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Inferno crimson 2


「ゼロス……!?」

ゼロスの足もとが、ふらついた。
何歩かよろめき、四つん這いとなってしまう。
尋常ではないことが知れた。

「クラトスッ…!」

悲痛な叫び。

「逃げろ…! 逃げてくれッ!!」

ゼロスの肉体が、再構成を開始していく。
その顔の側面は紅い。
クラトスは息を呑んだ。
頬まで、紅い封陣が侵攻していたのだ。
網目が張り巡り、皮膚を締め上げている。
ゼロスを逃さないという、『死神』の意思表示のようにも思える。
あるべき姿に戻ろうとしているだけの過程なのに、かなりの激痛が伴っている。
青い目は見開かれ、喉からは絶叫が迸った。
クラトスは救うことすら出来ない。
指をくわえて、待っているだけ。

「逃げない、のなら……!」

声帯が変化していくのか、ゼロスの声は、はっきりとは聞き取れない。
呂律の回らない低音へと、変じている。
その最中であっても、クラトスには確かに聴認できた。
その言葉だけが空間から切り離され、鼓膜に木霊した。


──殺してくれ。


ゼロスの身体は、異体へと豹変していく。
黒衣が蠢く。
大鎌の形成時に似ているが、その比ではない。
封陣の統制が、乱雑に乱れている。
ばきばき、と。
ゼロス自身が歪な音とともに、変じていく。
全身の骨格が折れ、より太く頑丈な骨組みを構築していく。
筋肉は盛り上がり、大きく膨張していく。
黒く硬い体毛が、その上を覆っていく。
最初の顕現は、腕だ。
レザーグローブの指先部分を突き破り、現れた先鋭な凶器。
鋭く長い、ねじ曲がった鉤爪(かぎづめ)だった。

続いては、頭部。
ゼロスの鼻先が、やや前へと突き出る。
より多くの牙を揃えるための、空間確保だ。
苦痛の絶叫が、唸りへと変じる。
唇がめくれ上がった。
歯が、牙となる。
下顎部の犬歯は口腔内に収まりきらず、常に先鋭さを晒しだした。
荒い息が、渦巻く。

その後頭部からは、歪曲した対の三角錐が飛び出してくる。
骨格変形の際の、余分な部分だ。
角だ。
それらが上前方に迫り出しているのは、攻撃性を示しているからだ。

その次は、臀部。
股関節後ろから、尻尾がのた打った。
長いその先端には、十字状の刃が付いており、銀光が反射している。

最後は背中。
肉を押し上げ、生まれ出でる巨翼。
巨大な黒翼が具現した。
コウモリのような、闇色の翼だ。

そして、死神の哮吼。
ゼロスという不快な殻を破り、自らを確立できた悦びか。
それとも、破壊への期待か。
どちらも肯定だろう。
低く、大きな雄叫び。
自身の存在を主張するかのような、遠吠えでもあった。
それだけで重力の行使域が放たれているのか、空間が僅かに歪んでいる。
その風圧が吹き荒れる。
大気を震わせ、万物を戦慄させる。
ビル群の谷間に、不気味な唸りが轟く。
ハウリングは、秀でた天使の聴覚には痛かった。

「…ゼロス……」

黒衣を細切れに四散させ、現れた逞しい肉体。
漆黒の死神だった。
クラトスの二倍はあろうかという、直立する巨躯の魔獣。
まさに人型の獣。
全身は黒い剛毛に覆われ、鋼の筋肉と相まり、装甲と化している。
その肉体を彩るのは、紅い大蛇。
余すところなく、黒の体毛には封陣が絡み付いている。
血にまみれた背徳者のようであった。

青の瞳は、高い知能と狂気の光を宿している。
しかし、人語を解することはない。
意思伝達の言葉なんて、必要ないから。
凶暴性と狂暴性を窺わせる獣の唸り声だけが、音声だ。

その魔物の双眸が、クラトスを捉える。
肉食獣特有の、正面寄りの両目。
獲物を確実に仕留めるための、進化のなれ果て。
鋭い瞳孔が、天使を映し出す。
クラトスは、身を強ばらせた。
ゼロスにしては、邪々しい眼光だったのだ。
すべてを否定し嘲笑う彼の瞳が、自分に向けられる際は、慈しみを湛えているのをクラトスは知っている。
しかし、今ではゼロスの名残すらない。
狩りの獲物を、見るかのような目つきだ。
獰猛と狂気を漂わせる威圧感の中、クラトスは呟いた。

「……いや、ロイドか……」

クラトスの脳裏には鮮やかな映像が蘇る。
四千という幾星霜も前。

『彼』の姿。

不思議と、クラトスは臨戦状態を自覚していた。
これから、何が起こるかが理解できていた。

その死神は、天使をどのように認識したのだろうか。
ゼロスならば、愛しい蒼い天使だろう。
しかし、死神から好意は感じられない。
ゼロスの意思はない。
死神の視界に入るすべては、破壊の対象でしかない。
黒翼の羽ばたきが、返答だった。


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