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怪盗パルフェ


今日は新聞を読むのを忘れていた。

あたりを見回してお客がいないことを確認してから、レジのカギを締めて、カウンターを抜け出す。少しだけ暗い店内から外を眺めても、今にも入ってきそうな人は見当たらなかった。

自動ドアのスイッチを切って、一気に重たくなった大きなガラス板を手で無理やりこじ開け、外に出る。店のすぐ裏手にあるコンビニまでは、歩いて3分もかからない距離だ。

新聞はわりと読む方だけれど、うちでは特に定期購読はしていないので、何か気になった事件が聞こえてきたときだけ、コンビニで買うようにしている。
今日も朝のうちに買っておこうと、昨日のうちから思っていたのに。
フルーツ専門の問屋さんが営業に来たり、来月に行われる町内のお祭りで出すクレープの味について考えたり、時折やってくるお客さんのレジを打ったり、そういった仕事をこなしているうちに、買いに行くのをすっかり忘れてしまっていた。

昼下がりの気だるい時間だ。
お茶の時間まではまだ余裕があるから、多少店を留守にしてもかまわないだろう。
どうせほんの数分のことだ。

通りのつきあたりをぐるりと回って表通りへ。
角から駅の方角に向かって二軒目が、うちの店の真裏に位置するコンビニだ。
入り口のところに設置されたマガジンラックからいつものようにこのへんで一番幅を利かせている地方紙を一部とって、レジへ向かう。代金を支払いながらアルバイトのお姉さんにビニール袋を断って、新聞をそのまま手に持ちながら外に出た。

ふたたび角を曲がり、通りの裏面へ。
歩きながら、新聞を広げた。目当ての記事は、めくって、めくって、三面にあった。
三面記事じゃないか。

黒い枠に白抜きの文字が躍る見出しを眺め、記事の内容に移ろうとした時、小さな洋菓子店の前、開かない自動ドアに人が二人立っているのが見えた。

「すみません、今開けます!」

新聞を適当に畳みながら慌てて駆け寄る。私の声にその二人は振り向いて、軽く頭を下げた。

「いや、お休みかと思いましたよ。しかしお店のなかには、電気がついておられるものですから」

真夏を思わせるような陽射しだというのに、二人の男性は、どちらも沈んだ色のスーツをきっちりと着込んでいる。
私と二人だけ、ほかにはこの通りに誰もいない。
自分の着ている半袖とスカートが急に場違いなものに思えて、視線を空中にさまよわせた。昼下がりの光が目を射ってまぶしい。むきだしの首筋にじわりと汗がにじんだ。

ひとりは年嵩の男性だ。人の良さそうな笑顔を浮かべて、額の汗を――やはり暑いのだ――手のひらで拭っている。
もうひとりはずいぶん若い。おにいさん、という呼称が十分通る年齢に見えた。年嵩の方の人よりは暑さに強いのか、だいぶ涼しげな表情をしている。

「ちょっとだけ買い物に出ていたんです。裏のコンビニまで。お待たせしてすみませんでした」
「ほうそれは。失礼ですが、他にお店番の方はいらっしゃらないのですかな?いや、すみません、単純な興味からの質問なのですがね」

決して文句ではありませんよとでも言いたげに、年嵩の男性は軽く顔の前で大きな手を揺らす。

「いつもは父と母が二人で店に立っているのですが、今日はどちらも夜まで留守にしているもので。代わりに私が一人で店番、というか留守番をしているのです」
「なるほど、そうでしたか。若いのにご立派ですな。しかしあれです、最近物騒ですからね、十分にお気をつけなさるといい」

年嵩の男性は、すぐ後ろに立っている若い男性を振り返って、目配せをする。

「昨日のことはご存じですかな?」

昨日のこと、言えば、このあたりはもちろん、市内一帯昨日以降、というか昨日の明方以降ずっと、「あの」話題でもちきりだ。
もちろん知らないはずがない。

「もちろんです。今も、その件で新聞でも読もうかと思って、それを買いに留守にしていたところですから」

ほら、というように、二人に向かって先程雑に畳んだ新聞を振って見せる。
しかしケーキやクッキーを買いに来たお客さんともちょっと違う気がするけれど、この二人は何をしに来たどこの誰だろうか。
出来ることなら、店に戻ってカウンターのなかでのんびり新聞の続きを読みたかったのだけれど。

「実は今こうしてお店に伺っているのは、それと関係があるのですよ。昨日の明方に、ひとつ向こうの通りで起きた盗難事件――世間では『レモンシロップの宝石事件』と呼ばれているそうですな。その事件について、お話を伺いに、と」

申し遅れました、と付け足して年嵩の男性がポケットから小さな手帳を取り出して、ぱかりと開いて見せた。

「私は警察の者で、和三盆と申します」

続いて、後ろの若い男性も同じく手帳を出して、中を開いて見せる。

「黒蜜糖です」

顔写真の貼り付いたそれは、よくテレビドラマで見かけるのと同じだった。
というか、普通に暮らしていればテレビドラマくらいでしか見かけないものだった。

警察手帳。
この地区にある警察署の名前が書いてある。

「私にご協力できることはあまりないかと思うのですが」
「いやいや、みなさんにお話を聞いて回っているのですよ。お仕事の最中に大変申し訳ありませんが、あまりお時間は取らせませんので、ね、ひとつ」

この時点で十分に時間はとられているような気もしたが、そこを論点にしてもどうしようもないだろう。
それに、いくらお客があまり来ないからと言っても、いつまでも店を閉めっぱなしで門前で立ち話、という訳にもいかない。

「そろそろお店に戻らなきゃと思っていたのですけれど…」
「そうでしょう、承知しております。けれどまあ、話が話ですしね」

あまり気にしないようにしていたが、さっきから年嵩の男性――和三盆刑事が、厚いガラスの向こうのショウケースをちらちらと眺めている。若い男性――黒蜜糖刑事は、涼しげな表情こそ崩さないがやはり暑いらしく、高い鼻の頭に汗の粒が浮かんでいた。

仕方がない。 

二人に気づかれないように小さく溜め息をついて、自動ドアに手をかけた。

「ではお店のなかでお話をしましょう。混みあう三時までには、まだ時間がありますから」


こうして今日の午後の営業が始まった。
うちの洋菓子店に警察が来たのは、少なくとも私が知っている限りでは初めてのことだった。





「まずはじめに、だいたいどういうことをご存知か教えていただきたいのですが、今回の事件について」

黒蜜糖刑事が万年筆を取り出しながら聞いた。
和三盆刑事は店の内装や、過去に製作したデコレーションケーキの写真をまとめたアルバムを眺めている。
仕事をしながらで構わないと言うので、私はカウンターのなかでノートを開き、午前中に売れた商品の種類と数を記入しながら答える。

「ニュースで報道されていること、そのままです。このあたり始まって以来の大事件。大通りの老舗宝飾店『ジュエリー カラメル』で昨日の朝4時ごろ、警報装置が作動した。
警備会社の人が駆けつけると、ショウケースからは宝石がひとつなくなっていた。薄く黄色がかったムーンストーン。
カラメルのご店主が直々に海外で買い付けてきたもので、あまり見ない色だからとずいぶん高値で買ってきたって一時期話題になりましたね。
そのムーンストーンは見た目から『レモンシロップの宝石』と呼ばれていたそうで。
盗まれたその場に犯人の姿はすでになく、手がかりもゼロ。目下捜査中で、不審な人物を見かけたら捜査本部までご連絡ください―――という」
「やあ、お見事。簡潔かつ的確ですな」

焼き菓子を乗せたテーブルの前で和三盆刑事が言った。今度はクッキーの詰め合わせの見本を手に取り、紙箱にきちんと収められたクッキーの数をひいふうと数えている。

「平和が自慢のこのあたりで起きた大事件ですから。みんな、昨日からずっとこの話でもちきりですよ」

平和というのは尊いものだ。
けれど、あまりに過ぎると、退屈という魔物がすっぽりと世間を覆ってしまう。
人々は日常のなかにきらりと光る剣を見つけると、それをしっかり握りしめて、魔物と必死で戦うのだ。そしてそれはこの近辺の人たちだって例外ではない。
事件が起こって以降今に至るまで、人々の話のなかに「レモンシロップの宝石事件」 が出なかったことはまず無かった。
少なくとも、私が知っている限りでは。

そしてその中には「警察がいながらなにをしているんだか」といった類の話も少なからず含まれていることも多かったが、それは言わずにとっておくことにした。

黒蜜糖刑事は手帳の次のページをめくる。

「あなたはこの事件について、どう思われますか」
「どうって…大変だな、というか。そう、ちょっと怖いかなとも思いますね。うちはただのお菓子屋だから、カラメルさんとこと違って高価なものを置いているわけじゃあありませんけど、売上金とか持っていかれたら、ちょっと困りますよね」
「なるほど。それではもうひとつお聞きしますが、昨日の午前三時から四時の間にかけて、どちらにおられましたか?」

思わずボールペンを動かす手が止まる。

見上げた若い刑事の瞳は、あくまでそこに特別な感情を映していないように見える。

「それってアリバイってことですか」

どこかで聴いたことがあるせりふだった。
まるで夜の二時間ドラマのようだ。台本でも読んでいるような気分になる。

和三盆刑事がゆったりとした足取りで店内を横切ってきて、黒蜜糖刑事の肩にそっと手をかけた。

「いやいや、そういうことではありませんよ、失礼いたしました。ご気分を悪くなさらないでください。
その時間帯――ええ朝の三時から四時位の間なんですが、何かいつもと変わったことはありませんでしたか、このあたりで?」

人の良さそうな柔和な顔つきで、和三盆刑事は尋ねた。
それが本来の彼の性格なのか、業務用に作られたものであるのか、なんとも判断のしにくいところではあったが、どちらかといえば前者のほうを信じたかった。

「いつもと変わったこと、と言っても、カラメルさんとうちとは通りが一本違うし、そもそもその時間は寝ていましたし…」

こくりとうなずきながら、刑事二人はそのまま消えいりそうな言葉の続きを辛抱強く待つ。

「どんな小さなことでもいいんですが」

何か特別な事情でもない限り、大体の人にとって一番眠りの深い時間帯だろう。目の前の二人だって、夜勤でもなければきっとその時間はぐっすり眠っていたに違いない。

しばらく目を閉じて、思案してみる。
しかし言えることは、同じだった。

「すみません、特にないです。なんにも。そもそも昨日は、恥ずかしい話ですが両親にたたき起こされてやっと目が覚めたくらいです。そこで母に事件のことをはじめて聞きました」
「パトカーとかなんだとか、ずいぶんにぎやかだったでしょう」
「はい。でもそれ、夢だと思ってました」

万年筆の頭でこめかみを掻く黒蜜糖刑事の後ろで、和三盆刑事が顔を逸らして噴き出した。すぐに向き直って「いや失礼」と言ってくれたが、なんだか急に恥ずかしくなった。二人の態度がいやみたらしくないところが救いだった。

「ええとそういうわけで、ぐっすりと眠っておりましたので、何も思い当たることはございませんでした。ということで」

季節のフルーツケーキ4個・330円(うちひとつ事前予約取り置き分)と言う書き込みを最後に、ちょうどノートの記入も終わった。
わざとらしく音 を立てて、百枚綴りのノートを閉じる。小さいころベッドに入って、母が読んでくれた本をこうして音を立てて閉じると、それはおやすみの合図だった。

「ご協力感謝いたします」
「お忙しいところ、申し訳ありませんでした」

出会った時と同じように、二人の刑事は丁重に頭を下げた。

壁にかけられたオルゴール時計を見ると、お茶の時間まで、あと三十分少しと言ったところだった。
この二人を見送ったら、そろそろ混雑に備えて準備に取り掛からなくてはならない。今日は暑いから、生菓子テイクアウト用の小さな保冷剤の補充は必須だ。店内の人数が増える前に、エアコンの温度をもう少しだけ下げておこうか、どうか。
暑いと感じてから対策するのでは、商品にとっても接客にとっても遅く なってしまう。

「その時間のことでしたら、うちよりパン屋さんとか新聞屋さんとか、その時間に起きていそうなお店にお聞きになったらいいと思いますよ。特にあのパン屋さん…なんて言ったっけな、そう、クレムさんだっけ、あそこはカラメルさんからそう遠くないところにあったはずですし」

和三盆刑事がちらりと目だけで合図を送ると、黒蜜糖刑事は流れるようなしぐさで手帳にメモを取った。

「なるほど、当たってみましょう。ありがとうございます。ところで」

言葉の後ろで、パトカーがサイレンを鳴らさずに通り過ぎていった。パトランプの赤い色が自動ドアのガラスの向こうでくるくると回転しながら、通りの向こうへ小さくなって消えていく。

「怪盗パルフェ、という人物をご存知ですかな」

真夏の風景のなかに、透明な赤い光の余韻が残っていた。

「なんですか、それは」
「いえね、これは非公開の情報なのですけれどね。カラメルさんで防犯装置が鳴って警備会社の方が駆けつけた時、その時にはもうすでに『レモンシロップの宝石』は持ち去られていたのですが―――代わりに、その場所に手紙があったそうなんですよ」
「手紙?」
「そう、手紙です。差出人の名前は怪盗パルフェ。内容は、レモンシロップの宝石は私がいただいた云々。つまりは、犯行声明という訳ですな」

傾きかけた午後の日差しが窓から差し込んで、床に日溜まりを作った。
手のひらにかいた汗を、ポケットからハンカチを取り出してぬぐった。店内でさえこのくらいの暑さなのだから、外はこの時間さらに気温を上げていることだろう。

「さあ…存じ上げませんね、残念ながら」
「そうですか。いや、仕方のないことです。変なことをお尋ねしましたね」

和三盆刑事は改めて店内を見渡した。
先ほどから動く気配のない自動ドア、焼き菓子を乗せた小さなテーブル、奥にはクッキーを詰め合わせたギフトボックスを何種類か置いている。
ラッピングや会計を待つ間休んでもらえるように置かれた、 背もたれのない小さな木のベンチ。白い壁にかけられた、お菓子の写真を使ったカレンダーと、繊細な作りの、古いオルゴール時計。

そして、ケーキやほかの洋菓子が並ぶ、ガラスのショーケース。
季節の果物たちをふんだんに使った洋菓子たちが、みんなとびきりきれいな顔をして、ショーケースに整列している。
暑い季節の果物は、目を覚ますようにカラフルだ。ガラスの箱の中に閉じ込められたそれは、まるで瑞々しい宝石のように見える。

「これは」

年齢を重ねた穏やかな声が、ショウケースの中にかけられる。

「何でしょうか」

思わず心臓がはねた。

「ここにある、この…ケーキ。の、隣の、陶器のカップに入ったもの、これはなんですかな」

ふしくれた指の指す先、カウンターから出て覗いてみる。
マンゴーと夏みかんのフルーツソース・レアチーズケーキの右となり、シトラス模様のちいさなカップに入れられた、淡い色のデザート。

「プリンです。普通のものは卵とミルクでつくるんですが、これはさらにオレンジのジュレを加えて、さっぱりと甘酸っぱい夏向けのものに仕立ててあります。上に乗せた生クリームは甘さを抑えているので、フルーティなプリンとよく合うんですよ」

淡いオレンジ色のプリンの上に、絞り出された白い生クリームが映える。シロップに漬けた剥き身のオレンジが三つ、クリームの周りに配置されている。すべてのてっぺん、中央には小さなミントの葉が添えられている。

プリンの上に薄く張られた透明なゼラチンの層が、店の灯りを集めて、きらりと光った。

ほう、と言葉になり損ねたような声を、和三盆刑事は零す。

「うまそうですな」
「今度買いにいらしてください。夏季限定の商品ですけど、しばらくは並んでるはずですから」
「そうさせていただきます。それでは、今度こそこの辺で失礼させていただきます。もし何か思い出したことがあったら、いつでも遠慮なくお知らせくださいね」

刑事たちはショウケースから目を離し、最後にまた一礼して、自動ドアを抜けていった。


二人がいなくなると、店のなかは急にがらんとして感じられた。
エアコンの風がひんやりとむき出しの腕をなでていく。不意に冷たさを感じて、手のひらで二の腕をさすった。
さっきまでは確かに少しではあるが、暑いと思っていたのに。

まだ自動ドアのガラスの向こうに、人の気配は伺えなかった。



ショウケースに向き合って、ある一点を見つめる。

明るい夏色のフルーツソース・レアチーズケーキの左隣、オレンジ・プリンのちょうど反対側。透明なガラスの器に入った、涼しげなフルーツゼリーが整列している。

カラフルなゼリーが層を作って重ねられ、黄緑、赤、黄、そしてもう一度黄緑。上にはレモンシロップにごく薄く色づいたゼリーが、おおぶりにクラッシュされてまるで星屑のようにちりばめられている。
うだるような暑さのなかで、何かの拍子にふと感じ取った一瞬のさわやかさを、そのまま閉じ込めたような美しいゼリー。

その一番奥のひとつが、一際美しさを器のなかに閉じ込めて、ひっそりと輝きを放っている。


カウンターのなかに入って、ショウケースの戸を引き、あるフルーツゼリーをそっと取り出す。

動きに合わせてふるふると揺れるレモンシロップ色のゼリーのかけらたちのなか、一つだけが、動かない。

それを指でつまみあげて、薄暗い店内にひとすじ差し込む、夏の光にかざした。



とろけたような白っぽい光が、淡い黄色を纏って、カウンターの上に薄く影を作った。






end
(Webで読みやすいよう横書きにしてあります。実際の本は縦書きです。)


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