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大宮 
製作年 昭和8年(1933年)
大工 植山宗一郎(大宗)
彫師 吉岡義峰
森曲江
纏 金色六角形三面に交差剣の中に「大」の字が入った纏頭に白シャクマと白色地に黒線二本入った馬簾
交差旗 紺色地で梅鉢紋と蔓柏紋の重ね金刺繍に「大宮」の文字の金刺繍
町名旗 紺色地で上部に梅鉢紋と蔓柏紋の重ね金刺繍と下部に「大宮」の町名の金刺繍 
宮入(氏神) 大森神社
工務店 植山工務店
寸法 長さ p
高さ p
大屋根幅 p
内幅 p
重さ t
詳細 大宮は熊取地区の上地区に属し、小垣内より山手、久保に隣接し、元・久保の枝村であり、旧称は「宮村」。
熊取町の総社、大森神社が鎮座する宮本に充たり、大森神社宮入宮出はトリを飾る11番目になる。
現地車は昭和8年に当町の地車として製作され、熊取の現存地車の中では最大級の大型地車であり、大工は「大宗」植山宗一郎、彫師は京彫、吉岡義峰と助は近江醒ヶ井の森曲江で、泉佐野市長滝西之番とは兄弟地車である。
大屋根は「大宗」製作地車には珍しく軒唐破風(二重破風)入母屋型で「大宗」製作の軒唐破風地車は他に2台(泉佐野市長滝西之番、岸和田市福田町)あるが、軒唐破風を残しているのは大宮のみ。
先代は明治30年頃製作された元・岸和田市中北町の地車で、大正5年に購入し、現地車新調により、昭和11年に岸和田市別所町の大工を通じて和泉市幸町へ売却され、昭和63年まで曳行されるも、その後、野ざらしにされ、平成5年7月に解体処分され現存せず。
江戸時代に記載された「中家文書」には「地車」と記され、江戸時代にも大宮には地車が存在していた。


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