[携帯モード] [URL送信]


夏の予感


この町にも夏が訪れようとしていた。
湿気と熱のじめっとした空気と、その暑さから全身から滲み出るねっとりとした汗、青々とした空に浮かぶ真っ白な雲、さっきまで大雨が降っていたとは思わせない天候に、私は白い傘を差す。陽を遮るのにちょうどいいこの日傘を私はひどく気に入っていた。それは彼女があたしにくれた最初で最後のプレゼントだったからかもしれない。彼女があたしは好きだったから、彼女がくれたこの日傘は彼女の分身かのように大切にしようと思ったから。
彼女はいなくなる前の日に言っていた。
「夏が1番寂しくなるよね」
あたしにとっての夏は暑苦しいだけのウザったい季節で、唯一の夏の利点は水が嫌いなあたしには夏祭りだけだったから、彼女のその言葉の意味を戸惑いがちに聞いていた。あたしは寂しいだなんて思ったことはない。
「夏になると"ああ夏だ、今年もまた誰かがいなくなる"と思うの。そして胸が締め付けられるように苦しくなって、友達の顔をいちいち思い出すと、その子との思い出を引っ張り出してきて、ああ楽しかったなぁとか彼女のここが好きだったなぁとか、反すうして、今年は誰がいなくなるんだろうと考える」
「あたしはいなくならないよ」
「知ってる、今年はあなたじゃない」
「そして、あなたでもない」
彼女はあたしを見て、少し悲しげに笑った。
この時彼女があんなに苦しそうにしていたのは、今年いなくなる人間が自分だと知っていたからなのだろう。そんな彼女にあたしは残酷なことを言っていた、今更後悔しても遅いのはわかっているけれど、それでも思い出す度に「なんてことを言ってしまったんだ」と頭を抱え込んでしまう。
「大丈夫、今年で全てが終わるから」
彼女は別れ際にそう言った。
夕日の逆光で彼女の顔は見えなかった。震えているような声で、躊躇うようにそう言ったのだ。泣いているのだとあたしは思った。顔は見えなくとも、長い間彼女と時を過ごしたあたしにはそれがわかった。
「大丈夫」
あたしが言うと、彼女も大丈夫と繰り返す。
「大丈夫だよ」
彼女はもう一度言うと、くるりと背を向けて駆けて行ってしまった。
その次の日、彼女はいなくなった。いつもの待ち合わせ場所に彼女は来なかった、次の日も次の日も、彼女が姿を現すことはなかった。
あたしも友達も、ああ今年は彼女がいなくなったんだ、と妙に冷めた気持ちになり、山へ遊びに行くことがなくなった。
そして不思議なことにその次の年から誰も夏になってもいなくならなくなったのだ。彼女を最後に、ぷつりと毎年の行方不明者はいなくなった。

あたしは日傘をくるりと一回転させると、目の前に佇む大きな山を見上げた。
彼女との思い出の山。
町の大人たちは「隠し山」と呼んで、子供たちに「決して山に入ってはいけないよ」と幼い頃から言い聞かせていた。子供の好奇心と無邪気さは哀れなことに、言い聞かせられると余計にその山に入りたくなる。だから大人の目を盗んでは山に忍び込んで、みんなで鬼ごっこやかくれんぼをして遊び、陽が暮れる頃に「わぁー山神に隠されてしまう」と笑いながら帰るのだ。
毎年毎年、同級生や他学年の子がいなくなったという話が流れても、自分は関係ないと思い込み、隠し山に入って遊ぶ。大人は厳しくそれを禁止したが、子供の旺盛心はそれをも上回る。
あたしは隠し山を見上げると、ほうと息をつく。
彼女がいなくなってもう何年もたつ。あたしももう成人して、彼女との思い出は薄れていっていた。そして彼女から貰った日傘も少し汚くなっていた。
彼女がいなくなってから、あたしの中での夏は"暑苦しいウザったい季節"に"だけど寂しくなる"がプラスされていた。
毎年夏になると彼女のことを思い出して胸が締め付けられて苦しくなり、彼女との思い出をいちいち引っ張り出すと、彼女との会話をいちいち反すうし、その度に彼女に会いたいなぁと願う。だけどそれが叶わぬことだとは痛いほどに知っていた。
あれから子供たちは山には行かなくなった。歳のいった大人たちは相変わらず「山には行くな」と言うけれど、山に行く子供は滅多にいない。
今年もこの町に夏がやってくる。
あたしは薄汚れた白い日傘を畳んで山の中に足を踏み入れる。






あきゅろす。
[グループ][ナビ]
[HPリング]
[管理]

無料HPエムペ!