西海岸ショーマンシップと東海岸バトル文化について
西海岸と東海岸と書いたが
実はショーマンシップにはどちらサイドと言うのはない
昨今バトル文化が
アメリカ東海岸から発祥してヨーロッパに持ち込まれている
1970年代〜ダンスでの発祥だが
その文化はダンスのみならずアート、音楽や会話に至るまで及んでいるようだ、、
ストリート或いはヒップホップカルチャーでのバトル文化は70年代ギャングの闘争を止めさせダンスで戦うと言う方式を考え出した貧民街の黒人&白人によると言われる。
それは映画BeatStreetで披露されたブレイキンによるクラブでのバトルシーンに始まり
後のBreakdanceでもスタンディングダンスのバトルが繰り広げられている
だがしかし
歴史を紐解くと
本来これらのダンスを産み出した元となるLockinのドンキャンベルらは元々テレビCMで起用され貧しくもなかった。ザ・ロッカーズの一員であるトニーバジルも元はクラシックバレエを習っていた。
ある日トニーバジルはドンキャンベルからの一本の電話によってクラブに呼び出され
彼のミラクルラブリーなfreezのLockinを教えたと言う
トニーバジルの背後にはテレビプロデューサーがいてトニーはすぐにドンらをCMに起用するよう推薦
それが人気となりSouldanceやアーティスト発掘のSoultrainが71年から全米で放映される。
つまり最初からメディアデビューを意図していた躍りであり
ドンはジャグリングやアメフトも好きだったという。
また、バジルやシャバドゥのようにメディアに対応する教育すら受けた比較的裕福な黒人達の躍りなのだ。
その辺りが東海岸の貧民街の躍りや文化とは違う。
シャバドゥはそれをLAでのストーリーとして映画ブレイクダンスにて表現してしまったが、、(なので反発も誤解も多い)
バトルは東海岸の貧民街から派生した文化であり
Soultrainに出演していた尼崎在住のクリーブランド氏は2000年に「we are showmanship!」と言った。
not street,but on Stage!と付け加えて、、
私はこの言葉の意味が凄くよく解った
なぜなら私は舞台芸術であるクラシックバレエをやって来たからである。
舞台からの観客に対する「アピール」が何より大事である。それがショーマナーであり戦いではないという意味だ
そして
東海岸で産まれた黒人の音楽のJazzの代表的playerであるMilesDaivsは
演奏を目でメンバーにアドリブの合図をしたと言われるが、
Milesに合図されたメンバーはショーマナー(playmaner=stagemaner)は発揮するだろうが
決して観衆や、メンバーやMiles自身にはバトルは売らないであろうし出過ぎたり闘ったりはしない。
あるのはリズムやコードとのハーモニーと、観衆やメンバーやMilesに対するアピールである。
腕をいかに見せるか?がショーマナーであるがテクニックだけではない。
高度な技術を要するビバップやモダンジャズミュージックがそうであるので
全身で視覚によって体現する、より情緒的かつ情熱的なダンスは、よりハーモニックかつfeelingが大事である。
バトルはテクニックを磨くには最良だがショーマンシップは発揮されにくいクラブ文化だ。
結果高度な技術により玄人受けはするが一般観衆に伝わるアピールはパワーだ
勿論終わってからは共に競いあったことに対して敬愛するがバトル中は勝負つまり勝ち負けであるので観衆にまでアピールしている余裕がない。
相手の技を読み取り即興でアレンジして更に上をゆく場合はまだしも
それを無視して技を被せ会うだけのものは特にそうだ
バトルがパワー
ショーがハーモニー
西海岸で産まれたショーマンシップであるLockinを産んだDonCampbellはMilesDavisのようであったとあるメンバーが語っていた。
そしてクラシックバレエにルーツを持つトニーバジルを擁したtheLockersはクラシックバレエの歴史とMilesの歴史を重ねて、ドンキャンベルが好きなアメフトとジャグリングの要素を拝して構成されたと思われる。
Lockin=レベランス=お辞儀と言われるのもクラシックバレエをリスペクトしたと思われる。
I_think_Lockin&Soultrain is 16century'Rui's_BalletComic.とメンバー達に言っている。
芸術復興の折りに流行ったバレエコミックのメディアを通じた再復興である。
なので娯楽用であるが黒人解放運動と伴に歩んだ崇高な思想のもとに40年以上の歴史を経て芸術へとその価値を再認識されている。
芸術とは後世の評価だからだ
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