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音も立てずにナッツの袋は開いた。
オリーブオイルの透明な薄緑が伸びる皿、トマトソースが赤々と弾けた皿、その中で、乾いた砂のような塩が残る皿に、ニールはナッツを撒く。ひとつ、弾みで皿の外に転がり、それから拾って口に運んだ。

「食うか、お前も」

はじめから一人で食べるつもりはなかったはずなのに、そんな問い掛けをしてニールは皿を寄せる。
グラハムは肯定の言葉を返すが、すぐ手を伸ばすほど欲してはいない。
ニールの、ナッツを噛む固い音がやたらと響いて聞こえる。ふたりでいるのに常より静かに感じられるのは、さっきまで三人でいたからだ。
雑多なテーブルの端には、空のグラスがひとつある。ほとんど専用にあつらえられた灰皿もそばに。
その中から斜めに突き出ている、潰されなかった方の端を見ながら、グラハムはザクロ色の唇を思い出す。艶やかで、なのに透き通った唇。
見慣れているようで見慣れていない、知っているようで知らない笑みを作ったその唇は、じゃあ、また、と言い残して出て行った。
泊まっていくものと思っていたグラハムは拍子抜けして、泊まっていけばいいのにと、身内ならなおさら言いそうなニールは、しかし何も言わなかった。玄関先まで見送り、今。

「ちょっと買いすぎたかな」

赤ワインの瓶を持ち上げ半分ほど残っているのを確かめると、自身のグラスに注ぐ。

「お前は?」
「いや、いい。と言うより飲み過ぎではないか」
「大丈夫だって、いいだろ、別に」

一口、こっくりとした赤が唇の端からこぼれかけて、ニールは指先で押さえた。大丈夫なのだろうか。
グラハムはテーブルの脇に重ねていた紙ナプキンを取って渡す。

「どうだった」

唇全体にニールは紙ナプキンを当て、そのまま言う。

「また会いたくなっただろ」
「……もちろん、機会があれば是非にといった所だが」
「うん」
「私が嫌われていなければの話だ」
「そんな風に見えたかよ。すげぇ楽しそうに喋ってたじゃねぇか」

淡く移った色を一瞥し、ニールはそれをくしゃくしゃに丸めた。テーブルに寄せるついでに、2、3まとめてナッツを取る。
話題の人はそろそろタクシーでホテルに着く頃だろうか。到着の連絡が来るかもしれないニールの端末は、離れた棚の上にある。

「しかし」

もう一度グラハムは灰皿を見た。2、3の吸殻。ここにいた痕跡。

「喫煙者だとは知らなかった」
「言ってなかったか」
「ああ」

そうだっけ、とニールは言う。
グラハムは思い返す。一連の滑らかな動きを、つい見ていた。取り出す、くわえる、祈りのような手、火を点ける。淡い灯り。

「煙草の匂いを、久しぶりに嗅いだ気がする」
「たしかに、お前は、縁が遠そうだけど。……おれだって吸えるぜ」

はたとグラハムはニールへ顔を向ける。ニールは横顔を見せたまま、悠然とまたグラスを傾けた。

「……妬いているのか」
「違う」

常の、照れ隠しや突っぱねる調子はない。不機嫌な風でもない。捉えどころがない。

「そんな単純なことじゃねぇ」

どこか遠くを見ているような眼差しだった。ふたりの前に海が広がっているなら、寄せる波でなく、水平線の更に彼方を見つめているような。
ふいにニールの端末がメッセージの受信を知らせる。一息にワインを飲み干し、ニールは立ち上がった。

「着いたって」
「……そうか」

立ったままニールは返信の文言を打ち込む。うつ向いた顔に髪が落ちる。
会う前よりも対面している最中よりも、会った後の方が、かえって意識される。
よく似ていた。
かの人は煙草を吸った。
ニールは吸わない。しかし吸える。と言う。
吸っているニールは知らない。姉さんと、呼ばれているニールは今日知った。
呼ばう唇が紫煙を吐き出す度、グラハムはかえってニールが分からなくなった。

「楽しかったってさ」
「何よりだ」

ニールが顔を上げる。
グラハムの元へ歩みながら、羽織を脱ぎ落とす。グラハムはそれをじっと見ていた。
青い瞳。決して大きな瞳ではない。それを言ったらいっそグラハムの方がからかわれる。けれどその青がこぼれ落ちそうにとろとろとしている時があるので、見つめていたら近付き過ぎて、どうしようもなくなってキスをした、それが最初だった。
そしてもう何度目か知れない口付けを、ニールの方からする。
柔らかく、濡れていた。
ゆっくりと離し、ニールは額を寄せる。
確かに見初めたその瞳は、この世に唯一のものではなかった。

「おれさ、例えばお前の気がライルに向いても、構わないと思ってたんだ」

そっちの方が良いとすら思ってた。
ニールは悲しいとも寂しいとも付かない顔をする。そしてグラハムがもう一度確かめようとする前に、その首元に顔をうずめた。はぐらかす、のではない。縋る子供のような切実さを、どこかに纏って。
けど、と小さな声で言う。

「お前が大事だって気付いたんだ」

好きとも愛しているとも違う言葉を贈られるのは初めてだった。

「悔しい」

そう、口にするニールを、グラハムは抱きとめる。知った体温、体の線、骨の感触があった。初めて触れた時の緊張を思い出して、或いはその時よりも慎重になって、しかしずっと、確かに触れる。









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