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磯海
*キス話です、ご注意!






悠哉はただ、綺麗だと思った。
きらきらとした木漏れ日が照らす道、自転車を漕ぐ音以外には木々が揺れる音だけ。ぎぃと自転車が音を鳴らしたのが聞こえた。うっすらと汗ばんだ肌に、髪の毛が吸い付く。すぅとした風を頬に感じて、目を瞑った。


「悠哉?」


二メートルぐらい前方から声をかけられて、目をすぅと開ける。一希が不思議そうな顔をしていた。


「気持ちいいな、風」

「そうじゃな」


一希はそう言いながら前を向いた。一希も目を瞑り、風を感じているのだろうか。表情は見えないが、何だかそんなような気がした。


「もう夏じゃな」


哀愁ともとれる声色に夏の空を思い出す。俺らの上にいつもある、あの夏の空を。今年もまたあの空を見る季節になったのかと思うと、自然に鼓動が高鳴るのが分かった。
ふいに一希が自転車を漕ぐスピードを緩め、俺の隣に並んだ。


「悠哉、休憩しよう、ほらあそこ」


一希が指差した先にはベンチがひとつあった。ちょっとしたスペースが確保されている。俺達は道の隅に自転車を置いて、そのベンチにどかりと座り込んだ。


「あちぃな」

「まだ5月じゃのにな、服脱ぎたいくらい暑い」

「脱いでもええで、誰も通らん」

「あほ、脱がんよ」


そう笑って一希は手で顔を仰いだ。今まで坂道を自転車で上がってきたのだ、暑くないはずがない。


「野球、したいな」


ポツリと一希が呟く。その綺麗な横顔につぅと汗が流れた。じわり、と内側から熱くなる。意外にも瞳は真剣で、真っ直ぐに前を見ていた。
その横顔が綺麗で、悠哉は思わず呟いた。


「綺麗じゃ」

「は?」


一希がこちらを向く。形の良い唇が開く。ちらりと焼けていない肌が胸元から覗いた。あぁやっぱり綺麗だ。



















「悠哉?」

「へ?」


不思議そうな一希の声がしてふと意識が戻った。驚くほど俺と一希の距離は近くなっていて、驚き体が動く。
ちゅ、と軽く音が鳴った気がした。唇にわずかに触れる柔らかい感覚。


「っ、!」

「悠、哉?」


ばっと一希から飛び退くように離れ、後退する。がくりと右手がベンチから落ちる、やばいと思ったときにはもう体がベンチから落ちていた。


「う、わっ!」


どしんと音を立てて、後ろ向きに倒れる。衝撃が体に響き痛いと声が漏れる。


「大丈夫か、悠哉!」


一希が俺に向かって手を差し出す。一瞬躊躇ったがその手をしっかりと掴み立ち上がる。


「大丈夫か?」

「あぁ、うん…」


やばい、一希の顔を直視出来ない。わざとではなかったにしても、触れてしまったのだ唇が。
鼓動が凄く速くて上手く息が吸えない。多分今俺は真っ赤な顔をしているだろう。


「悠哉」

「すまんっ本当にすまん!」

「いや、怒ってないぞ」

「本当にすまん!」


パンと手を合わせ頭を下げる。一希がす、と動くのを感じた。手が俺の頬の辺りまで伸びてきたかと思うとぎゅっと俺の頬をひねった。ピリッとした痛みが走る。


「これでおあいこじゃよ」


ニヤリと笑う一希に俺は思わず眉間にしわを寄せてしまった。じゃてキスやぞ?気持ち悪いとか思わんのか?


「悠哉、なんか変な顔しとるけぇ」

「じゃて一希…」

「俺がええって言うとるんじゃ、そんな顔せんでもええよ」

「……うん」

「それにな」

「うん」

「俺お前じゃったら別に気持ち悪いとか思わんけぇ」


思考回路が一瞬スパークを起こしたみたいに止まる。すぐに復活したそれはめまぐるしく動き始める。つまり、それは、


「一希それって…」

「あ、そうじゃ悠哉!」


はじき出した答えを言おうとして口を開いた。すると一希がそれを遮るように声を上げた。


「さっき綺麗じゃて言うたけど、何がじゃ?」

「え?あ、それは一希が…」


は、と口に手を当てて口をつぐむ。俺口走ってしもうてたんか、やばい、一希が俺がどうしたんだという顔をしている。



「俺がどうしたんじゃ?」

「いやっ何もないんじゃ」


"一希が綺麗で見惚れた"なんて言える訳がない。一希は訝しげな表情で俺に詰め寄った。


「えー」

「っ、嘘じゃないけぇ」

「じゃったら、何が綺麗じゃったんじゃ」

「それは…」


何かないものか、そう思って一希の後方を見やる。綺麗な新緑の中に淡い紫が見えた。


「あれじゃよ、藤」


指差した方へ一希が向く。俺はほっと一息を吐くと一希に同意を求めた。


「藤?」

「綺麗じゃろ、今が盛りじゃけぇ」

「確かに綺麗じゃけど」

「じゃろ、あれが綺麗じゃて言うたんじゃ」


上手くごまかせた、と思った瞬間だった。一希が急に笑い出したのだ。しまいには腹を抱えて俺をばしばし叩いてくるので、俺は思わず顔をしかめた。


「っ何じゃよ」

「くく、じゃてっ悠哉」

「だから何じゃ!」

「腹痛ぇ、ははっ、悠哉お前嘘ついたじゃろ」


ドキリとした。一希はまだ腹を抱えて笑っている。俺は何で一希が笑っているのか全く分からなくて、渋い顔を作ることしかできない。


「じゃてな、藤見てたなんて絶対嘘じゃもん」

「っ、何でじゃ」

「あれ藤じゃのうて、桐じゃよ」

「桐?」

「桐」


瞬間、顔に熱が集まる。一希はそれを見てさも愉快そうに笑った。何か言おうと口を開いてみたが何も言葉が出てこない。


「確かにどっちも紫の花じゃけぇ、けどなお前に藤と桐の見分け方教えてもらったんじゃ、お前が知らんはずないじゃろう」


そうだ、昔俺が一希に教えたのだ。藤も桐も同じ時期に花を咲かすが、藤のほうは下に垂れ、かたや桐は木であるので上に咲くのだ。
全く気づかなかった。かぁと顔が熱くなるのが分かる、格好悪い。


「っ、そういう一希はさっきどういう意味で言うたんじゃよ!」


俺は悔し紛れに先程遮られた言葉の先を求めた。一希はえ、と声を漏らしぴたりと笑うのを止めたかと思うと、急に真っ赤に顔を染めた。
俺はその差に驚いて思わず言葉をなくした。一希も何も言わない、沈黙が訪れる。


沈黙を破ったのは一希だった。


「悠哉」

「うわっ、何じゃ!」

「何も見えとらんな?」


一希の手が俺の視界を塞いだ。明るかった世界が急に暗くなる。一希はいったいどうしてこんなことをしているのだろう。


「つまりな、」


一希の声がさっきより近くに聞こえる。どきりと心臓が跳ねる。至近距離というのはどうにも心臓に悪いようだ。


「こういうことじゃ」


唇に何かが押し当てられた感覚がした。柔らかいそれはすぐに離れていった。それとほぼ同時に視界を遮っていた手がどけられ鮮やかな世界が戻る。まだ少しぼやけた世界に一希が走っていくのが見える。思わず俺は声をあげた。


「か、かかっ一希!」


くるりと海音寺が振り返る。少し朱に染めた顔で、いたずらっ子のように笑った。


「指じゃ指!」

「は、あ…え?」

「何想像したんじゃ、悠哉の変態!」


そう笑うと一希は自転車に跨り、道を行きだした。我に戻った俺は、慌て走り出す。段々とこみ上げてくる恥ずかしさと怒りと情けなさを込めて俺は叫んだ。


「一希!」








先行く君は何を思う?
(あなたは指に込められた想いに気づくだろうか)










*
56!磯海の日
ちなみに海音寺さんは、自分の唇に押し当ててから、悠哉の唇に押し当てました。つまり実は間接キスです^^


あきゅろす。
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