目覚める蕚
毎日毎日同じことばかりを考え続けると人間の思考というものはその一つの観念に囚われて世界を酷く狭めてしまうものらしい。視野の外にある空間の存在を確認することが出来なくなる、否――肯定することができなくなるのだ、そこに在る何かの存在を因子の欠片すら認めるのを許せない。そして物体であれ事象であれどんなものですら排斥の対象になりうる可能性を持っている、或いは存在という事実を得た時点でそれは最初から付随してくる様なものなのかもしれない。
万物に分け隔てなく備わる事柄の一つ、拒絶の種を元に存在は確立する。
茜さす大通りを歩く、冬の朝日と凍てる空気の中を割き肺を冷やす氷点下の酸素たちを多分に吸い上げながら進むその足取りは速度こそ遅いものではなかったが彼の背負う影は大きく重みを持っていた。
「……寒ィ、…」
零した言葉が白く吐かれ宙空を束の間染める。
夜に安眠を得ることをしなかった身体は重たく、充血に曇った眼は霞められた眼界を作り出した。
それでも彼の思考が告げ勧める刹那的な逃避に甘んじた自分を否定する気にもならず、無言に擁される獄寺の帰途に阻むものはなかった。
独り寝を包む漆黒の帳が降りた空間で暴走しだす自我を止める手段ならば盛る人込みに繰り出し己を忘れるのが丁度よい、と。囁く防衛本能に身を任せ原色のネオンと嬌笑に騒ぐ街に朝までの経過の保証を強請り。
こうして明かす夜がもう日常になっていた、いつまで自分は逃避を続けるのだろうか。あの人を諦めるまでだとしたら一生かもしれない、とか。
……情けね、
「誰だコレ」
自分はこんな奴だっただろうか。
冷え切った身体と室内。
冷めた気配しかない部屋に帰りとりあえずシャワーを浴びた、熱湯に皮膚は上気したというのに未だ何かが温度を得てはいなかった。
この後登校するのかと思うと気が重い、学校自体は行こうが行かなかろうが同じ様なものだがただあの人に会うのが辛かった。
――あの人、
そもそも、出会ってしまったのが間違いだったのかもしれない。
確実に、彼と出会ったことでオレの世界は変わった、多分これからの人生もすべて変わってしまったのだろう。彼にこの世界の光をみた、暗い路地しか知らなかったオレにこの世の綺麗なものを教えたのはあの人だ。
それは素晴らしいことだと思う、だが。
人間とは欲張りな動物で、
……オレはガキで欲しがりだから、始めから綺麗なものなんざ知らないほうがよかったのかもしれないなんて思う。知らなければ求めることもない期待することなんかもない。
自分には暗い世界がお似合いだと、卑屈になる様なこともなかった、美しいものとの余りの落差に己の汚らわしさとこの世を恨むことも、――…
オレには眩し過ぎる。届かせてはいけないこの手、触れたいと思えば多分均衡は崩れて壊してしまうから。
それでも四六時中頭を占めるあの人に何故だか勝手な苛立ちを覚え、薄暗く寒いこの部屋の中で辛うじて息をする自分が滑稽で、
静かで無機質な空間、鼓膜を車の走る音が震わせた。
*****
どのくらいこうしていたのだろうか。
ソファの上でうずくまるような格好の自分を確認する、知らぬ間に眠っていたらしい。
部屋の中は暗かった、まだそれ程時間は経っていないのかと思って時計に目をやれば七時半を指していて、妙だと思い携帯を開けばデジタルの表示が19:28と表されていた。
「…ガッコ」
もう閉門後だろう。
それについては特に何を感じるでもないが、何時間もこんな所で眠っていた所為で痛む肩と背中に自分の間抜けさが痛いと失笑した。
明かりも点けぬままぼんやりと腰掛けたソファ、深く沈み受け止めるスプリング。
しじまの垂れ込めた室内に唯一自分の呼吸音だけがかすかにする。他の物音は一切しない部屋、身じろぎもせず此処にいる自分。
この部屋の外に世界なんかあったっけ、とかフザケたことを一瞬だけ思った。
「…いや馬鹿だろオレ、」
(無いわけねえだろよそりゃ)
10代目だっている。
「……、」
"じゅうだいめ。"
あの人のいない世界なんか、
(………?)
「……アレ、」
「……ここ何処だっけ」
END.
20061214
20070207加筆修正