「やっぱり…」 玄関から出てみたら雨が降っている。朝は晴れていたので、あまり気にしていなかったのだ。天気予報のことなんて。 雨が玄関の屋根にあたって、誰もいない玄関に音が響く。外に出てみたらなんとも無いのだろうが、中にいると思ったより音が大きい。 ──『寒冷前線』、だっけ。 昨日やった理科を思い出す。たしか、急に温度が下がって、強い、にわか雨が降る。降る時間は2、3時間。 そう言えば寒い。玄関に誰もいない淋しさからか。 クラスルームの間、恐ろしく眠くなって寝てしまい、帰るのが遅くなってしまった。今は誰もいない。 この音響く玄関に、自分一人だけ。 「傘、傘っと……て、あり?」 いつも入れっぱなしの傘が無い。こんな時に必要な折り畳み傘が無い。 俺はため息をつく。 すごい雨が降ってる中、傘もささずに走って帰るか、2時間くらい雨がやむのを待つか。 俺は迷わず、選んだ。 玄関の引き戸を押して、外に出る。後ろからは雨の音が。前には雨の飛沫が。外にある屋根なんか、こういう時に何も役に立たない。一気に風と共に雨が体に当たる。 傘をさした女子が、10メートルほど先に立っていた。 「…あ、」 さしてた傘が俺のと同じで、反応してしまった。あんな無地の紺色の折り畳み傘なんて、たくさんあるのに。 走って通り抜けようとした。 女子が顔をあげる。 「───!」 その顔を、俺はよく知っていた。 20年前くらいの時の、母さんだ。 足が止まる。その人の顔を見つめてしまう。 「…はい?」 俺がすごい顔をしていたのだろう。 母さんに似た人は、口を開いた。 名札も、母さんの旧姓で印されている。 「あ、いえ…」 俺は口籠もる。言える訳が無い。あなたが若い頃の母さんに瓜二つだ、なんて。 「傘、無いんですね」 「はい…まぁ、走って帰りますけど」 そう言って、俺は足を進めた。このままいると、変なことをいいそうだ。それは避けたい。 「では、」 当たる強い雨をうけ、走って家まで帰る。 なんなんだ、あれ。 なんで、あんなに母さんにそっくりで、なんで、あの女子は一昔前の制服なんて着てたんだ── 駄目だ。どうにかなりそうだ。ただ、若い頃の母さんに似た人が俺と同じ傘をさしていただけで。 ばしゃ、 考えごとをしていたら、水溜まりに、足をおもいっきりいれてしまった。 あぁ。足が濡れる── 「────っ!?」 意識が還ってきた。いや、目が覚めた…のか?夢だったらしい。あまりにもリアルだった。今いる世界が夢なのかと勘違いしそうなほど。 教室の机に着いている俺。クラスルームが今終わったらしい。騒がしい音に、頭がふらふらした。 「…知ってるかい?」 横から声が聞こえる。 横には、クラスメイトの男子が。 いつも机につっぷして、帰るとき来るとき茶色の帽子をかぶる、黒髪のきれいな、斜め前に座ってる男子。…なぜかな、名前がでてこない。 そいつは、指を自身の顎にあてた。どうやら、そいつのくせらしい。 「雨も時間も、似たようなものなんだよ」 一気に、夢か現実かを思い出す。 雨、母さん、風、音、玄関、女子、無い傘、紺色の傘、水溜まり──… 「…え?」 「あれは君の母さんだ。間違いない。ただ、いつもと違うのはね、君は違う次元に間違えて入っちゃっただけなのさ。母さんの次元にね。『今』という次元は1つかい?それは違う。君の今という次元、僕の今という次元、数えたらキリがない。その1つに、君の母さんの次元があっただけさ。」 「何が…」 そいつの口はまだ続く。 「時間は、1つにつながっているかい?そうとは限らないだろ?すぐ手に届く位置に、違う時間がある。ただ、その時間のつかみ方を知らないから、分からないんだ」 「…なんでお前、そんなに知ってる訳!?」 そいつの指が、動く。 艶めかしく。 「時間のつかみ方を、僕は知ってるからさ」 「…!?」 動いていた指が、僕に向いた。 「君も、ね」 ──あぁ。 俺は全てを理解した。 あの感覚に浸らないと分からない、真実。 こいつの言っていることは、本当だ。 やけに眠たくなったのも、そのせい。 「時間も水も、つかめないだろ?でも、容器があれば少しだけ、手に入れることができる。容器から溢れたとき、またつかめなくなる。そうしたら、容器を空けるしかない。そうだろ?」 「そうだな」 あいつは手を机の上に置き、方向を変え、帰ろうとする。 「──まってくれ」 それを俺が呼び止める。 あいつは振り返った。 「何?」 「あんたの名前が思い出せない。もしかしたら、お前…」 あいつは、茶色の帽子を深くかぶった。 「もしかしたら、だよ。本当は僕はここにいちゃいけない。今僕がここにいる次元は、君が今日行ったような、本当とは違う次元だ。もう…容器が満タンになってきた。」 ──あぁ、やっぱり。 あいつは、目の前にはいなかった。 そういうものだ。所詮。 外を見てみると、雨が降っている。鞄を開け、傘を探す。 鞄の中には紺色の折り畳み傘が入っていた。 そういえば、この傘は母さんから貰ったんだった。あの時、俺がもっていない訳だ。 傘を広げた。 何だか今日は、雨に打たれるのが無性に怖かった。 [グループ][ナビ] [HPリング] [管理] |