『母さん!ナナリー!』 階下に見下ろすのは血にまみれ段差に体を投げ出す離宮に使えていた数人の侍者。 そしてよく似合っていたオレンジのドレスを鮮血に染め大事なものを隠すようにその腕に妹を抱き締める変わり果てた母の姿。 母の腕に護られた小さな体は全身を痙攣させ瞠目した薄い紫の瞳は母を移している筈だが焦点は合っていない。 何が起こったのかなんて考えなくてもわかるはずなのに、カタカタ震える体と心はそれを理解したくないと、出来ないと頭に訴えかけている。 騒然とする離宮の中でまるで自分の周りだけ時が止まったように体が動かず何も耳に入らない。 それが限られた世界の中の幸せだったとしても、確かにそれまで存在していた幸福な時の終わりを告げた瞬間だった。 ーー良いルルーシュ?その力は無闇に使っちゃ駄目よ あぁ、母さんの声だ。 ーーその力はあなたを孤独にするの わかってるよ母さん。 だけど俺はユフィを、半分しか血が繋がってないけど大事な妹を助けたいんだ。 空と太陽と君の涙12 ーールーシュ、ルルーシュ…… ほら泣きそうな声で俺を呼んでる ーールルーシュ! ユフィ……? 「ーーーシュ、……ルルーシュ?」 高いソプラノの声に導かれ意識の深層から手を引かれて水面に引き戻されたような不思議な感覚。 あれ、確か母さんがいたような…。 しかし目に映るほのかに霞んだ見覚えのない天井と豪華な照明器具に、ルルーシュは閉じた瞼をもう一度ゆっくりと開いた。 鮮明に映る天井にはやはり見覚えはない。 この状況がいまいち理解出来ずパチパチと瞬きを繰り返しているルルーシュの右耳に届いたのは夢の中で聞いたのと同じ高い声。 「ルルーシュ」 ただ名前を紡いだだけのその言葉の中には安堵や不安、何かに切羽詰まっているような様々な響きを帯びていて、ルルーシュは意識を向けるよう呼ばれたその言葉に導かれるまま枕の上で僅かに顔をそちらに向けた。 「……ユフィ…?」 今にも泣き出してしまいそうに顔を歪めている妹の姿に、掠れた声でその名を呼べばルルーシュとは違う色合いの紫の瞳がじわりと涙に揺れた。 ただならぬ様子にどうしたんだ、と上半身を起こして尋ねようとした言葉は突然首もとにユーフェミアが抱き付いて来た事により遮られてしまった。 「お、おい、ユフィっ…!?」 慌てふためくルルーシュに構う事なくユーフェミアはぎゅっとしがみついたまま動こうとしない。 ピンクのふわりとした長い髪を視界の端で捉え、ふとその向こうに立つ人物に初めて気が付いた。 ユーフェミアの陰になる一歩後ろに立っていたスザクはこちらも彼女程とは言わなくても、目尻を下げて困ったように笑うその顔は明らかな安堵の色を浮かべていた。 これまた何でスザクまでもがそんな顔をしているのか。 ほぼ無意識に宥めるように長い髪を撫でながらきょとんとスザクの顔を見つめ途切れた記憶の糸を手繰り寄せたルルーシュは、掴み当てた最後の記憶の切れ端にはっと目を見開いた。 言葉ないまま同意を得るようにスザクを見つめていると、ルルーシュの意図を汲み取って苦笑を浮かべて小さく頷いた。 あぁ、そうか、と。 妹のこの行動に得心がいったルルーシュはただ髪を撫でていた手を慈しむように優しいものに変え、苦笑を浮かべながら首もとに埋めてしまって顔の見えない妹に柔和な眼差しを向けた。 「ユフィ怪我はないか?」 はい、と籠もった声が耳元に届きルルーシュはほっと胸を撫で下ろした。 ナイフを持ったテロリストがユーフェミアに迫り咄嗟にそれを庇い、飛んできたスザクがテロリストを取り押さえた所までは覚えている。 が、そこからぱったりと記憶が途切れその先に繋がる記憶はさっき見たこの部屋の豪華な天井。 今まで意識を失っていたのは明白でその間何があったのかはルルーシュには知る術もない。 最後の記憶でスザクがテロリストを確保していたからそれ以上の被害はないとは思うが、それでもあの状況を思い出せば万が一と言う事もありえるし確認はしておきたかった。 暫くそうしていたユーフェミアは縋りついていた腕を解きおずおずと顔を上げた。 今にも消え入りそうな顔を至近距離で見つめルルーシュは苦笑を漏らして、首元に顔を埋めていた為乱れてしまった前髪を指で梳きポンポンと頭に手を置いた。 「ごめんなさいルルーシュ、私のせいでこんな事になって」 「ユフィのせいじゃないだろ。悪いのはあのテロリスト達だ」 「そうだけど…。ルルーシュ怪我は?痛い所はない?」 「大丈夫だ、何ともないよ。いざナイフを持った男を目の前にしたら頭が真っ白になって気を失ってしまっただけだ」 情けない話だ、と自嘲気味に笑うとユーフェミアは反対にふっと温かで木漏れ日のような笑顔で緩く首を振った。 「ルルーシュが庇ってくれなかったら、私今頃どうなっていたかわからないもの」 ありがとうと微笑むユーフェミアにつられてルルーシュもふっと笑顔を浮かべてすぐ、あっ!、と普段から高い声が一層高い声を上げた事にびくっと目を見開いた。 「ルルーシュが目を覚ました事お姉様達に伝えなきゃ!」 ユーフェミアはぱっと立ち上がり焦りと喜びの混じった顔でそう言うと一歩後ろで控えいるスザクに振り返った。 「スザク、ルルーシュをお願いしますね」 にこりと笑んだユーフェミアの言葉にお任せ下さいと微笑み返したスザクの返事に笑みを濃くしたピンクのお姫様は慌ただしく部屋から出て行った。 一気にしんと静まり返った室内はよくよく見るとかなりの広さがあり、ポツンと取り残された二人は顔を見合わせ何度か瞬きをした後ぷっと吹き出したのはほぼ同時だった。 「相変わらずだなユフィは」 「すごくルルーシュを心配してたんだよ。倒れてからもも傍にいるってずっと付き添ってたんだから」 「逆に悪い事をしてしまったな」 目覚めた時に目にした顔を思い出せば、ユーフェミアを助ける行為だったにせよ逆に余計な心配と責任感を負わせてしまった事がとても申し訳なかった。 ユーフェミアの一歩後ろに控えていたスザクは彼女が座っていたベッドサイドに置かれた椅子にゆっくりと腰を下ろした。 まだあれからそんなに時間が経っていないのかスザクが纏っているのはパーティー用に着用していた騎士服のままだった。 「あれからどれくらい経った?」 「二時間くらいかな。テロリスト達は皆拘束して政庁に移送されたよ。そろそろ取り調べが始まってる頃じゃないかな」 「怪我人は?」 「大丈夫、一人も負傷者はいなかったよ。強いて言うなら君くらいかな」 苦笑混じりのその言葉がスザクもユーフェミアと同じ様に自分の身を案じていてくれた事を窺い知れて、ルルーシュはきまり悪く笑う事しか出来なかった。 どうやら自分が思っている以上に皆に心配をかけてしまったらしい。 「本当に怪我はしてないんだよね?」 「あぁ、特に痛む所は無さそうだ」 「なら良いんだけど。体の調子は?」 「見ての通り問題ない」 相変わらず心配性だなと肩を竦めると違うよ、とあくまで真面目な顔で否定の言葉を口にしたスザクにルルーシュは瞠目で返す事しか出来なかった。 「ギアスを使ったんだろ?」 「ーーー気付いてたのか」 「君の左目が赤く光ったのが見えたし、君達に向かって行った男があの時の前後の事を覚えてないって言ってたから。あれはギアスをかけた時の現象そのままだ」 隠し通せるとは思っていなかったし、そもそも隠すつもりもなかった。 ギアスと言う能力を知らない者ならともかく、この力の存在を知っているスザクが気付かない訳がなかった。 それでもどこか後ろめたい気持ちが尾を引いているのは、本当に必要に迫られた時以外この力を使用しないと誓った自分自身への誓いを破った事と、その事をスザクが知っているからだ。 だが、 「あの時はああするしかユフィを助ける手段がなかった。使った事を後悔はしていない」 スザクのように武術に覚えがあるならまだしも皇族と言う身の上を抜きにしても、お世辞にも運動神経が良いとは言えない自分では、あの状況下においてユーフェミアを助ける手段はあれしかなかった。 あの時の咄嗟の判断は間違ってはいないと今でも思う。 そうでなければ前に立った自分はおろか、ユーフェミア共々今頃冷たくなっていただろう。 それくらいあのテロリストの目は本気だった。 「何で気を失うような事に…」 得心がいかないとばかりにスザクは不安が入り混じった怪訝な表情で眉根を寄せた。 そう、ギアスの力を使っても本来なら意識を失うような事にはならない。 今と違い幼少の頃は己の持つ不可思議な力を、その力が秘めた可能性と危険性に考え及ぶ事もなく事ある毎に行使していた時期もあった。 その時は特に体に異常をきたす事もなく、使い続けない限り本来ギアスはその使い手の心身に損傷を与える事はない。 「ギアスを使った瞬間あの時の……母さんとナナリーの光景がフラッシュバックした」 スザクの目が瞬間大きく見開き、そして辛そうにその新緑の色をした瞳が細められた。 何者かの手にかかり母マリアンヌが帰らぬ人となり妹ナナリーが足の自由と視力を失う事となったルルーシュにとっての忌まわしいあの事件。 母の存在を疎んじる者が差し向けたテロリストによる犯行と言う線が濃厚だが、知る者の中ではギアスの力を狙われたのではないかと言う見方も出ている。 ギアスは皇族とその周辺の一部に発現する王の力と言われる未知の能力。 その力を己の発心や欲望、更にはその原理を研究解明に利用しようとする人間が必ず現れギアスを持つ者は保身の為に、等しく力の事を口にせずその存在を知る者は極めて少ない。 ルルーシュも母が死去して以来自分とそれ以上に大事な妹の身を護る為ギアスを使う事はしなかった。 ルルーシュが持つギアスが自分の命令に従わせる絶対遵守の力だった事も他の理由の一つで、成長と共に個人の意志と尊厳を踏みにじるこの力を使用するのに躊躇いを覚えるようになったからだ。 「あれから七年も経っているのにな」 情けない、と吐き出すように自嘲して手元にあったシーツをぎゃっと握りしめた。 いくらあの日以来力を使っていなかったとは言えそれをきっかけにまたあの日の光景を思い出し、意識を失ってしまう程の衝撃を受けたなんて。 自分でもあの日の事は時が解決してくれるなんて安易な考えは持っていない。 けれど時と共に自分も成長して精神的に強くなったと思っていたのに。 自覚していないだけでまだ心の内には抜けない棘となって刺さっているのか。 「そんな事ないよ」 包み込むような柔らかい声音が降ってきて伏せていた視線をはっと上げた。 「ルルーシュは昔に比べて強くなったよ。ずっと傍で見てた僕が言うんだから間違いない。まぁルルーシュは昔から子供っぽくない子供だったよね」 「おまえ、それ褒めてるのか」 「しっかりしてたって意味だよ。むしろ君は全部背負いすぎ」 「背負ってるつもりはないんだが」 「無自覚なのが一番厄介だって、僕としてはそろそろ自覚してほしいんだけど」 「無意識だろうが皇族に生まれ副総督の地位に就いたんだ。背負うものの多さもその重さも覚悟の上だ」 人の上に立つ者としての当然の責務であり、だからこそ強くありたかった。 見えない所に癒えぬ傷が残っていたとしても、あの時の事件を忘れ去り傷が癒えるのを待つつもりなんて毛頭ない。 与えられたこの地位を利用してでもなすべき事をなし、 護らねばならないものは全力で護る。 そうあの時に誓ったのだから。 「変わってあげる事は出来ないけど、僕も君の騎士としてフォロー出来る事はフォローする。だからーー」 そこで言葉を切ったスザクからはついさっきまで纏っていた柔らかな空気は消え失せ、痛いくらい真剣な顔がこちらを見ていた。 その中にもどこか捨てられた子犬のように寂しげな色が混じっているのは気のせいか。 「スザク?」 「だから、今日みたいに無茶な事はしないで」 真剣なのに縋るような声を絞り出す姿はあまり見た事のないもので。 呆気に取られたと言うか、どうして良いかわからない時点でそれはもう動揺に近い。 もう十年近くを共に過ごし家族同然に暮らして来たはずなのにこんなスザクの顔は見た事がない。 そんなに心配させてしまったのかと言う申し訳なさと、別人と相対しているかのような居心地の悪さにルルーシュはわかった、とぎこちない動作で小さく頷いた。 するとよほど安心したのかスザクが見せた心底嬉しそうな笑顔に胸の奥がきゅっと、痛みと言うには優しくて嬉しいと言うには切なすぎる、何と説明して良いかわからない感情が胸の奥を掴んだ。 何なんだ…これは。 そんな戸惑いもコーネリアとクロヴィスを伴ってユーフェミアが戻って来た事により、一瞬にして思考の片隅へと消えて行った。 next 一応これで起承転結の起辺りが終了。 あと何話続くのか。 2013.11.28 [グループ][ナビ] [HPリング] [管理] |