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学校の帰り道、何気なく目をやった道路の隅には、誰かによってそこに置かれたのか、もしくはどこからか飛んできたのか、一通の白い封筒が落ちていた。あたしは吸い寄せられるように封筒を拾いあげる。
それはまだ封は糊付けされていて、誰にも開けられた形跡はない。表面に宛名は書いておらず、消印も当たり前のように押されてもいなかった。裏面に返してみても何も書かれてはいない。
あたしはその不思議な封筒を開けてみたいという誘惑に駆られていた。宛名も差出人も不明のそれは、あたしの好奇心を疼きたてていた。
その封筒をカバンの中に入れると、あたしは家の近所にある小さな公園に向かう。この封筒は家の中で開けるよりも、その公園で開けたいと思った。人がいつもいない、道路から少し外れた所にある静かな公園。そこなら誰に邪魔されることはないだろう。その公園にあるのは無残にも落書きをされた薄汚れたベンチと、古ぼけて今にも壊れてしまいそうなブランコだけ。あたしはベンチに座ると、カバンから先程の封筒を取り出した。
改めて見ても、その封筒は不思議だった。その封筒が醸し出す雰囲気そのものが、不思議だった。あたしを引き付ける何か不思議な力を持っているのだ、封筒なのに。あたしは躊躇いもせずに封を破ると、中から三つに折られた紙を取り出す。それは大学ノートを切り離しただけの紙で、それには黒のボールペンで「死ねますか?」と書いてあった。
あたしは首を傾げると、その文字をしげしげと眺める。それは真ん中の少し右方に位置していて、一字一字がしっかりと書かれていた。その文字はきっと女性の字だろう、整った女性らしい丸みを帯びた字だった。
「死ねますか?」
あたしはしばらくして、やっとその意味を理解して、胸中に不安が広がる。
自分は死ぬことができますか?あなたは死ぬことできますか?書いた主は何を思ってこれを書いたのだろう。何を言いたかったのだろう。書いた人自身が死ぬことを望んでいるのか、もしくは拾った人にあなたは死ねるかどうか、それを尋ねているのだろうか。後者ならば、それは残酷すぎる。前者ならば、拾った人に何をして欲しいのだろう。拾った人に助けて欲しいと望んでいるのなら、身近で確実に探せばいいのに。それができないから、こいやって手紙を書いたのかもしれない。
その手紙が悪戯だなんて、あたしに思うことはできなかった。切実な想いがそこに詰まっているような気がして、また死を願う人の存在に、あたしはしばらくそこから動けずにいた。
あたしは何をすればいいのか、何ができるか。手紙しか手がかりがない状態で、何もできないとなると、情けなさで一杯だった。自分は何もできない。
ー―死ぬことはできない。
そう、伝えたい。あたしは思っていた。

あたしは家に帰ると、同じような大学ノートの切れ端を机の上に置く。数分間、あたしはそれと睨み合いをしていた。その紙の隣には「死ねますか?」と書かれた紙も広げておいた。
なんとかして、これを書いた人に答えてあげたい。考えた結果、返事を書こうと思った。もしそれを書いた人が自分自身の意志で封筒をあそこに置いたのだとしたら、あそこに戻ってくる可能性は高い。誰か拾ってくれたかを確認しに、もしくは封筒は回収しに。もしそこに手紙を置いたら見てくれるかもしれない。偶然にすがる形の案だけれど、それ以外の手をあたしは思いつくことができなかった。それは考える限り、一番可能性のある確実な手だった。あたしが書いたその手紙は見てくれなくても、返事をそこに置いたということで、あたしは満足できるような気がしたのだ。読んでもらうことができなくても、それであたしは良いと思える。
あたしはシャーペンを掴むと、紙に文字を書く。想いはきっと届くはず。そう自分に言い聞かせながら。

あたし自身、過去に死にたいと思っていたことがあった。
それはとてもくだらない事で、何もない日常や何もない自分や、それを取り巻く環境全てに嫌になっただけだった。別に何もきっかけなどはないし、ある日突然そういうことが嫌になったのだ。生きるということは物凄く面倒くさくて、生きるということを放棄しようと思った。もちろんそう感じながらも毎日きちんと学校にも通ったし、三食をきっちり食べたし、水も飲んだ。ただそれまでと変わったのは人と口を交わさなくなり、死を思い描くようになった。呆とする時間が増え、死にたいと思いつつ、死は一向に訪れず時間だけが刻々と過ぎていく。
確か5月の中旬の金曜日、あたしは死を身近に感じ、恐いと思った。
なんでだろう、あたしはホームに入ってきた電車に向かって歩いていた。電車じゃない。目の前にあった線路に吸い寄せられるように、無我に向かっていた。
その時の事は忘れようと思っても忘れられない。それはスローモーションのように、脳裏に緻密に描かれている。
あたしの足は勝手に歩き、電車を迎える線路に向かう。電車の激しく高い汽笛がホームに鳴り響き、あたしは腕を引っ張られ、風が目の前を通過していく。一瞬髪の毛で視界が阻まれ、気付いた時には、電車から降りてきた人に流されてホームの真ん中にいた。皆あたしのことをチラリと見ると、また視線をずらし、歩き去っていく。あたしは力が抜けたようにそこにしゃがみこむと、目の前に立つ人を見上げた。それは同じクラスの男の子で、一度も喋ったことのない子だった。その子はあたしをただ見下ろし、何も言わずにあたしの目を見る。あたしは急に胸が苦しくなり、彼に何かを言おうとしたけれど、何を言っていいのかわからずに口を開けたり閉じたりを繰り返していた。そのうちに視界が涙で遮られ、気付いたら子供のように大きな声をあげて泣いていた。彼はあたしが泣きおわるまで腕を掴んだままいて、そこに立っていた。あたしは何故か悲しくて、ただただ泣くことしかできなかった。死ねなかった。あたしはその時死を恐ろしいと思った。死ねない。あたしは死ねない。
「死ぬことはできない」
そう書くとその紙を三つに畳み、落ちていた封筒に入れた。糊付けはしない。書いた人に封筒を開けたということを示すために。
あたしは立ち上がると、さっきの場所まで歩く。
あたしは満足した気持ちでいた。ひとつ大事な仕事をやり遂げたかのような、そんな爽快感に包まれていた。想いが届けばいいと思う。
あたしがその場所についた時、ひとりの女の人がそこに立っていた。戸惑っているかのように首を垂れて、封筒が落ちていた場所を見つめていた。その人は黒いスーツを着込んでいて、見てすぐに社会人なんだな、とわかった。
あたしは遠目にその人を見つめ、ゆっくりと近寄って行くと、手にしていた封筒を差し出した。
女の人は封筒を見てからあたしを見ると、弱々しい笑顔を浮かべる。その時あたしは気付いた。この人は死にたいと思っている、と。笑顔を浮かべていても目は笑っていないし、むしろ死んでいるように生気のない目だった。一時期あたしもこんな目をしていたから、よくわかる。
女の人は封筒を受け取ると「ありがとう」と小さく呟いた。そしてゆっくりとした手つきで封筒を裏返すと、中から紙を取出し、がさがさと開いた。一度驚いたように目を開くと、あたしを見て「どうして」と言った。
「どうしてそんなこと言うの」
彼女はあたしを真っすぐに見つめる。何か人間ではない異質な物を見ているかのような目付きだった。
「あたしが死ねなかったからです。あたしは死ねませんでした」
彼女は力が抜けたように座り込むと、あたしを見上げたまま涙を流した。子供のように大きな声でなくので、あたしは彼がしてくれたように、そこにただ立ったまま泣き続ける知らない女の人を見下ろした。
嬉しい気持ちが溢れて、あたしまで涙が出そうになった。






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