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Blue org Y-1

『クラトスは、絶対に俺のモノにはならない…』

クラトスは闇の中、独りもがいていた。
感覚は無と化す。

何も見えない。
何も聞こえない。
何も匂わない。
何も触れない。
何も味わえない。
何も感じられない。

五感に加え、直感を司る六感すら暗黒に封じられている。
その闇を裂き、現れた何者かの手のひら。
親指の位置からして、右手だろう。
骨格により角張っていながらも、肉付きの良い五指を持っている。
『彼』か、紅い死神か。
どちらのものか、分からなかった。
分からないまま、クラトスは掴んでしまった。
ただ理解できたのは、手の甲に刻まれた紅い封陣だけだった。
そこで、夢は途切れ去った。

重なる面影。
拒絶したい、幻影。


◇◇◇◇◇


クラトスは自覚する。
意識が地上に戻った。
久方ぶりの感覚だ。
不定形のまどろみから、意識を起こした。
浮遊感を覚えながらも、自我を認識する。
全身体の感覚が、自らに適応していく。
それは、何という不快感だろうか。
幾度となる生の再認識。
死を渇望しつつも、それが叶ったことは一度もない。
しかし、この忌々しい肉体は死を拒絶する。
瞬時に傷は再生し、不帰から突き飛ばす。
致死相応の重傷であろうとも、目敏く治癒しようとする。
自らの蒼い封陣が、死後への導きを阻む。
高等な治癒能力を所有する天使という種族も相まって、死からは程遠い存在となる。
舌を噛みきり、死ねるわけもない。
自殺すら出来ない者。
紅い死神は、そのような自分に死を与えてくれなかった。
彼には可能だ。
理不尽ながらも、生を無理に押しつけられた。
自身の死を拒むのは、自身の肉体。
そして、彼らの愛情。
出来ないにせよ、自刃には踏み切れない。
いつも『成り損ね』だ。

先の夢の手は、一体どちらの者であったか…。
自らの生を望んだ『彼』か。
それとも、自らへ狂愛を注ぐ紅い死神か。

「…私、は…」

──誰を愛している?
迷いがあるということは、選択肢があるということでもある。
迷う必要があるか。
『彼』以外に心惹かれるなど……。
あってはならない。

深層心理に潜む朧気(おぼろげ)な思考は、外界からの刺激により、途切れた。
視界が開けたのだ。
真っ暗から真っ白へと。
焦点を紡いだ双眸は、外界を映し出す。
見覚えのある、真っ白な天井。

目が痛い。
鳶色の瞳孔が縮こまる。
瞼が眼球を匿った。
視界が絞られる。
目映い光源に晒され、レンズの絞り込みが間に合わなかったのだろう。
クラトスは上半身を起こそうとしたが、それは成し遂げられなかった。

「……ッぅ!!」

クラトスは激しく表情を歪めた。
自らの身を抱きすくめ、悶絶する。
全身を一気に駆け巡ったのは、激痛だ。
身体を余すことなく、痛覚が這い回ったのだ。
特に、背中が感覚に強く訴え出る。
不完治の傷口に深手を強いられたのだ。
また、両手足の関節も激しく痛む。
小さいために、一点的に集中した激痛が絶えず貫いているかのようだ。
当然の反応だった。
そもそも、何故そうなったのか。

──途端、鮮麗に蘇るのは、紅い死神との戦い。

「死神に劣るなど…堕ちたものだ…」

嘆息は悲嘆ではない。
憎悪なのだ。
クラトスの表情は苦い。
自分は負けた。
無にしたい事実。
あろうことか、自負心のある剣技で敗北したのだ。
死神に屈伏させられ、あまつさえ犯された。
自由を奪われ、何度も何度も性交を強要された。
自身の最奥に精液を叩き付けられ、射精を強制された。
『彼』しか受け入れたことのない、この身体。
『彼』のためだけに在る、身体。
それを奪い、蹂躙した。
手ひどい辱め。
内部から銃弾が貫通した傷口も、疼く。
最もの屈辱は自らだ。
それに興じてしまった。
浅ましい嬌声を発し、乱れてしまった。
互いの心を用いない性交に、溺れてしまうなど。
腰部の鈍痛は、確かなるその証。
否定しようもない、汚れた現実。
同時にわき起こるのは、激痛に勝る憎しみ。
紅い死神への憎悪が、たぎる。
無意識の内、拳を握り締めていた。
甲の血管は浮き出て、内は血が滲むほどに。

ならば、ここは憎き死神の床(とこ)ではないか。
口付けを施された、不快の根元。
気付いたら、自身はフォトンを召喚していた。
それで眼前の死神を滅ぼそうとしていた。
殺意に我を忘れてしまうなど、初だった。
連鎖的に思い出てくる、記憶の断片。
死神への執着の具現体であろうか──。
それとも──。

とにかく、ここから逃げ出さなくては。
理性が下した判断ではなく、本能が逃避を決定する。
クラトスは、自身を包むシーツを跳ね上げた。

「これ、は…」

クラトスは息を呑む。
自分の身体状態が、明らかとなる。
自身は全裸であった。
シーツの下の自らの肉体は、生誕の状態だ。
戦闘の傷跡が、あまりに生々しかった。
傷の処置が施されているとはいえ、消毒のみなのだ。
すべてが丸出しだ。
深手は跡を残しながらも、多くは完治の兆しを見せている。
薄桃色の細胞が、傷口から盛り上がっている。
片側の胸部には、新たな果実が実っていた。
死神に呑まれた、自らの片乳首は再生済みだ。
他器官の再生よりも、オスには不要である授乳器官を優先している。
淫らな刺激を欲する、自らの身体を表しているかのようだ。
また、一番の重傷である背中は自身では認知できないが、相当な損害を被っているはず。
痛みが、尋常ではない。
灼けるような感覚。
接する大気すら、痛い。

二の腕部と大腿部の封陣が、脈動しているのが分かる。
蒼穹が、ぼんやりと明滅している。
その場所は潜熱しており、心地良い温かさを提供する。
再生への胎動だ。
またもや、天使から死を取り上げ、手の届かない場所に保管していた。

しかし、それらが驚愕の理由ではない。
別にあった。
自らの脚部に、鳶色の双眸は釘付けだ。
左足は戒められていた。
それは、白銀製の簡素な拘束具だ。

鉄輪は足首を捕らえ、鎖によって繋がれている。
鎖はベッドの足に固定されているのか。
長さに関しては、ある程度の余裕と自由が許されているようだ。
無論、ただの拘束具ではない。
天使の召喚に耐えうる地上の金属など、ありはしない。
ましてや、相当量の光熱を帯びるフォトンなど。
一戦交えた死神ならば、熟知している。

鉄輪の部分に紅い紋様。
あの死神の封陣が刻まれていた。
死神の能力のほんの一部を、召喚し続けている。
常時、かの死神に囚われているということ。
腕力ですら勝てないのに、体力もかなり低下している状態だ。
脱出は不可能だ。
白銀の拘束は、自らの足首を掴む手に思えてきてしまう。

あの嗤いが、離れない。
全てを否定し、嘲笑する、乾いた笑み。
ゼロスが、クラトスを逃がさないという意思の表れ。
まさか、その嗤いが今まさに現実になろうとは。
対死神の感覚が、顕著に発達したのだろうか。
寝室に接近してくる気配を察する。
該当人物は一人しかいない。
クラトスはシーツで下肢を覆い、身構えた。

「グッドなモーニングだねぇ、片想いな純情天使サマ」

扉の隙間から現れたのは、案の定、紅い死神。
本日は仕事が久々のオフに加え、今は昼時だからなのだろう。
ゼロスは、黒のタンクトップに、ゆったりとした白のズボンを着用していた。
三つ編みは下ろされ、ゆるやか頭髪が肩に流れている。
あの夜とは違う、ラフな服装だ。
しかし、闇で暗躍する死神を否定は出来ない。
ノースリーブだからこそ、死神の証が見える。
紅い大蛇が、その肉体に巻き付いているかのようだ。
右の紅斑は、腕全体を支配している。
内に大鎌を構成する要素である、封陣。
その身には、多々の古い傷跡が点在している。
真新しい傷跡は、一切見られない。
完治していた。
それがまた、クラトスには忌々しい。

ゼロスは小馬鹿にしたようなへらへらとした表情を浮かべているが、これは表面上だ。
裏面には、残虐な本性が潜んでいる。
まったく隙がない。
刺青のその右腕で、天使をくびり殺すことだって可能だ。
ただ、しないだけだ。
殺しては、何の意味もない。

「一戦後の目覚めの気分は、どう?」

ゼロスは、天使の許された領域に近付いていく。
真っ白のシーツを蓄える、人工物の寝床に。
その嘲笑は、クラトスを的確に捕らえている。
おぞましい存在。

クラトスは、憎悪と自尊心を保とうとする。
ゼロスの歩みは止まらないのだ。
極上の美を前にして、死神の我慢は脆い。
その彼は、先の発言を撤回してしまう。

「あ、違うか。激しいセックス後のお目覚めの気分は?」

そして、停止。
ゼロスは右手を伸ばし、ベッド上の人物の頬に触れてくる。
クラトスは、その相手を睨み付ける。
紅い刺青は、この死神の証でもある。
それを以て自らに触れるなど、嫌悪感でしかない。

「…触るな、と言っている」

ぱちんと、肌と肌がぶつかる乾いた音。
クラトスは紅い手を払った。
拒絶の意思が、行動となって表れたのだ。
すると、意外にもゼロスはあっさりと引いた。
天使の不興を買うことすら、余興のようだ。

「つれないねぇ。…まぁ、いいか」

ひとつだけ、嘆息。
ゼロスは肩をすくめた。
習慣として染み着いた癖は、あまりに人間味を帯びている。
死神という種族としては、似つかわしい性質。
気持ちの切り替えも、早い。

ゼロスは、クラトスの耳朶にそっと囁く。

「アンアン鳴いて善がっていたもんねぇ、淫乱天使なクラトスは〜」

「……ッ」

「天使って生き物はアレか? 外は純心そうなクセして、実は中は性欲まみれで快楽主義な堕落生物か?」

「…」

「それとも、アンタだけが異常なのか?」

「……」

「片想いぶって、本当は突っ込んでくれる男なら誰でもイイのか?」

「…違う」

「ハッ。『彼』も、とんだ尻軽天使を好きになったもんだな」

「…やめろ」

「『彼』ってヤツは、よほどタラシだったんだな〜。どーせ、アンタだって、遊び相手の──」

「『彼』への侮辱だけは、やめろッ!」

フォトンを召喚。
天使の周囲に光の乱舞が生じた。
瞬間的な怒りを前にしては、理性など意味を成し得なかった。

一瞬の内に、クラトスの右手内にブレードが形成された。
そのまま、憎悪と恥辱を孕む憤怒に身を任せた。
安易な挑発に乗ってしまったと後悔しながらも、止まらなかった。
自らの意思は、憎しみに惜しみない。
また、『彼』に対する雑言など、耐えられない。


断ち切りたかった。
この死神を殺せば、源であるその口を封じることが出来るのだ。
また、浅ましい交わりも否定することが出来る。
衝動の赴くまま、獣性剥き出しのクラトスは、フォトンを叩き付けた。

「…今のアンタに、俺は絶対に殺せない」

フォトンは、ふたつの力の狭間で拮抗していた。
正確には、急激な停止をかけられていた。

ゼロスはフォトンを鷲掴みにしていたのだ。
死神の片手の内に、蒼光の刃が収められる。
白煙と低音の唸りを上げ、フォトンは阻まれていた。
高熱に直接触れるなど、正気沙汰ではない。
クラトスが押し込んでも、フォトンはまったく動きもしない。
ゼロスは冷たい表情で蒼光を握り、天使を見下ろしている。
氷柱でも握り締めているかのような感覚だろうか。
いや、蒼光は確かに高熱を持っている。
熱により、大気が揺らめいている。

死神の五指が、強く締められる。
すると、フォトンが折れた。
フォトンは状態維持が保てなくなると、再形成も不可能だ。
光の粒子は拡散し、散々となる。
そして、光子たちは大気中に消えた。
クラトスは、歯を食いしばる。
悔しいが、実力の差を思い知らされる。
身体が正常であるならば、この程度の死神など八つ裂きにしてやるというのに。


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