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やぐら部屋
貝掛(かいかけ) 
製作年度 昭和6年(1931年)
大工 不明?
彫師 不明?
彫り物 忠臣蔵
本幕製作元  
本幕刺繍 (前) 竹に虎
(右) 雲に阿龍
(左) 雲に吽龍
宮入(氏神) 波太神社と指出森神社
(貝掛と箱作東・西は宮当番で1年毎に加茂神社・指出森神社・菅原神社に宮入りをします。)
工務店 武輪建設
寸法 全長 b
全幅 b
全高 b(駒・新調時)
詳細 貝掛とは昔盗人が葛城村神於寺の宝物である法螺貝を持ち出して当地を過ぎる時、吹きもしない法螺貝が勝手に鳴るので恐れをなして貝を松に掛けて去ったという貝掛松の伝説によります
その貝掛松は明治29年5月の大風によって倒れてしまい今はその根のみになりました。
貝掛にある指出森神社(さしでもり)は元々は貝掛神社と称し神功皇后三韓を討って凱旋の時、ここに舟をつなげて武内宿彌皇子を抱いて海辺を逍遥した場所と言う言い伝えがあり応神天皇を祭る八幡宮でした。
やぐらは昭和30年代に波太神社馬場先にて曳行中に曳き手が大怪我をし、その後やぐらは曳行中止となる。
その後曳かなくなったやぐらの駒を泉南市信達六尾へ売却するが、昭和46年頃に曳行を再開する事になったが駒が無いので、当時曳行していなかった信達六尾へ、駒を買い戻しに行った所、駒だけではなくやぐら本体と本幕も一緒に買ってくれとの事で信達六尾の駒・本体・本幕を一括で購入し、指出森神社境内の以前のやぐらの横にあった倉庫に駒をはずし保存していたが、昭和60年に波有手組に売却
先代のやぐらは若い衆が新調を願って釈迦坊川の橋の上から落として壊して、彫り物は当時の各家庭へ配ったみたいです。
貝掛やぐら彫り物図柄一覧表
部位名称 彫り物図柄
大屋根廻り
鬼板 (前) 獅噛み
(後) 獅噛み
懸魚 (前) 鳳凰
(後) 雲に鶴
車板 (前) 
(後) 
枡合 (前) 
(右) 源平盛衰記 牛若 弁慶五条大橋の出会い
(左) 太平記 村上義光 錦の御旗奪還
虹梁 菊に若葉
欄間 忠臣蔵
(前) 吉良邸討入り 内蔵助陣太鼓を打つ
(右) 清水一学の奮戦
(左) 
長押 (前) 雲龍
(右) 雲海
(左) 雲海
柱巻 (右) 昇り龍
(左) 降り龍
小脇板 (右) 
(左) 
幕板 (右) 
(左) 
脇障子 (右) 
(左) 
兜桁 (右) 貝の文字
(左) 掛の文字
腰廻り
犬勾欄 (前) 瑞亀
(右) 瑞亀
(左) 瑞亀
凝宝珠勾欄 (勾欄合) 波濤
(タタラ束) 力神
内勾欄 阿吽の唐獅子
板勾欄 (前) 
(右) 
(左) 
縁葛 (前) 阿吽の唐獅子
(右) 唐子遊び 雪だるま遊び
(左) 唐子遊び 雪だるま遊び
小屋根廻り
鬼板 獅噛み
懸魚 鷲の猿掴み
車板 唐子遊び 戦遊び?
枡合 (後) 
(右) 太平記 児島高徳
(左) 
欄間 忠臣蔵
(右) 上野介召捕り
(左) 上野介召捕り
長押 雲海
柱巻 (右) 降り龍
(左) 昇り龍
幕板 (右) 虎退治
(左) 大鷲退治
板勾欄 (右) 玄武
(左) 玄武
縁葛 (右) 波濤
(左) 波濤
太鼓周り  
  
彫り物の詳細をご存知の方、又は間違い等有りましたら、管理人にメールか掲示板に書き込みお願いします。


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