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***






けたたましいサイレンの音。
それに、時折悲鳴や鳴咽が入り交じる。
道路を埋め尽くす人混みに、政宗は何故か言いようのない不安を覚えた。
人と人の間を縫って歩きながら、その最前列へと移動する。
つん、と、最早嗅ぎ慣れてしまった、何処か切なくなるような、錆びた香り。




そこには、頭部を鉄骨に押し潰された無惨な女の死体が転がっていた。



「……まさか…」



襲い来る暈眩と吐き気に耐えながらも、周囲を必死に見回す。
その時、ふいに腕を掴まれ、後ろに強く引っ張られ。
政宗は、大きくバランスを崩した。
しかし、倒れる前に、腕を掴んだ手の持ち主の胸元に、抱き抱えられるような形で支えられていた。



「お久しぶりです、逢いたかったですよ」



気付けばそこは、人混みからほんの少しだけ右に逸れた路地裏。
ぞわりと、背筋を嫌な感覚が這い上がる。
不覚にも、後ろを取られたらしい。
耳元でくすくすと笑う声は、不快以外の何物でもなかった。
姿の見えない相手は、しかし人混みの近くで、そう強行手段に出る訳にもいかない筈だ。
冷たい汗が頬を伝うのを感じながら、この状況に置いても尚、逃がすまいと、政宗は全神経を相手の挙動に集中させた。



「これもテメェの仕業か…Death」

「ええ、お気に召しましたか?今回の『物語』は」



『また』、全てこの男のシナリオ通りだったと謂うのか。
視界が、怒りで真っ赤な点滅を繰り返す。
しかし今下手に足掻けば、この男を逃がす所か、己の身を危険に曝し兼ねない。
酷く、もどかしかった。



「ふざけんじゃねぇ、人の命を弄びやがって…ッ」

「ふふ、そう怒らないで下さい…せっかくの逢瀬なのですから、愉しく…ね」



瞬間、するりと、男の長く真っ白な髪が視界に入ったかと思うと、強引に唇を塞がれる。
生暖かい感触が唇をなぞり、肌が粟立つ。
その細い腕の一体何処にそんな力があると謂うのか。
強く躯を押さえ付けられ、身動きすら取れない。



「ッん………!」



筋張った冷たい指先が、器用にワイシャツのボタンを外し始める。
衣擦れの音がする度、どんどんと血の気が引いていく気がした。
男の表情を読み取れぬが故の、暗闇の中に放り出された時にも似た、不安と恐怖。
指先は中腹程の位置で止まると、再び胸元へと戻ってきた。
直後、爪が肉に食い込む鈍い痛みに、政宗は喉奥でくぐもった悲鳴を上げた。
男の鋭い爪が、皮膚を裂き、肉を抉る。
何かの図形を描くような、機械的な動き。
幾度も幾度も、念入りに刻み込まれ、気が狂いそうな感覚が四肢を麻痺させる。
やがて、男の腕から解放された時、政宗は力無くその場に崩れ落ちていた。
じりじりと、焼け爛れたように胸が熱く、痛む。
呼吸が制限され、上手く酸素が取り込めない。
アスファルトの上で喘ぐ政宗を、表情の伺えない男は直立不動で見下ろしていた。



「ククッ…貴方の血は、相変わらず甘いですね…」



ぺろりと、血を嘗め取る動作の後、再び男の細く筋張った指先が伸ばされる。
顎をすくい上げられ、強制的に向かされたすぐ目の前には、漸く見えた、男の顔が在った。
暗く淀んだ、闇のような紫の双眸。
不健康な色の唇は政宗の血で汚れ、歪み、恍惚の色を湛えていた。
見に纏った黒衣がこの男を形作る色素の薄さを際立たせ、まるで現世とは掛け離れた存在とも思える。
そう、正に、狂気の化身。



「ククッ…そろそろ貴方の忠実な下僕達がこの臭いを嗅ぎつけてきますね…。愉しい逢瀬も、ここ迄のようだ…」

「次はねぇよ…俺は、テメェを逃がさねぇ…ッ」

「おやおや…随分と可愛らしい事をおっしゃって下さいますね…」



これは、御褒美ですよ。
そう言って、男は政宗の首筋に顔を埋めた。
ぶつり。
皮膚を突き破る音が、体内から聞こえ。
同時に、辛うじて続いていた呼吸が、止まった。
視界が、黒く塗り潰されていく。
どくりどくりと、生の証が脈打つ音だけが、最期まで響いていた。






***






「──…ね…様…政…ね様…ッ…」



遠く、呼ぶ声が聞こえた。
何故そんなにも焦っているのかはわからないが、普段取り乱す事のない彼が、こんなにも必死になっている事が、やけに可笑しかった。




「政宗様…ッ──…政宗ッ!!」

「……っ…」



重い瞼をこじ開けた先に待っていたのは、見慣れた天井と、情けない顔をした小十郎の姿だった。
覚醒しきらない頭で、一体何事かと考える。
そもそも、自分は何をしていたのだったか。



「…What?ってか、今、名前──…」



言葉を紡ぎ終えるより早く、力強い腕に抱き込まれる。
久しく感じたこの男の温度に、体内の熱が急激に上昇するのを感じた。
と、同時に、胸部に鈍い痛みが走り、政宗は思わず呻く。
小十郎の方もそれに慌てたように躯を離し、眉をしかめる政宗の顔を覗き込んだ。



「すまん!!大丈夫か!?政宗!?」

「Ah...I'm ok.俺も今思い出したぜ…」



そうだ、思い出した。
吉崎の妻の行方を追った先であの『死神』に逢い、襲われたのだ。
どうやら、殺されはしなかったらしい。
気を失っている間に運び込まれ、しっかりと手当て迄済まされていた為、嫌に現実味のある悪夢だったのかと錯覚した。
しかし、この胸の傷と、首筋の痛みは、それが紛れもない現実であった事を嫌と謂う程訴えかけてくる。
第一、この良く出来た助手が、悪夢にうなされていた位で取り乱し、『素』に戻ると謂う事は有り得ない。
本人は全く気付いていないのか、冷静さを失って慌てふためく様子は、不謹慎だが可愛いと思えなくもなかった。
しかし、思わず口許が緩みかけたその時、政宗は重大な事実に気付く。



「そうだ!!奴は!?」

「それは…」

「…あの糞野郎なら、もういなかったぜ」



小十郎とは別の声が、答を返す。
音源を振り返った政宗は、躯を強張らせた。
部屋の隅で、苛立しげに腕を組んでこちらを見ている悪友の姿を見つけたからである。
シックな色合いには不似合いな銀色が、何時もの三割増で刺々しい気がした。
元親が居る、と謂う事はつまり。



「若しかして…」

「若しかしなくても、お前を見つけて此処迄運んできたのは俺だ」



明らかに彼の周囲には不機嫌そうなオーラが漂っている。
唯でさえ満足な説明もせずに飛び出した政宗を追って、街中を走り回ったと謂うのに、それに加え恋敵と仲睦まじい所を見せ付けられれば、不機嫌になるのも無理はない。
つまり、拗ねているのだ。
これはどうご機嫌取りをしたものかと、政宗は力無い笑みを浮かべた。
しかし、肝心の小十郎はと謂うと、政宗との時間を邪魔された事が気に食わなかったのか、こちらもまた非常に不機嫌そうな顔をしていた。



「元親…何つーか、その…Thank you.」

「…何だその取ってつけたような礼は。俺はな、本気でお前を心配して…」

「わかってる…ホントに、sorry...」



珍しくしおらしい政宗に、元親は小さく溜め息をつく。
全てが丸く納まるかのように思われたその時、やはりあの男が火に油を注いだ。



「政宗様、謝る必要等ございません。政宗様の行動も把握出来ねぇようなガキに貴方を任せた俺に責任があるのですから」

「ンだと…?誰がガキだ、オッサン」

「オッサ……はっ、ガキのひがみにしか聞こえねぇなあ…」

「上等だ!!表出ろや!!今日こそ決着付けてやる!!」

「望む所だ。テメェに政宗様は渡さねぇ!!」



丸きり子供の喧嘩だ。
こうなると、本人達が飽きる迄は終わらない。
そのまま本当に表に出て行った二人を、政宗はやや呆れ気味に眺めていた。



「ったく…ホント仲良いよなアイツ等…」



しんと静まり返った部屋の中で、政宗は一人ごちる。
つきりと、胸に刻まれた傷が痛んだ。
そういえば、と、政宗はあの男の指の動きを思い出す。
否、思い出したく等ないのだが、あの動きは、確実に何かを描いていた。
彼は立ち上がると、鏡の前でおもむろに上着を脱ぎ捨てる。
白い肌に巻きつけられた包帯を、幾分申し訳ない気持ちになりながら解く。
所々に滲んだ赤が、痛々しかった。
そうして、漸く全ての覆いを失った傷跡が、その姿を現す。
そこに残されていた物に、政宗は愕然とし、同時に強い怒りを覚えた。
何時か消える傷跡。
だが、この感情を忘れる事は、ない。
否、忘れてはならないのだ。
これ以上、死神に悪戯に翻弄される憐れな生贄を、増やさない為にも。






A story has just started.

(物語は、始まったばかり)









continuation...


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