失くした過程、雨に濡れても綺麗なそれを羨んだ訳ではないけれど。
亡くした家庭、ひとりでは咲かないそれを羨んだ訳ではないけれど。



.紫陽花のひに.
(花言葉 S)





ザァザァと雨は容赦なく降り注ぎ、透明な水はぼんやりと灰色の空を見上げるシグの目の前を流れ落ちていった。

「困った」

言葉とは裏腹にさして気にもしていなさそうな声で呟いたシグの声は、激しい雨音にかき消され。
シグは下駄箱でやはり変わらずぼんやりと空を見上げていた。

傘を忘れた。
週番で居残っていた自分以外の級友はみな帰ってしまった為、帰るに帰れない。
濁った灰色の空はそんなシグを嘲笑うかのように降らす雨水を増やしていた。

濁った灰色の空。見えない青い空。
まるで。

(そらが…ないているみたいだ)

特別なんの感傷もなく、ただそう思った。
その時、視界に不意に、黒い、何かを捕らえたのは偶然だったのか。
学校の校庭にある紫陽花の、その前にたたずむ黒い影。

傘もささずに、あれは。

「あのひと…」

ばしゃん。
決して綺麗とは言いがたい足音を立てて、シグは校庭へ踏み出した。




「なにをしてるの」

シグはゆるやかに黒い背中に声をかけた。
しかしその人は気づいているのかいないのかピクリとも動かず、ただ紫陽花をじっと見下ろしている。
ただじっと。

ばたばたと容赦なく叩きつける雨がシグの全身を濡らし、前髪から落ちる水は静かに顔をなぞっていく。
シグはもう一度問うことはせず、同じく紫陽花を見下ろしながら聞いているのかいないのか分からない相手の返事を待った。

沈黙と雨の音。
青い紫陽花。
灰色の空。

「……なにしてんだお前」

やがて微かに肩を揺らした相手が自分に話しかけてくることを確認してシグは視線を上げる。
振り返った相手の足元がぐしゃりと、大量の水を含んだ音を立てる。
鬱陶しげにこちらを見下ろす、今は見えない空と同じ色をしたそれは、彼の瞳。

傘をさすことなく自分の隣にたたずむことに疑問を抱いたのか、返事が来ないのになおとどまり続けることに疑問を抱いたのか、とにかくそれは先程のシグの問いと同じ問いを投げかけてきた。

「それは…こっちのせりふー」

何をしているのか言い出したのはこちらが先だ。
やはり聞いていなかったのか、それとも声が届かなかったのか。
さして気にもせずにシグは視線を相手に合わせた。

「こんな、あめのなか」

何をしているの、おにいさん。
続きの言葉は激しくなった雨音にかき消された。
打ち付ける水にシグが手をかざした瞬間、目の前のその人が目を伏せた。

そして小さく唇を動かしてただ、一言。

「  、     」

その言葉は小さく雨音に消えて逝ったけれど。
水のように流れる銀、その合間から覗く空色。
全身を濡らす、灰色の空から落ちてくる水、が。

(ないているように)

正直なところ、シグには彼が何を考えているのかなんて想像もつかなかった。
もとより何も考えてなどいないのだ、自分は。
それでかまわないと自分は思っているし他人にどうこう言われても気にしないし。
ただ、目の前の彼はそうじゃないという事がわからないほど何も考えていないわけでもないのだけど。

さらに言うならわかったからといって自分にできることは何もないのだろうけど。
だけど。

「シェゾ」

シグは右手を伸ばした。
つかんだマントから水が滴る。
こちらを見下ろすシェゾに視線を合わせる前に、その手をひいた。

「濡れたままだと風邪引くよ」
「…ほっとけ」
「うちにきていいよ」
「おい」
「こっちー」
「…なんで誰も彼も人の話をきかねぇんだ」

ひっぱった彼の手が微かに震えている気がしたのは文字通り気のせいなのだろうけど。

(だけど、彼をひとりにしていてはよくないのかもしれないと、思ったんだ)
(なんとなくだけど)

じゃぶんと、水溜りを歩く足音が重なって響いた。
振り返りがてらに目に入った青い紫陽花が、同じように雨に濡れながら寄り添うように咲いていたので、綺麗だね、と呟いた。

「ぼくたちとおそろいだよ」

言えば彼は一瞬目を開いて紫陽花からシグに視線を移し。
綺麗にきれいに目を伏せた。



(そんな彼が切なげに笑ったように見えたことこそ気のせいだろうけれど)


(2007.6.16)
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花言葉 S 一家団欒、家族の結びつき
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紫陽花誕生日フリーでした。お誕生日にお持ち帰りな話(苦笑)これと怪の紫陽花月光はお持ち帰り自由です。





あきゅろす。
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