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》思い出の夜


杉田さんは溜め息をつくと、一度家に帰ったらどうだ、と言った。
…どうして。
いや、思っただけだ。

何日帰ってないんだろう、母は帰ってきただろうか、ぎちちは家に居るのだろう、そして姉も。
あたしは杉田さんの口からそんな言葉が出てくるとは思ってなかったから驚いて、体が固まったように動かなくなった。
家に帰る。
あの居心地の悪い家に。

あたしが邪魔なんですか?
そう問うと、杉田さんは首を振って、また繰り返す。
いや、思っただけだ。
あたしは煙草を加えると、息をついた。

前に、杉田さんは死にたいと呟いた。
あたしは聞かないふりをしたが、その言葉はあたしにとって衝撃だった。
そんなこと思ってもみなかったから。
だから、杉田さんが時たまあたしに問う「死にたいのか?」という言葉が恐くて仕方なかった。
あれはジョークでもなんでもない。
杉田さんは本気で聞いているのだ。
杉田さんがあたしに問う一言一言が何か、彼の中で蠢いている。
きっと杉田さんの言うことには何か意味があるはずだ。

帰ってみます。
あたしが言うと、そうか、と珈琲をすすった。
僕も家の前までついていくよ。
…ありがとうございます。

あたしの不幸が杉田さんを動かしているような気がした。
杉田さんは悲しい人だ。
あたしの悲しみを自分のものに置き換えている。
苦しい、そんな思いに憧れている。

昨夜もあたしは自分の悲鳴で起き上がった。
杉田さんは私が落ち着くまであたしを抱きしめていてくれた。
いつだったか感じた杉田さんがあたし自身を見ていないことが再度わかり、あたしは悲しかった。
杉田さんはいつもあたしを見ていない。
あたしの苦しみは杉田さんの満足で。

僕が欲しいのは現実ではないんだ。
杉田さんはあたしを抱きしめながらそう言うと、長く息をついた。
楽しさでも良い生活でもない。全てを捨てる勇気だ。
それには、
あたしを強く抱きしめる。
君が必要なんだ、ヤエ。
杉田さん?
なんだ
あたしの名前の由来はね、父と母の思い出の場所から思い浮かんだんですって
春の海に降る雪
それが美しくて、あたしの名前になったんです
悲しいことは何もないんです
杉田さんが何を望んでいるのかがあたしにはわかります
いつもどこか遠くを見ていて、目の前のことを見ているようで見ていない
あたしのことも見ているようで見ていない
一体どうして悲しみを求めるのですか
あたしを、ちゃんと見てください
杉田さんはあたしを離すと、また息をついた。
君を見ているよ、ずっと
死ぬまでずっと

杉田さんは珈琲をすすると、何か思いついたように、あっと声を上げた。
なんですか?
君の家族に挨拶しに行こう

杉田さんは嬉しそうに笑った。


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