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 いつの間にか、子供という安全な、それでいて閉じ込められた箱の中から足を踏み出し始めている。大人の世界は未知で不気味ともいえる。多分、夜のお付き合いのせいで奥さんに浮気と罵られたり、未払いの子供の給食費、滞納した家賃、負けても負けても次こそ勝つとギャンブルを繰返し、あるいは、青春時代の眩い思い出にいつまでも未練があったり、暗い部屋で一日中ぼうっとして老いた親のすねをかじっていたり、わけのわからない孤独に泣いていたり、するかもしれない。子供は、お母さんやお父さん、大人に用意された箱庭でかけっこしていれば良い。学校は異様であり奇妙である。家庭環境家族事情も違う男も女も、皆教室という箱に入れられ勉強をし行動を共にする。

 神様へ。
 どうして人間を造ったんですか。

「聞いた聞いた」
「何を」
「詩織が高田君に告白するんだって、さあ」
 どうでも良いよ。勝手にして。馬鹿馬鹿しい。だけど私は愛想というものを学んだ、他人に合わせなきゃいけないことを学んだ。にこにこして、うっそお、と大袈裟にはしゃいでみた。視界の隅に意中の高田君こと、高田恭平が腕を組んで床に座っていた。お隣りには末次武が、難しい顔をして何やら話していた。
詩織は男子に人気で守ってあげたいと思わせる、生まれたてのひよこみたいな、女の子らしい楚々なタイプだ。
「クリスマスに告白するんだってさ」
「そうなんだあ」
 クリスマスなんて、最悪なタイミングじゃない。よほど詩織はふられないという自信があるらしい。
「ね、私たち応援してあげようよ」
「……そうだね」
 思っていても口に出しては言わない。それが子供である私たちの変な決まり。もし破れば上っ面だけの友人を失うかもしれないという。卒業するまでの我慢。みんな、心中はそうなのだ。我慢比べしあって、馬鹿みたいに思い出を作りたがっているだけなのだ。

 マフラーを首に巻いて席を立つと、タイミング良くドアが開いて、真っ赤な顔をした詩織が入ってきた。戸惑いで、私はかける言葉も見つからず所在なく立ち尽くした。詩織は私の正面で止まると、開口一番「やったよ!」と言うと泣き崩れてしまった。え、何が? 私の頭の中は混乱した。男子に人気な詩織のそれと違って、目の前で泣く詩織は鼻水垂らし放題の、ただのひとりの人間だった。それにしても全く意味が分からない。私はとりあえず、ティッシュも何も持っていないので制服の袖を差し出した。詩織は体を震わし、 首を傾げて見上げた。
「……拭いていいよ」
 詩織はためらい、遠慮がちに目許を拭った。だけど……鼻水が少しついた。汚いとは思ったけれど、汚い姿は人間そのものだとも言えるような気がして、妙にひとり納得した。みんな、何をそんなに恐れているのだろう。汚れた洋服も洗えばきれいになる。私たちは洗濯物じゃない、けれどそれと大差ないと思う。形に残ることが、どうして怖いのだろう。

 ――数日早く、詩織と高田恭平のまだまだ初々しい後ろ姿を教室から眺めた。クリスマスまで待てきれなくて、詩織は今日告白したのだ。やっぱり詩織は、可愛いと思う。私に一番にそれを伝えてくれたし(放課後教室に残ってたのが私だけなんだけど)。高田恭平は、男を感じさせない。華奢だとか女の子みたいなんじゃなく、筋肉がやけについているわけでもない。普通といえば普通の男子。
「これで良かったの、お前」
 視線を向けるといつの間にか末次武が教室に入っていた。重たそうなバッグを肩から下げている。
「びっくりした」
「びっくりした?」
「うん」
 末次武はバッグを床に放り投げると、私の隣りにやって来て「実は好きだったよ」と笑う。 大きな針で体を貫かれたみたいに、私は苦しくなった。私も好きだったの。呟くと、やっぱり、と返されとっくに見透かされていたんだと知った。何気なく、互いに手を繋いだ。ぎこちなかったけれど。




◆Thank you 元素






あきゅろす。
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