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アンフェアな僕ら 第三話
「どうかなさいましたか?」
「──ハァッ!?」
「……いえ」
一応、気を使って尋ねたつもりが、あからさまに剣呑な様子でそう返され、アダムはすぐに口を閉じた。
その原因はいわずもがな、解っているのだが。
「今日は、スズネに頼まれて来たんです」
念のためにと、弁解がましく口を開いたのが余計悪かったらしく、今度は無言のまま、射殺すような瞳で睨まれてしまった。
なので、仕方なくアダムは作業に戻る。
棚に並んでいる本のラベルを確認し、題名を見る。一冊一冊見落としがないように、順に指でなぞっていく。
「…‥何を探してんだよ」
すると、問いかけなのか尋問なのか解らない強い口調で、そう声をかけられ、アダムは一旦作業する手を止めて振り返った。
「目的の物が見つかるまで誰にも言うな≠ニ、スズネに硬く口止めされているんです」
「……」
今は、そう言うしかない。
だが、案の定、彼は納得した素振りは見せず、より懐疑的な眼差しでアダムを睨み続けてくる。
「証拠は?」
「あるわけないでしょう」
そんなつもりはないのに、彼の険悪な態度に触発されて、思わずアダムの口調も強いものになってしまった。
「……そう」
「───ッ!」
すると、突然興味を失ったように背中を向けたイヴが、アダムの不意をついて襲いかかる。
懐から差し出されたレターナイフを薄皮一枚で避け、間髪入れずに繰り出された二刀目の攻撃は、手にしていた革表紙の厚い本で受け止めた。
「それ、ここの本なんですけど」
「…でしょうね」
自らが貫いた本を一瞥し、やけに丁寧な言葉遣いでそう非難を口にしたイヴに、アダムは嘆息して答える。
突き立てられたナイフの角度を見れば、その殺意が明確だった事がよく解る。
「…‥ご存じですか?この本は、1710年出版の初版本で、今ではもう滅多にお目にかかれない貴重な資料なんです」
「へぇ、そうですか。でしたら、貴方に弁償して頂かなくてはいけませんね──…ッ!?」
今度こそ、息の根を止めるべく、高速で近付いてくる刃先を視界の端にとどめ、アダムは少しでも相手の気をそらすために、ナイフが突き刺さったその本を床に投げ捨てた。
柄しか残らないほど深く刺さっていたそれは、使い手のイヴの腕をも引っ張って床に落下しようとするが、咄嗟に判断して、イヴもすぐにそのナイフから手を離す。
そのわずかな隙に、アダムはレターナイフを掴む彼の反対側の腕を捻りあげた。
だが、そうされる事は大方予想済みだったのか、イヴはひねられた腕に特に抵抗する事もなく──かと言って、握った凶器を取り落とす事もなく、細長いレターナイフを指先で器用に回転させ、逆手のまま使えるように握り直す。
「──チッ、」
それを確認したアダムは小さく舌打ちをし、間一髪のところでその刃先を避ける。
壁に縫い止められた上着を素早く脱ぎ捨てると、内ポケットに仕舞い込んであった小型の銃を取り出した。
その刹那の中で、刃先が擦れ合うような激しいプライドの応酬が繰り広げられ、普段は静謐(せいひつ)なその場所も、今だけは異様な雰囲気に包まれていた。
「はいはいはい、ちょ、ちょっ、ちょっと待った。ストップ。待ちなさい」
すると、そんな一触即発の二人の間に本を差し入れ、割って入って来たのは、他でもないシェイルだった。
「…君たち、人の邸で何してるの?」
人の邸、とは、紛れもなくこの邸の主人であるエリゼを指す。裏を返せば、こんな場面を彼女に見られても良いのかと言う忠告だ。
「イヴ」
それまでのやり取りを見ていなくとも、何故どうしてこうなったのか…‥仮にも、二人の性格を熟知しているシェイルには、手に取るように解った。
だからこそ、敢えてイヴにのみ牽制の視線を送る。
「……」
それに至極不満を感じた様子でムスッとしながらも、イヴはアダムの上着ごと壁に突き刺していたレターナイフを、乱暴に抜き去った。
その拍子に、ボロボロと剥がれ落ちる白い塗装を眺めながら、シェイルは大きく溜め息を吐く。
「……全く、」
頭を抱え、呆れたように呻くシェイルに、アダムが深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。すぐに片付けます」
そう言うや否や、床に散らばった本をテキパキと拾い集めるアダムを見て、シェイルがイヴに鋭い視線を送る。
「君は?」
「……申し訳ありません」
明らかに不服そうな顔つきで、一応は謝罪の言葉をそう口にすると、一瞬の内にカオスと化したその場所を、イヴも渋々片し始める。
「……ちょっと、あまりこっちに近付いて来ないで下さいよ」
「……解りました」
「………」
適度な距離を取りつつも、嫌味と牽制を忘れない、イヴの過剰なほどにアダムを毛嫌いする態度に、軽い頭痛を覚えながらも……シェイルは、ふと人の気配を感じて顔をあげた。
「エ──」
「…‥アダム?」
しまった。と、シェイルが心の中で呟いたと同時に、その可憐な声を受けて、イヴとアダムの二人の肩がピクリと動く。
だが、先に動いたのは、やはりアダムの方が早かった。
「お邪魔させて頂いております。ご挨拶もせずに失礼致しました」
何のやましさも感じさせない清廉潔白とした態度で、堂々と見本になる礼節を尽くすアダムに、シェイルは内心舌を巻く。
相変わらず、執事としては完璧な人間だ。
「仕事に戻ります」
「…‥え?」
そう思ったシェイルの感情が面に出たのか解らない。
だが、イヴは拾い上げた大量の本をシェイルに託すと、現れた主人をろくに見る事もせず、そのまま部屋を退出して行こうとする。
「イヴ…?」
彼の様子に異変を感じ、不安そうに佇むエリゼの横をイヴは一瞥もせずに通り過ぎて行く。
「失礼します」
「──…、」
一言、やけに冷たく聞こえたその言葉が、何故だかエリゼの心に深く刺さった。
「…仕事って、」
まず、これを片すのが、お前の仕事だろう──と、よほど言ってやろうかと思ったが、これ以上この場が混乱するのも避けたいので、シェイルは唇を堅く引き結ぶ。
だけど、今のエリゼに対する態度だけは許せない。
「…腹立つ」
アダムの事を気にくわないのは本人の勝手だが、それはエリゼのせいではない。勝手な嫉妬で八つ当たりするなんて、男のくせに情けない。
……とは思ったが、もしかしたら自分も人の事を言えないのでは…と、思い直し、口惜しいがそれも喉の奥に押し込めた。
「エリゼ様。用件が終わり次第、改めてご挨拶に伺わせて頂きます」
しかし、そんな中でも唯一冷静さを失っていなかったアダムが、場の転換を図るセリフを然り気無く発した。
シェイルがハッとすると同時に、イヴが消えた扉の方をずっと眺めていたエリゼが、ゆっくりとアダムに向き直る。
「…‥分かった。ゆっくりしていってね」
アダムに対して、何事か関心のある言葉を吐くであろうと予想していたシェイルを裏切り、エリゼは極めて主人らしい言葉をそう吐くと、すぐに踵を返しイヴの後を追った。
それを半ば呆然と見つめながら、シェイルがポツリと呟く。
「…君、気がきくね」
「ありがとうございます」
日頃の鍛練≠フおかげだと口にしようとしたアダムは、すぐに思い直し、もっと遠回しなオブラートに包んだ物言いを選択した。
「猛獣使い≠目指しておりますので」
「……なるほど」
その返答に、クロイツ家のあの奔放な主人を思い出し、シェイルは納得したように頷いた。
しかし、その胸中はいつになく複雑で、漏らす気のない本音がポロリとこぼれる。
「…‥しかし、成長は早いものだね」
「そうですね」
主語が欠けた会話ではあったが、アダムには彼が言わんとしていることが十分に理解出来た。
──もう彼女に、自分達は必要ないのだ。
copyright(c)まいみ 2011.03.04
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