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終わらない、鬼ごっこ。






追跡的デッドライン






「ッ、はぁ…はぁ…ッは…Shit!!」



有り得ない。
どうして俺が、こんな目に。



ぺたりぺたりという足音と、呼吸の音だけが静観な住宅街の中に響き渡る。
固いアスファルトで傷だらけになった足が時折ずきずきと痛んだが、構ってはいられない。
伊達政宗は、走っていた。
街灯だけがぽつりぽつりと浮かぶ闇の中、何処へ行く訳でもなく、ひたすらに。
否、もしかしたら行く先は『アイツ』が知っているのかも知れない。
ただ、それを聞く事は、酷く遠慮したかった。
むしろ、これ以上関わりたくないのだ。



「…っ…はぁ…」



半ば転がり込むようにして、路地裏に飛び込む。
閉鎖された空間に、荒い呼吸の音が木霊した。
ぴったりと壁に張り付いて、今迄走っていた大通りを覗き込む。
街灯だけが煌々と輝く広い路地には、人どころか、野良犬一匹いなかった。
ずるずると、安堵のせいで重みを増した躯が崩れ落ちる。
背中越しに感じる冷たいコンクリートの感触が、汗でぴったりと張り付いた服越しに、やけにリアルに伝わった。



「流石に、ここまでくれば…ッ」



荒い呼吸を落ち着けようと、思い切り深呼吸した時だった。



「此処までくれば、何でしょう?」



思わず、そのまま呼吸が止まる。
違和感を感じ目線を上にやると、白く筋張った指が、額に張り付いた前髪を慈しむように弄んでいた。



「ふふ、そんなに息を切らせて…お疲れ様です」



にっこり。
恐る恐る首を捻れば、すぐ真横で笑う、顔。



「ッ、あぁああぁ!!!!」



絶叫は、遅れてやってきた。











──…そもそもの始まりは、一時間前に遡る。



「今晩和、独眼竜」



そう言って唐突に、男は彼の前に姿を現した。
とは謂っても、何もない所から急に湧き出てきた訳ではない。
インターホンを押して政宗が玄関の扉を開けるまで行儀よく待ち、ごくごく普通の来訪客と同じようにして現れたのだ。



夜中の、二時に。



「今晩和、独眼竜」



男は、再度繰り返す。
政宗は、形の良い眉を、心の底から思い切り潜めた。
何だ、独眼竜って。
第一こんな時間に訪ねてくるなんて、非常識にも程がある。
彼は不機嫌も露わに、玄関先でにっこりと笑う、常識知らずの男を睨みつけた。



「何だ、アンタ」

「私は明智光秀と申します」



明智は長く美しい銀色の髪をさらりと揺らし、まるで貴族か何かのように、胸に手を当て深々と礼をした。
普通に行えば滑稽なだけのこの行動も、酷く整った顔立ちのこの男だと、何の違和感もないから不思議だ。
そんじょそこらの女ならばそれだけで頬を染めるであろう微笑みで、彼は跪き、政宗の手を取る。
青白くほっそりとした手は、見た目以上に冷たい。
何を、と言う前に、明智は至極恭しい動作で、己の掌に乗せた政宗の手の甲に、そっと口付けを落とした。



──…冷たい。



「な…ッにしやがる…!」



咄嗟の事で反応が遅れた政宗は、触れた唇の冷たさに、我を取り戻す。
手を払いのけ、数歩後退る。
男はゆらりと体を起こすと、やはり見取れそうな程に美しい微笑みを浮かべる。
その明智の長い前髪の間から覗く金色の瞳が、一瞬、妖しく揺らめいた気がした。
ざわり。肌が粟立つ。



「嗚呼…申し訳ありません…つい、ね」



男の態度は、何処までも紳士的だ。
だがしかし、たった一瞬だったが、あの眼。
コイツは、危険だ。
全神経が警告している。
真夜中の訪問者であるからだとか、いきなりあんな事をしでかすような男であるからだとか、そんな問題ではない。



本能が、この男の危険を知らせていた。



「独眼竜?」



明智の、青白い唇から、ちろりと、長い舌が見えた。



それが引き金となったかのように、政宗は力一杯男を突き飛ばす。
一刻も早く、自分の側からこの男を除外しなければならない、そんな気がした。
身長こそ政宗より高いものの、細身である明智は、思ったよりも簡単に扉の外に弾き出された。
間髪与えず、ドアノブを掴んで乱暴にドアを引く。
夜中だから近所迷惑だとか、そんな事は考えていられなかった。
ドアノブを掴んだまま、急いで鍵とチェーンをかける。
こんな時ばかり、無駄に焦って指が震え、なかなか上手くチェーンがかからない。
奮闘の末、漸く、かちん、と小気味よい音を立てて、手応えと共にドアのロックが完了した。



「……っはぁ…」



気付けば、背中はじっとりと汗ばんでいた。
溜息を吐き出しながら、政宗はへなへなとその場に崩れ落ちる。
何故こんなにも憔悴しきっているのか、自分でもわからなかった。
ただ、兎角これで安心出来る。
今度からは得体の知れない客人には、易く応答しないようにしようと心に決め、立ち上がった時だった。






「酷いなぁ、突き飛ばすだなんて」






冷水を浴びせかけられたようだった。
全身が心臓になったかのように、どくりどくりと脈打つ。
恐る恐る、後ろを振り向く。
開け放たれた窓。
揺れるカーテン。



窓際で微笑む、白い、男。



そこから先は、無我夢中だった。
締めたばかりの鍵とチェーンを開け、力任せにドアを押し開け、靴も履かずに飛び出して。
ひたすら、ただひたすらに走った。
何故だかはわからないが、あの男に対する政宗の恐怖は、尋常ではなく。
こうして今だに、やはり走り続けているのだ。



「Shit!!ついてくるんじゃねぇ!」

「だって、貴方は逃げるじゃないですか」



あははは。
ゆらりゆらりと、長い銀髪が揺れながら迫ってくる。
壊れたように笑い声をあげる男は、至極嬉しそうだ。
逃げている獲物を追い詰めるのが、愉しくて堪らないといった顔をしている。
それに例え難い焦燥に駆られながらも、政宗は裏口から飛び込んだビルの階段をひたすら駆け上がっていた。



「ッ……!!」



だが、遂にその階段も一枚の臙脂のドアに遮られ、終わりを告げる。
追跡者がいる以上、引き返す、という選択肢は存在しない。
政宗は半ば祈るような気持ちで、進入禁止と書かれたドアを蹴破った。



「…おやおや、行き止まりですねぇ」



そこに広がっていたのは、夜の闇の中、四角く切り取られた、コンクリートの地面。
逃げ場は、なかった。



「ふふ、せっかくの楽しい追いかけっこも、ここまでみたいですね」

「近寄るな…ッ」



じりじりと、一歩、また一歩、男が迫ってくる。
それに合わせ後退していた政宗だったが、とうとう屋上の隅まで追い詰められていた。
冷たい夜風が、強く吹き付けてくる。
一歩踏み外せば、そこは大きく口を開いた夜の闇。
明智は、にんまりと微笑んだ。



「そんなに、怯えないで下さい」



白く、痩せた両手が、喉元へ伸ばされる。
ひやりと、全身が凍りそうな冷たさが広がった。



「やっと、捕まえた」






どん。
それは、渾身の一撃だった。
大きく眼を見開いた明智に、政宗はにやりと勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
男の肩を突いた両手は、そのまま鳥のように大きく広げられた。



「じゃあな、光秀」



そうして夜は、大きな口を開く。
飛べない鳥は、堕ちていく。











衝撃に身構えた政宗は、何時までたっても襲いこないそれに疑問を感じ、うっすらと眼を開いた。
視界一杯に広がるのは、見慣れた天井。
窓から差し込む朝の光は、奇怪じみた夜の名残等微塵も感じさせず、ただ静かに目覚めの時を知らせていた。
体を起こせば、何時ものようにベッドが小さくきしりと軋む。
思わず、乾いた笑いが洩れた。






















「お早うございます、独眼竜」






















貴 方 ヲ 迎 エ ニ 来 マ シ タ
(さあ、逝きましょう)








Fin


あきゅろす。
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