わしが命について真剣に考えるようになったのは、 父親が脳溢血で倒れてからかな。 倒れる数年前から、 アルコール依存性で肝臓がだいぶやられてたのにも関わらず飲み続けてたんだ。 『この人どーなっちまうんだ…』 っていつも凄い不安に襲われた。 アルコール依存で別人みたいにだらしなく情けなくなって、正直憎んだりもしたし、冷たく当たり散らしたりもしたけど。 それでも…父親だから。 だからその頃は命を軽んじる人間を見る度に怒りを覚えてたな。 亡くなった後はかなり後悔して、今でもそれは消えない。 『生きていてくれたら、もっと理解し合えたのに』 そしてその後、母親が癌で亡くなった。 もーね、自分の事そっちのけでね、子供の事ばっか考えるよーな人で… 昔っから苦労ばっかしてきた人だったから、幸せになって欲しかった。 せめて孫の顔…見せたかったな。 もっと親孝行、したかったな。 『生きてくれていれば、それが出来たのに』 勿論両親の死は…辛かった。 でも経験して学んだ事。 生きるって、色んな可能性に出会う事なんだなぁって。 存在だけで、人はどんなに小さな事でも誰かに影響を与える。 良い事も悪い事も。 そしてそれを糧にして人は色々学んでいく。 だから命って大事なものなのかなぁ、なんて思ったりもした。 尚更命を軽んじる人達を憎んだよ。 でもそこまで思ってたのにさ、 病気になって、 『死にたい』 『死ななきゃ』 って思い始めたんだよね。 わしが愚かなだけなのかな。 分からないけれど。 どれだけ命は大切だ、って言われたって、 どれだけ命の大切さを分かってたって、 自殺願望にはかなわない。 …楽になりたかった。 大切な人達の存在が、 自殺願望をだんだん薄くしていってくれたから今こうして生きている訳だけど。 今、これを見て居る人で、 『死にたい』って思ってる人、居るかな。 うん思うだけならいいと思うよ。 唯一の『希望』として夢見るのは自由だから。 でもどうか…実行に移さないで。 今は居なくても、 もしかしたらあなたが大切に思える人が現れるかもしれない。 今はなくても、 もしかしたらあなたがやりたい事に出会えるかもしれない。 今は希望が『死』しかなくても、 …もしかしたら『生きる為の希望』が現れるかもしれないから… 絶望している今は、 『そんな気休め言うなよ!』 って思うかもしれない。 でもね、良いことが長く続かないのと同じで、 悪いことも長くは続かないんだよ… 『生きる』って、 様々な可能性に出会う事だと思うからさ。 それさえも疲れたかな? ならさ、少し休もうか。 いいんだよ、休んじゃって。 絶望を乗り越えた先にはね、 『生きてて良かった』 って言う喜びが、あるはず。 どんな小さな喜びでも。 そして、その絶望から学んで、糧にする事が出来るものもあるはず。 あなたが背負っている重荷が、少しでも軽くなりますように… ここまでお読み頂き、有り難うございました。 …つたない文章ですが、これを読んでほんの少しでも 『命』について考えて下さる方がいらしたら大変嬉しいです。 この文章はリンクフリーです。 どうぞお好きな所に貼り付けて下さい。 [戻る] [グループ][ナビ] [HPリング] |