思った」
「…‥そう」
「‥‥つまんない話だったか?」
「まあね。僕には関係ない」

その割にちゃんと聞いてくれるのは、たぶん優しいからだと思う。雲雀は、学ランをなびかせて汗一つかかないでフェンスの向こうを見ていた。青空と、並盛の町が見える。

あの時死なないで良かった。雲雀の大事な並盛を、並中を汚してしまうところだった。そんな事はしたくない。


「―"飛び降りてみれば、必ずどこかに着地する"」


え、声を上げて雲雀を見上げた。学ランの裏地の赤色と、カッターシャツの白がちらちらする。
「ローレンスっていうイギリスの作家の言葉。本で読んだ」
「へぇ…‥」

くるりと振り向いて、少し潰れた、くしゃりとした笑い顔が俺を見下ろした。


「でも君は、どこにも着地しなかったね」


言葉の意味を受けとるより前に、すたすたと足音が遠ざかっていった。学ランが揺らめきながら校舎の中に消えていく。飛び降り、着地?呟いてはっとした。


俺の飛び降りた日に、屋上の下に立っていた雲雀。何かを待つみたいに、固まって、空を見上げて。てんとう虫でも宇宙人でもなくて、あれは。雲雀が待っていた、のは。



「ヒバリ!!」


慌てて起き上がって、後を追った。





アンダーワールド









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