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「今日花火大会があるんだって」


土曜日の夕方、これから夕飯を作ろうかなと腰を上げた時だった。

俺を見上げる浅尾さんの目はキラキラと輝いていた。


―――なつまつり


彼がその先に言おうとしていることは表情を見たら分かる。
行きたいんだろう、その花火大会とやらに。

生憎、花火大会があること自体をたった今知ったくらい俺はそう言うイベントごとに興味が持てない人間だ。

「人込みが苦手なんで…」と答えた俺に彼は屈託のない笑顔で「俺がいるから大丈夫」と見当違いな台詞を吐いて見事に俺の逃げ道を奪った。


「…じゃあ浅尾さん浴衣着てくださいよ。そしたら行く」

「分かった。一旦帰って着替えて来るね。待ち合わせは会場で良いかな?」

「え、うそ、待って待って。冗談なんだけど。てか浴衣持ってんの?」


動揺する俺の質問に当然のように頷く浅尾さん。
俺の苦し紛れの抵抗も通用せず、結局その花火大会とやらに行くことになってしまった。


***


待ち合わせ場所のコンビニの前。
既に溢れている人の数にげんなりして早くも帰りたい衝動に駆られていたら、浴衣に着替えた浅尾さんがやって来た。

柔らかな黒地の浴衣に、やや低い位置で締められたグレーの帯。
透き通るような白い肌のコントラストと、明るすぎない茶色の髪が見事に合っていてその姿に一瞬見惚れてしまう。


「紘夢くん?」

「っ…………ずるい……かっこよすぎ……」


今の姿の彼を見てそう呟かずには居られなかった。

「ありがとう」と花が咲いたような笑顔を向けられ俺の方が照れてしまう。
赤くなった顔を悟られないように視線を逸らしたまま「行きましょうか」と声を掛けて歩き出す。

突っ込まれたら夕陽のせいにすれば良い。
そう考えている俺を見て浅尾さんがくすりと笑いを漏らしていたことには気付かなかった。


出店が並ぶ通りに近付くにつれて人の量が増していく。
祭りなんていつ振りだろうと思い返しながら浴衣姿ではしゃぐ子供や恋人達に目を向ける。

その中の誰よりも浅尾さんの浴衣姿が似合ってると思ってしまうのは俺が彼の恋人だからだろうか。
横目で浅尾さんを見ながら、何だかこう言うのも悪くないかも知れないなと思った。

人混みに対する嫌悪感はいつの間にか消えていた。


「へー最近はこんなのまであるんですね」

「子どもの頃は射的とかよくやってたなー。懐かしい」

「腹減った!浅尾さんっ俺たこ焼き食べたい!」

「あー見てたら色々食べたくなる…!ね、浅尾さん。色んなの買って半分こしない?」


ってな感じで誘ってくれた浅尾さんよりもはしゃいじゃっている俺。

今は人混みから少し外れた道べりに座って、膝の上にたこ焼きを置いた状態でフランクフルトを食べている。
浅尾さんはレモン味のかき氷を持ってる、けど殆ど食べてない。


「食べないんですか?」

「うん?食べたい?」

「…そうじゃなくて。いや、確かに俺が食べたいって言ったけど」

「うん。だからほら、あーん」

「えっ…!」


にこにこしながらかき氷を乗せたスプーンを口元に運んできた浅尾さんにドキっとする。
周囲へ視線をやったら幸い誰も見ていなかったので、どうしようと思いながらもその隙にとばかりに差し出されたそれをパクっと口に含んだ。

「美味しい?」と聞かれたので赤い顔のままこくんと頷く。
それを見て彼は満足そうに笑っていた。

照れ隠しに食べ掛けだったフランクフルトを一口囓る。
口の中にかき氷の冷たさが残っていたからか、それとフランクフルトの温かさが混ざって何とも言えない感覚が口の中に広がった。

浅尾さんは今ので本当に満足したらしい。
嬉しそうにかき氷を食べ始めた彼を横目に見ながら気付かれないように溜息を吐く。

ただでさえ普段と違うシチュエーションでドキドキしてんのにそんなことされたら心臓が壊れるって。
今の、誰にも見られてないと良いけど。

考えながら食べ進めていく内に気付いたらなくなっていたフランクフルト。
あ、浅尾さんにあげてないやと申し訳なく思っていたら不意に浅尾さんに名前を呼ばれた。
横を向いたら彼の手がこちらに向かって伸びて来ていて。

口元に触れた指。
その指が彼の口元に持っていかれる。


「付いてたよ。ケチャップ」


ふっと笑ってから浅尾さんがケチャップの付いた指を舐めた。
その行動と含みのある笑みのせいで顔から火が噴き出る。


「はは。真っ赤。暗くても分かるね」

「っ……浅尾さんが……恥ずかしいことするから…」

「恥ずかしかったんだ?」


そんなの、恥ずかしいに決まってんじゃん。

こくんと頷いた俺を見て何を思ったのか。
浅尾さんは手にしていたかき氷のカップを彼の右側に置くとぐっと俺の方に身を寄せて来た。


「あっ浅尾さんっ?」

「かわいい、紘夢くん」

「っ……な、に……言って……」

「浴衣着た俺見て照れてたり、子どもみたいにはしゃいでたり、今みたいに口の端にケチャップ付けてたり。もう、ここに来てからずっと紘夢くんが可愛くて仕方なかったんだよ」


浅尾さんの柔らかな笑顔が祭り特有の橙の灯に照らされる。
それは暗がりの中で一際美しく輝く向日葵のようだった。


「紘夢くん」

「あ、浅尾さんっ……ひ、人居るから…こんな近付いてたら…怪しまれ…」

「誰も見てないよ。紘夢くんを見てるのは俺だけ。俺を見てるのも紘夢くんだけ」


真っ直ぐな目に見つめられて言葉が出てこなかった。

このままじゃ駄目だと思うのに動けない。
その間もどくどくと煩いくらいに鳴っている俺の心臓。
どうしようと考えながら視線をうろつかせていたら浅尾さんの顔がゆっくりと近付いて来た。

え、うそ……待って、キスする気…!?

流石にそれは不味いと思って焦った声で彼の名を呼んだ時だった。


「ーーーっ!」


笛の音が聞こえたその後、大輪の花火が夏の夜空を覆い尽くした。

次々と上がる花火は手を伸ばせば届きそうなくらいに近くてその迫力に目を奪われる。
部屋で音だけを聞くことはあってもこんなに間近で見るのは久し振りで思わず「すげえ…」と呟いていた。

不意に浅尾さんの手が俺の手に触れ花火に奪われていた意識が彼に向く。


「綺麗だね」

「っ…はい…!」


大きく頷いた俺に浅尾さんは優しく微笑んで、そっと俺の手を握った。
恥ずかしくて擽ったくて仕方なかったけど、それと同時に途方もない愛しさが込み上げて来て、俺も彼に負けないくらいの笑顔でその手を握り返した。

再び空を見上げた俺の耳元で彼が「本当に綺麗…」と囁く。
何でか今日はその言葉が何に対して言われたものなのかを理解してしまって。


「浅尾さんの方が綺麗だよ…」


横を向いてそう囁いた後、そっと彼に口付けた。

その瞬間から花火の音はBGMと化す。
お互いに見つめ合ったままの状態で時が止まってしまったかのようだった。

花火がインターバルに入り辺りが静かになった所でふと我に返る。


「浅尾さん……今日は誘ってくれてありがとう。浴衣姿の浅尾さん見れたし、祭自体も思ってたよりも大分楽しかったから来て良かった」

「そう言って貰えて良かった。俺も紘夢くんと来れて嬉しかったよ」

「うん。俺も、浅尾さんと来たから楽しかったんだと思う」

「紘夢くん……ありがとう」


そう言って浅尾さんが本当に嬉しそうに笑うから俺まで嬉しくなる。
本当に、浅尾さんと来れて良かったと心から思った。


「またこうやって、一緒に花火が見れたら良いですね」

「……見れたら、じゃなくて……来年も再来年もその先もずっと、一緒に見よう」


え……

繋いでいた手を強く握られる。
俺を見つめるその表情は真剣そのもので。


「ずっと、ずっと一緒にいようね、紘夢くん」


彼は驚きと喜びで固まる俺の耳元に口を寄せ「愛してるよ」と囁いた。

その瞬間、再び空に打ち上げられた花火。

人々の視線が上を向く。
今なら、誰も俺達に気付かないだろう。

花火の音と湧き起こる歓声を耳にしながら、俺達は二度目のキスをした。




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あきゅろす。
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