助松町 
製作年 平成9年(1997年)
大工 池内幸一(池内工務店)
彫師 木下賢治(木下彫刻工芸)
纏 金色で梅鉢紋三面でその三つの端に白色の房を付けた纏頭に白色地で上部に黒線二本と「助松」と書かれた馬簾
交差旗 なし 
町名旗 紺色地で上部に梅鉢紋の金刺繍と下部に「助松」の町名の金刺繍
宮入(氏神) 助松神社
工務店 池内工務店
寸法 長さ p
高さ p
大屋根幅 p
内幅 p
重さ t
詳細 助松町は南海本線北助松駅より下手に位置し、泉大津12町連合の中で一番浜手で高石市寄りに位置する町。
氏神はかつて、助松神社と八幡神社の二社あったが、明治43年に八幡神社が助松神社に吸収合併される形で合祀され、現在に至る。
現地車は泉大津市初の平成新調地車であり、平成9年8月31日に新調入魂式を行い、大屋根は入母屋型の泉大津市最大級の岸和田型の大型地車。
又、泉大津市の地車で唯一、二段見送りを施した地車であり、土呂幕三面は「賤ヶ岳合戦」、見送り上段は「本能寺之変」、下段は「川中島合戦」を配している。
先代は江戸時代末期から明治初期に掛けて製作された元・岸和田市大町の地車で、都合により昭和31年に八尾市服部川の大工「大音」飯田松太郎に売却し、その後、昭和32、3年?頃に助松町の上林医院が購入し、同町に寄贈され、助松町地車として曳行し、現地車新調に伴い、池内工務店を通じて、同地区の池園町へ売却。
往古にはキタキとミナキの二台の地車があったが、ミナキの地車を売却か解体しキタキの地車がそのまま助松の地車になったと云われるが、その地車に関しての詳細は不明?
又、助松町には明治初期に製作された小型の岸和田型地車を子供地車として所有していたが、平成20年10月4日に堺市西区上野芝向ヶ丘町に売却す。


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