───ジリリリリ、
由緒正しきアスコット家の邸内に、来客用のベルが鳴り響いたのは、何でもないある日の昼下がりの事。
「来客…?」
使用人たちの仕事具合を厳しくチェックしていたイヴは、その心当たりのない突然の来訪者に首を傾げた。
今日は平日、5日間で天地を創造し残りの2日間で休息を取ったと言われる神の安息日でもあるまいし、一体誰が訪れたのだろうか?
もしや、この邸で一緒に暮らす現当主の従兄弟君であるあの人のビジネス相手が、予定外の商談を持ち込みに来たのかもしれない。
そんな思いに、イヴはさして気に留める風でもなく、一度軽く髪の毛を撫で付けてから、足早にエントランスホールへと向かった。
手早くネクタイの緩みを確認し、燕尾服の裾を引っ張ってシワを伸ばすと、外へと繋がる大扉に手をかける。
「はい、どちらさまで……」
そして、ギギギ、と言う重い木製の軋み音と共に開いた扉の先に見えた光景に、イヴは動きを止めた。
目の前には、見慣れたメイド服姿の女が一人と、その後ろに控えるようにして佇む男の姿がある。
その闇に映える漆黒の髪の毛と、光を通さない右目にかけられたモノクルムの存在に、イヴは間髪入れずに扉を閉めようとした。
「待って、私が呼んだのよ」
だが、閉まりそうになる扉と扉の間、わずか10センチばかりの隙間に手を差し入れて来たスズネに、イヴは眉根を寄せる。
吐き出す声色も、自然と低くなった。
「何で」
「探しものがあるの」
取り繕うように言って来るスズネの言葉に耳を貸しながらも、イヴは内心「絶対入れてなるものか」と、決めていた。
しかし、このままその白い指先ごと扉を閉めるわけにもいかず、どうしたものかと考えあぐねている内に、更に厄介な第三者の介入を許してしまう。
「あれ、そんなところで何してるの?」
間延びした何とも脱力感のある声で話しかけられ、イヴもスズネも一瞬の内にハッとして、そちらの方を仰ぎ見た。
「シェイル様…」
「何なに、皆で僕に隠しごとー?」
いつもながらの爽やかな微笑を絶やさず、ペタペタと室内用の上履きを踏み鳴らしてイヴの背後に近付いたシェイルは、ふと扉の外にいるスズネと男の姿に目を止める。
「あれ、アダム。どうして、ここにいるの?」
「お久しぶりです」
ペコリと慇懃に挨拶をしてみせるアダムに、彼の来訪を
心から一番に嫌悪していたイヴは、ここぞとばかりにシェイルに詰め寄った。
「シェイル様も、あんな奴をアスコット邸内に入れるのは、嫌ですよね!?ねっ!!?」
彼の着流しのガウンの襟元を掴む勢いで顔を近付けて来るイヴに、シェイルは今一度状況をしっかり把握しようと、扉の外にいるスズネとアダムに目をやる。
こんな面倒くさい状況なのにも関わらず、顔色一つ変えていないアダムと、心なしか思案顔で懇願するようにコチラに見ているスズネの様子に、彼の心は何の迷いも無くすぐに決まった。
「いいんじゃない」
「はっ!?」
「別に、エリゼに会わせなきゃいい事でしょう」
「……」
いやいや、そんな問題ではないだろう。
とか思いながらも、彼のあまりにもにこやかすぎる笑顔に言葉をなくし、イヴは黙り込んでしまう。
元より、彼とスズネだった場合は彼の方に決定権があるが、それがアスコット家の血筋となると、話はまた別なのだ。
普通に考えて、主人の大事な従兄弟君に逆らえるはずがない。
「アダム、どうぞ」
そんな状況を事態の収拾と踏んだのか、スズネは未だ納得しきれていないイヴに構わず、アダムを邸内へと招き入れた。
その為、しばしイヴとアダムが敷居越しに睨み合い(と言うかイヴが一方的に)をするが、
「イヴ」
初めはそれを可笑しそうに眺めていたシェイルも、やがて痺れを切らしたようにイヴにそう声をかける。
その有無を言わせぬ物言いにイヴは小さく肩を揺らし、明らかな不承不承の体(てい)ながらも、ゆっくりと入り口を塞いでいた腕を退けた。
もちろん溜め息を吐く事も忘れずに、すぐ横を何の悪びれもせずに堂々と通り過ぎて行くアダムを鋭い視線で追い、小さく舌打ちをする。
冗談じゃない、何でこんな奴の侵入をこうも簡単に許してしまうのか。
考えれば考える程イラつく議題に、イヴは今すぐ背広の内ポケットに隠した小型の銃で、彼の後頭部を撃ち抜きたい衝動に駆られた。
そんな抑え切れない殺気を露にする彼を横目に、アダムに邸内への侵入を許した当の本人であるシェイルも、いささか複雑な心境で、邸の奥へと遠ざかって行くスズネとアダムの背中を見つめる。
何故か、邸のメインエントランスホールには、この家で一番重要な役割を担っているはずの彼らだけが残された。
「シェイル様」
「何」
「追わなくていいんですか」
「そっちこそ」
「……」
「……」
静寂を切り裂くように、ホールに置かれた振り子時計が、15時丁度の鐘を鳴らす。
「シェイル様」
「何」
「本当は、アダムを入れるの嫌だったんじゃないですか」
「良いわけないじゃないか」
「じゃあ、どうして許したんですか」
「スズネが目で訴えてたから、仕方なく」
「目的は分かってますか」
「さぁ、何だろうね」
「………」
「………」
二度目の会話の終了は、同時に彼らが走り出す合図でもあった。
「そんな余裕ぶった態度をするから、いつも損するんですよ!!」
「仕方ないだろう!隙を見せないのが、僕のポリシーだ」
「そんなこと言ってる場合ですか!似非紳士ぶって、貧乏クジ引く事になったって知りませんから!!」
「悪いけど、もうそう言う事態には慣れてしまっているんでね!」
「冗談じゃない!オレは、そんなピエロみたいな役割はごめんです!!」
「ジェントルマンは、みんな似たような生き物なんだよ!」
───それはそれは、ある日の昼下がりのお話。
ジェントルマンは、嘘がお上手
(そのポーカーフェイスが崩れたところ、みんなに見せてやりたいですね)
(無理だよ、僕は最高の似非ジェントルマンだからね)
#続く
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