目の前のそれは笑ったんだ、確かにその閉じられた目蓋から此方を見ていた、と、思う。 思考が停まった、足も、視線も。 ただ視覚と聴覚だけは確かに動いていた。息をするのすら忘れたというのに。 だって脳の奥に今でも焼き付いている。 (彼の濡れた荒い息遣いと重なるのは白銀の) .沈黙の警告. ガタン。 始まりは物音だった。 「……?」 図書館のすみで本を読んでいたラグナスはその物音に訝しげに顔を上げた。 ガタ。 もう一度、周りの静けさ故に耳を澄ませてみるまでもなく響いた物音に意識を傾ける。 普段なら気にしない物音だ。なのにどうして気になるのか、それは此処が図書館であるからに他ならない。 図書館でなるにしてはおかしな物音だ。 なにか。椅子でもなにか。 (ものが、倒れるような) ラグナスは静かに立ち上がる。 もはや職業病に近いのだが、ラグナスはこういう異変には敏感だった。 図書館で派手な音がすることは通常ありえない。 通常にありえないことはすなわち異常。 たとえそれが些細なことであっても、異常と認めたからには放って置くわけにはいかないのだ。 それが何でもなければそれに越したことは無い。 確認の意を込めて、ラグナスは努めて自然に、何気なく(それは周りに気づかれないように)物音の方向へと歩いていく。 そうしてたどり着いた先にあるものが、なんでもないものだということを、祈って。 (個室?) 物音の発生場所はすぐに見つかった。 ラグナスの居た場所から一番近くにあった、図書館によくある勉強用の個室。 中から不穏な気配は、ない。 そこでラグナスは逡巡する、この扉を開けるべきか、否か。 今のところこの中から異常は確認できない。 確認できない以上、たとえばこれが本当になんでもなかったら、中にいる人になんと言い訳しようなんて考えて。 考えたのは一瞬だった。 「…、め…っ」 「…っと、…かに、ね?」 だんっ。 と、その中から何か(おそらく二人だ)の話し声と、確かに異常な物音が、響いた。 瞬間、緊張と、しかし焦らず慎重に。ラグナスはノブに手をかけた。 伺うように薄く、開いたドアの隙間、から。 見えたのは。 (それは一瞬だった) あれはチョコレートか何かの包み。 それと共に床に転がる大きな緑色をした帽子がぱさりと音を立てた気がした。 その帽子と同じ色をした服を纏った青年が床に、何かを拾うような(それとも、押し付けるような?)体制で座っているのも見て取れる。 ラグナスの見慣れない、くすんだ銀色の髪がはらりと流れている。 そこまでは大した異常はない。 その下に、そうその青年のすぐ下に。 転がった帽子のすぐ近く、床の上にラグナスが見慣れたはずの銀色が。 「やめ、」 (瞳を閉じた青年がくすりと微笑んだままの形の唇でその下で押さえつけた青年の何か言いかけた唇を塞ぎ深く深く口付けて恐らくその口の中に含んでいたのだろう甘い茶色い食べ物を舌で強引にねじ込むとそのまま口内を蹂躙し時折開く隙間から絞るように息を吐く下の彼の息遣いが、) 「…んは、…なせ…っ」 (確かに、濡れていた) その後のことはよく覚えていない。 逃げるようにその場から立ち去ったラグナスは図書館の外で荒い息を吐いた。 何があった何があった。何が、あった? 脳が思考を拒否しているのがわかる。 考えてはいけない。あれがなんだったかなんて。 だって。 目の前のそれは笑ったんだ、確かにその閉じられた目蓋から此方を見ていた、と、思う。 思考が停まった、足も、視線も。 ただ視覚と聴覚だけは確かに動いていた。息をするのすら忘れたというのに。 だって脳の奥に今でも焼き付いている。 確かに自分が惹かれたあの綺麗な白銀の髪と、濡れた荒い息遣いに混ざる甘い声を堪える彼の姿が。 (瞳を閉じたあの人は、いったい自分と下の彼とそのどちらに向かって微笑んでいた?) .FIN. ← ドス黒確信犯レムレスとどうにもヘタレっぽいラグナス。これ以上かけなかったすみません。 これはレムシェといっていいのだろうか。 [管理] |