詳細 | 貝掛とは昔盗人が葛城村神於寺の宝物である法螺貝を持ち出して当地を過ぎる時、吹きもしない法螺貝が勝手に鳴るので恐れをなして貝を松に掛けて去ったという貝掛松の伝説によります その貝掛松は明治29年5月の大風によって倒れてしまい今はその根のみになりました。 貝掛にある指出森神社(さしでもり)は元々は貝掛神社と称し神功皇后三韓を討って凱旋の時、ここに舟をつなげて武内宿彌皇子を抱いて海辺を逍遥した場所と言う言い伝えがあり応神天皇を祭る八幡宮でした。 やぐらは昭和30年代に波太神社馬場先にて曳行中に曳き手が大怪我をし、その後やぐらは曳行中止となる。 その後曳かなくなったやぐらの駒を泉南市信達六尾へ売却するが、昭和46年頃に曳行を再開する事になったが駒が無いので、当時曳行していなかった信達六尾へ、駒を買い戻しに行った所、駒だけではなくやぐら本体と本幕も一緒に買ってくれとの事で信達六尾の駒・本体・本幕を一括で購入し、指出森神社境内の以前のやぐらの横にあった倉庫に駒をはずし保存していたが、昭和60年に波有手組に売却 先代のやぐらは若い衆が新調を願って釈迦坊川の橋の上から落として壊して、彫り物は当時の各家庭へ配ったみたいです。
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