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豊田 
製作年 昭和62年(1987年)
大工 吉野為雄(吉為工務店)
彫師 筒井一門(木彫筒井工房)
木下頼定(舜刀彫木下彫刻所)
纏  
交差旗 無し 
町名旗 濃緑色地にで上部に十六菊紋と下部に「豊田」の町名の金刺繍。 
宮入(氏神) 桜井神社
工務店 地車製作隆匠
寸法 長さ p
高さ p
大屋根幅 p
内幅 p
重さ t
詳細 豊田は泉北高速鉄道栂・美木多駅より和泉中央駅側から上手に位置し、上神谷(にわだに)地区地車曳行の中心地。
元、栂や三木閉の母村に充たり、鎮守の八坂神社は明治43年、桜井神社に合祀される。
現地車は昭和62年9月27日に一部未完成ながら新調入魂式を行った上神谷地区初の岸和田型地車で、翌年の昭和63年完全完成。
大工は「吉為」初代棟梁、吉野為雄で、自身に取って最後に製作に携わった地車で、新調当時の大屋根は軒唐破風(二重破風)入母屋型であったが、平成18年「隆匠」こと田中隆治の手により大改修を受け、大屋根を普通の入母屋型に付け変え、9月3日に修理入魂式が執り行われた。
彫刻図柄に屋根周りが「義経記」、腰周りが「難波戦記」の統一彫であり、見送りは「大坂夏之陣」。
完成前年に木彫筒井工房責任者、筒井和男が突然他界した為、当時弟子であった、岸田恭司、近藤晃、跡目息子の筒井伸ら一門総出で製作し、補助に木下賢治実弟、木下頼定も加わり完成される。
先代は江戸時代末から明治初期にかけて製作されたとされる大阪型上地車で、大工、彫師は不明?。
大正10年頃に購入したと云われるも、昭和34年頃から曳行休止へ、昭和43年に曳行復帰し、19年振りに曳行再開。
現地車新調により吉為工務店に下取りされ、昭和62年、兵庫県尼崎市新三和に売却される。


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