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ナツ、ナツ、


泣き声が煩いなぁと部屋を見回した。ナツが帰ってきたのかと思ったのだけど、この汚い部屋に、ナツの姿はどこにも見当たらない。
いつもと変わらない汚い部屋。服は無造作に床に散らばっていて、学校の教科書であったりルーズリーフであったり読み終わった文庫本であったり、食べたままのカップ麺の入れ物、とにかく足の踏み場もないほどに物が散らかっている。床になるはずの畳の姿はどこにも見つけることが出来ない。いつものごとく、変わっていない、私の部屋。
ただ唯一綺麗なのが私の寝場所となるベッドの上だけで、私はベッドの家で膝を抱えて座っている。それが私の休日の、いつもの過ごし方。朝から夜までその格好、朝からご飯は食べない、水もあまり飲まない、トイレに行くときだけベッドを降りて、そのときに水分補給。だからトイレに行くとき以外はずーっと、ずっとその格好でいる。
そしてナツは勝手にベランダの窓を開けて入ってくる。だから窓の鍵はいつも開けっ放しでいる、玄関からは入ってこないナツのために。そして部屋に入ってきたナツは私の隣で黙って寝ている。ナツは夕方にやってくる。もう夕方は過ぎて、暗くなっているが、ナツはまだ帰ってこない。私は部屋の電気をつけずに、ナツを待つ。
ふと膝が冷たいのに気づき、頬が濡れていることに気づいた。泣き声が煩いなぁと思ったのは自分の涙だったのだ。どうして泣いたのかはわからない。ナツはまだ来ない。私はまた少しだけ泣くと、膝に顔を埋めてナツが来るのを待った。ナツが今日は来ないのではないかと、少し不安になった。
最近私は良く泣くようになった。それはいつもナツのせいだ。ナツのことで不安になるから、ナツが来ても来なくても、ナツが一緒に居ても。ナツの不安が私にも伝わってくるから。泣かないナツの代わりに、ナツの不安を肩代わりする。溢れる私の涙を、ナツはそっと舐めあげる。そして小さく笑う。私はそれに増長して、自分の不安でも泣くようになっていた。ナツは「泣き虫」と言う。「これはナツの分」そういうとナツも今にも泣き出しそうに私を見る。そんなナツを見て私は更に泣いた。悪循環。私が泣くためにナツが泣けないのではない。ナツが泣けないから私が泣く。

しばらくするとナツはガラガラと窓を開けて部屋に入ってきた。電気をつけると私を見て、やだ、と言って可笑しなものを発見したように笑った。
「またそんなところで体育座り?」
ナツは私の隣にいつものように肩を寄せて、私と同じように膝を抱えて座る。
ナツからは良い香りが漂ってきて、ナツの存在が部屋の中に充満する。物が散乱する部屋にナツの匂いと、ナツの温もり。ナツがいる、そんな夜が私は好きだった。膝を抱えて丸くなりながらナツを待つ、ナツがいる夜を待っていた。
ナツの匂いが息を吸う度に私の中に入ってくる、皮膚から細胞のひとつひとつに染み込んでくる。そんな感覚に襲われる度に私は私を忘れる。ナツだけ。私はナツの一部分なのだと、ナツの全てだと理解する。
ナツが私の肩に頭を乗せて、湿った息を吐いた。私はドキリと胸を震わせる。
「ユミ?」
ナツは私の名を呼ぶと、自分の左手を部屋の電気に照らしてうっとりと眺めた。薬指には私があげたお揃いの指輪が光っていた。
「あたし、結婚するの」
私はまたドキリと胸を震わせた。先ほどとは違う、鼓動が速くなる、ナツが何を言ったのかを理解できなかった。大きく息を吸う。ナツも一緒に息を吸う。
「結婚、って、誰と?」
「ずーっと、ずっと好きだった人と、小さい頃から彼に憧れていたの、彼とやっと繋がることができるの。やっと傍に行く決心がついたの」
すごく嬉しい、ナツがあたしは幸せよと言うように微笑んだ。
私は納得ができない。自分がナツの一番だと思っていたのに、それは私の勘違いだったのか。
「私よりも、大切な人?」
「そう、ユミよりも」
「私よりも好きな人?」
「ユミよりも」
「私よりも?」
ナツは困ったように、躊躇いがちに「ユミよりも」と言った。
「相手は?」
「神様よ」
「神様?」
「嘘じゃない」
「嘘」
「嘘じゃない」
そして私たちはどちらともなく顔を寄せて唇を重ねた。
「ユミ? 大好きよ、好き。一番好きなのはユミ」
長い、長いキスの後に、ナツは息を吸ってから私の頬を触った。
「だから泣かないで」
嘘だ、そう思いながらも私を触るナツの手を拒めずにいた。嘘だ、私よりも大切な人のところへいってしまうくせに。さっき、私よりも好きだと言ったのに。優しいナツ、残酷なナツ、自由奔放なナツ、勝手なナツ、いつも不安なナツ、あたしを好きなナツ、あたしが好きなナツ、良い香りのナツ、照れ屋のナツ、嬉しいと呟くナツ、可愛い寝顔のナツ、私を抱くナツ、微笑むナツ。
私の顔を見てナツは微笑んだ、私が一番好きなナツの表情で、ナツの声は遠ざかっていった。さっきの言葉は嘘よね、と自分に言い聞かせる。嘘よ、嘘よ、嘘よ。しかしナツの言葉は全部嘘にも思えた。そのくせ、全部本当にも思えた。どれが嘘か、どれが本当か私にはわからなかった。ナツに身を任せ、ナツの唇にもう一度唇を重ね、強く抱きしめあった。ナツの体温を私の体に覚えさせる。
「ねぇユミ、さっきの言葉は嘘ではないから」
私はさっきの自分の想いを口に出してしまったのかと思い、驚いて口を押さえる。
「嘘ではないの、本当なの、ずーっと望んでいたことなの、夢見ていたことなの」
「神様と結婚することが?」
「そう」
「ナツはそれで幸せ?」
「うん、幸せよ」
ナツは目を細めて幸せを表すように微笑むが、私は何か違和感を覚えた。無理やり笑っているのではないかと、不安になった。そんな顔をさせたことに、幸せだと言ったナツに、ナツの抱えようのない不安に、悲しくなった。
「お腹空いた」
ナツのお腹がぐうと音を立てる。
「うん、何か食べようか」
「カップ麺?」
「それしかないからね」
またナツのお腹が鳴るが、私はベッドの上から動けずに、ナツから漂う匂いを少しずつ吸っていた。もう二度と会えないナツの匂いを、もっと吸っていたかった。同じ香水をつけても、この香りはナツにしか出せない。ナツの香りを吸う、吸う。
「最後の食事ね」
ナツは私の手を握り締め、静かに涙を流した。冷たくなったナツの手、私は息が詰まって死ぬかもしれないと思った。それならそれでいい、ナツと一緒に死ねるのなら。






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