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 私と翔子はなんとなく遠出をしたいね、と言い、いそいそと出かける準備をして電車に乗った。お互いに軽装で、荷物と言っても小さいカバンにお財布と携帯、ハンカチ、ティッシュ、それから文庫本しか入っていなかった。それだけあればなんとかなるし、文庫本は電車の中で暇つぶしになると考えたのだろう。私と翔子はどこか似ていて、よく行動や言動が被ったりする。
 私たちは京王線沿いの調布という駅の近くに住んでいた。パルコもあるし、本屋もあるし、不便ではない駅だった。大学は京王相模原線に乗って4つめの駅で、稲城という駅からバスに乗っていく。女子大だ。
 火曜日に遠出をしたいと言い、水曜日に学校をさぼって、いつもとは反対側の電車に乗って新宿へ向かった。
 新宿は平日だというのにすごい人混みで、翔子は気持ち悪いと言って、JRの南口の真ん中でうずくまってしまった。周りからの怪訝な視線。私はなんとか翔子を起こすと、ルミネの入り口の階段に座らせた。
「大丈夫?」
「うん、なんとか」
 翔子はハンカチを口に当て、真っ青な顔で返事をする。
 翔子は昔から人混みが苦手で、貧血を起こす。なぜかはわからないと翔子も言っていて、あまり人混みには行きたがらないのだが、今日新宿にすると決めたのは私ではなく翔子だった。
「調子悪いのなら帰ろうか?」
 そう問うと虚ろな目で前を見据えて、嫌、と言った。今日はこの街にいたいの。
 私たちはしばらくその階段で時間を潰した。どこに行きたいとかもとくになかったし、出不精な私たちはあまり外出しないから、あまり新宿も詳しくない。なんとなく人に流されて南口まで来たが、私は後悔の念でいっぱいだった。翔子が人混みが苦手だと知っていたのになぜ新宿に来たのだろうと。
 私は暗い顔をしていたのだろう。翔子は、立ち上がると「じゃ、いこっか」と青い顔で笑顔を作った。無理矢理だというのがわかる笑顔だった。
「こんなとこにいてももったいないから」
 そこに座ってもう一時間弱が経過していた。もう昼の二時になっていた。
 翔子の頑張りを無駄にはしたくない。私も立ち上がると、そうだね、と言った。
 それから階段をあがりルミネの洋服屋さんを覗いた。どれも値段が高くて、調布のパルコとは違う。さすが都会だね、と田舎もの丸出しの私たちは、洋服を買わずに眺めていただけだった。店員が声をかけてきても、ふたりとも顔を紅潮させて、すみませんと誤るしかできなくて、私はとにかく恥ずかしくてたまらなかった。
 ミロードの四階にあるお洋服屋でワンピースを見ていた時、翔子がふと呟いた。
「ね、優。夜景が見たい」
 翔子の顔色はだいぶ良くなっていた。翔子の心はここにあらずという感じで、歩き方もふらふらしていた。
「夜景?」
「そう夜景」
 季節はもう冬で、時計を見るともう五時を過ぎていた。
「東京タワーにでも行く?」
 私がそう聞くと、ううん、と首を振って、違うの、行きたい場所があると言った。
 私はふと、一年前のクリスマスを思い出していた。
 その日は、スーパーでホールのケーキを買って、稲城の山の上にある塔へ登った。翔子はいつものように青白い顔でふらふらとしていて、それなのに塔へ登りたいと言い出したのだ。翔子は幼い頃から高いところが好きで、私たちはよくスーパーやデパートの屋上に行ったり、よみうりランドのタワーへ登ったりして、時間を潰したりしていた。
 その日の翔子はいつもと様子が違っていた。ふらふらしているのは変わりがなかったが、目が虚ろで、ボーっとして、私はいない人のように扱われていた。ゆっくりと揺れる塔を登り、頂上で下を見下ろしていた。
 翔子は自律神経失調症という病気を患っていた。それで精神内科に通って薬を処方されていていたが、彼女は薬を飲もうとしていなかった。
 翔子はふと「楽になりたい」と呟いて、暗くなった空を見上げた。曇っていて、星は見えないが、山の上の塔だけあって、夜景はよく見えた。
「死んで楽になって星になって、私は自由になるの」
 私は翔子がそこまで追い込まれているということに気がつかなかった自分に腹が立って、翔子に抱きつくと、涙を流した。強く、強く抱き締めた。翔子は私の腕を掴んで、自由になるの、と何度も繰り返していた。とにかく悲しかった。翔子の傍にいた私なのに、翔子の気持ちに気がつかず、そんなことを言わせてしまった自分が不甲斐なかった。
 今の翔子はその時に似ている。自由になりたい、と泣いていた翔子に。
 翔子は私を置いて店を出る。私は後から追いかける。エスカレーターを下り、人混みをふらふらと人にぶつかりながら歩き、長い間地下道を歩くと、都庁の中へ入って行った。
 私は高いビルを見上げる。空は黒ではなく、深い紺色をしていて、去年のクリスマス同様、星は出ていなかった。
 ふと、翔子がこちらを振り向いて、「優、行くよ」と満面の笑みを浮かべた。
 悪寒が走る。背中がすーっと冷えていくのがわかった。
 翔子が荷物検査を済ませ、エレベーターに乗る。私も追いかける。
「ねぇ、翔子?」
 返事はない。
 が、翔子はsyrup16gの吐く血という歌を口ずさんでいた。翔子の好きな曲。
 肩を揺さぶると、「なぁに、優。夜景が見れるよ」と、やっぱり満面の笑みで私を見る。
 あっという間に展望台へついた。翔子は真っ直ぐに大きな窓へ進んでいき、わぁ綺麗、と小さい声で喜ぶ。
「ね、優」
 翔子の笑顔が怖かった。
「長い夢を見ていた気がする」
 それから言った。
「私、明日死ぬから」


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