[携帯モード] [URL送信]




何か、が背後から迫り来るような。そんな足音がずっと聞こえている。ひたひたと、来る。
こちらの思考が読めるかのように、何処へ逃げようが無駄なそれは不気味だったが、もしやこの年で幻聴が聞こえるようになってしまったのかと不安になる。もとよりイカれた頭である。可能性は否定できない。
未だ消えない足音は、不気味だが恐ろしくはなかった。死神あたりがお前の番だと首をはねにでも来たか。こちとら20代の、まだまだ人生に未来ある人間は後回しにするべきだ。俺が言えた義理ではないが。

唐突に、複数の気配が周囲で蠢いた。どうやらこちらは幻聴でも何でもない本物らしい。狭い路地をじわじわ囲むように近付いてくる男達を見て、ラッドは警戒レベルを上げるでも下げるでもなく、生温い、と目を細めた。生温い。人数も気迫も獲物も限りなく期待外れのショーになる。これなら死神相手に踊っている方が楽しそうだと落胆し、無粋な輩を一掃しようと拳を握った。ラッドは得体の知れない何かが自分を追うことに一種の愉しみを感じていた。愉しければそれでいいのだ。
とりあえず、深夜の静寂を乱す輩を片付ける。静寂は嫌いじゃないにせよ、騒がしい方が好きだった。そして追われるより、追い詰めるのが好きだ。
ラッドはもちろん正体不明の‘何か’に対してもそうしたいと思うが、今はその一切を半径5M以内に向けることにした。事態は数秒程で呆気なく終了し、ラッドは血液混じりの唾液が点々とする路地裏を通り抜け、帰路についた。血を浴びた姿は夜にとても同化し易いのだった。





遅い帰宅はいつものことである。一緒に暮らす彼女もそれを咎めたことはない。ただ、新しい服にこれまた新しい血痕が付着したりしていると露骨に嫌そうな顔をした。その嫌そうな顔もラッドの好みであるので、不謹慎にも期待をしながら寝室の扉を開けた。

「……ルーアぁ?」

見慣れた姿がどこにもない。
先に寝ているのだろう、という予測が大きく外れる。そもそも寝室には誰の姿もなかった。シーツに多少の皺がある他は、何の変哲もない部屋が寒々しく思え、一歩引いて扉を閉めた。すきま風がリビングに向けて抜けていくその先に、人の気配があった。玄関が開いているようだ。ひたひたと近付いてくる、足音。それに覚えがある。

「…いるのか?」

何とはなしに呼んでみる。薄ら寒い‘何か’がそこにある予感がする。ああ、狩りに来たのか、俺を。
そして暗闇からすうと現れ出た彼女の姿に、安堵の溜息をついた。細い肩を抱き寄せる時に、浴びた返り血を気にしたが、服の血は既に乾いているようだった。 ラッドはルーアに腕を回した。冷え切っている体に確信する。それを確かめるようにもう一度呼んだ。ルーア。
死神の足音は、お前のものか。


「ラッド」


湿った声音が空気を震わせる。耳によく馴染む暗い声は、俺を呼ぶ時と死を語る時にだけ、鬱々とした中に小さな輝きを感じさせた。

わたし、ラッドがもし死んでしまったら、って、そう、考えたの。

けれどその言葉には輝きも何もなかった。胸元に抱き寄せた顔すらもすっかり冷たい。頬をそっと寄せてルーアがささやいた。


「はやく、殺してね」


もちろんだ、と答えたが、突然己よりも先に彼女を殺すものが現れるかもしれないという不安に襲われた。何より、彼女は彼女自身が殺してしまうのではないかという今まで思いもよらなかった考えに混乱した。
己の手で愛しい人を殺めるためにはあらゆる危険から彼女を守らなければいけない。命を奪うのも守るのも自分だけが良い。矛盾しているだろうか。殺すために守っているのだ。何より俺がルーアを殺したくてルーアは誰より死にたがっている。 この世のどんな芸術品よりも美しく、吐き気がするほど美しく無惨に嬲り殺してやりたい。それを望んでいる。願っている、俺も彼女も。

「はやく、……はやく」
「ああ…わかってる。わかってるさ、」

秒単位で生まれ落ちて生温い余裕ばかり享受する人間が増える世界で、彼女の生が終わる日はいつになるのか。その日までどうか誰にも奪われませんように。何より、彼女が彼女自身に殺されてしまいませんよう。
ルーアの纏う白いドレスだけが夜と同化できずにぼんやり浮かび上がるのを、ラッドは眺めた。世界は残酷だ。





狂 人 哲 学








------
09/1020
企画祝砲を一発










第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!