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野田 
製作年 明治20年(1887年)
大工 大崎平兵衛(大平)
彫師 安田卯ノ丸

纏 水牛を模り、縦に「野田」と書かれた木彫の纏頭に白シャクマと白色地で下部に黒色煉瓦模様(野田法被柄と同じ)の馬簾
交差旗 紺色地で梅鉢紋の金刺繍に「野田区」の文字の金刺繍
町名旗 紺色地で上部に梅鉢紋の金刺繍と下部に「野田区」の町名の金刺繍 
宮入(氏神) 大森神社
工務店 大下工務店
寸法 長さ p
高さ p
大屋根幅 p
内幅 p
重さ t
詳細 野田は熊取地区の下地区に属し、紺屋と小垣内の間に位置し、熊取町役場が所在し、熊取の行政の中心地であり、江戸期に野田、朝代、成合(地車無し)の三ケ村が合併して野田村となったが町会としては存在し、大森神社宮入宮出は6番目である。
現地車は明治20年に岸和田市堺町の先代地車として製作され、完全完成は明治22年5月6日で、大屋根は切妻型。
堺町が現地車新調に伴い、大正11年、当町数人の若衆が自主的に当時の金額で4300円の大金を払って購入。
この地車は大工、「大平」こと大崎平兵衛、彫師は安田卯ノ丸で、「岸和田型地車の白眉」と呼ばれ、後に製作される岸和田型地車の見本となった地車で、手放した堺町も度々買い戻して欲しいと云われた程の名地車であり、小垣内地車が新調した事により、小谷地車と並び、熊取最古の貴重な明治時代製作の現役地車であり、土呂幕三面の「大平記」、見送り「大坂夏之陣」の図柄は現・堺町地車に世襲されている。
昭和59年に大工、大下工務店、彫師、木下頼定により、大改修を受け、平成16年に再び大下工務店にて改修され10月3日に入魂式を行い現在に至る。
先代は小さな地車であったらしいが詳細は不明?
江戸時代に記載された「中家文書」には野田の事は記載されず、江戸時代に野田が地車を所有していたのかは不明?


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