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※「Plaudite, acta est fabula」「Echo」シリーズ



ヘルメットを外した弾みで汗が飛ぶ。
冷たくも感じる新鮮な空気が肌に触れ、ルイスははぁっと息を吐いた。
無事、隊の訓練が終わった。
早鐘を打ち続けていた心臓を宥めるように息を吸い、膝に力を入れる。まだどこか宙に浮いているような感覚があるが、収まるのを待つものでもなく、待ってもいられない。コクピットを出、ルイスは歩き出す。
降機後、一度集合の指示を受けている。
指定場所には既に3人集まっていたが、最後に着艦した隊長達はまだ来ていない。
ルイスに気付いた一人が労いの言葉をかけ、ルイスは最小限の言葉で返す。先輩格の彼らは多少の疲れこそ見えるが、さすが涼しい顔をしていた。ルイスは後ろの方へ寄り、いまだ滴る汗を隠すように拭う。
訓練の後はいつも複雑だ。疲労と、安堵と、残る興奮と、反省と、実感と、焦燥と。ただ満足は常にない。どうした所で未熟さばかり目について、もっとと思う。いや、きっと、本当に充足を感じるのは「その時」だけだ。「その時」に向かって、螺旋階段を息を切らして昇るのが訓練だった。螺旋の中心軸こそ虚無でも、辿り着く先は必ずある。
幾度目かの深呼吸をしてルイスは顔を上げた。この後のスケジュールを思い返す。訓練の反省と、確か戦術の座学と。

「おい、あそこ」

ふと、前方にいた一人が隣の仲間を小突いたのが視界に入る。駐機場の奥を見ていた。普段なら必ずしも関心を払わなかっただろうことに、しかし何故か引き寄せられるように、ルイスは彼らの視線の先を追った。或いは既に無意識に何かを感じていた。
機体の間を悠然と歩く、パイロットスーツ姿の人物。
照明の光を跳ね返して揺れる金色の髪が、かえってその下、顔の半分を覆った面の暗さを引き立てる。
ミスター・ブシドー。グラハム・エーカー。
名は聞いていたその人を、ルイスが見かけるのは初めてだった。あれが、と思う。
真っ直ぐ伸びた背筋と前を見据えた横顔。すべての人目を引き付けるだろう存在感と、同時に誰も近寄りがたい雰囲気を纏っていた。後ろを技術官が追って歩いているが、それも気を遣っているのか困っているのか気圧されているのか、やけに小さく見える。
ヘルメットを抱えている所からして、これから飛ぶのだろう。たった一人で。
前方にいた一人がふん、と鼻を鳴らす。

「連合軍に参加しないでガンダムと戦って、連邦軍ができれば今度はワンマンアーミーだと」

感情を隠さない、ひりひりとした口調で言う。隣にいたもう一人がそれに皮肉っぽく応じる。

「まぁそれだけの実力と戦果があってこそだな」
「つっても組織ってもんでよ」
「ユニオンの連中に聞かれると面倒だぞ」

実際耳に入ったらしい、ルイスの近くにいた旧ユニオン出身のひとりが厳しい目を向ける。連邦軍設立からまだ間も無い。軋轢や派閥は依然として存在し、ふとした拍子に浮かび上がる。
感情の入り交じるその中で、ルイスはじっとグラハム・エーカーを見た。
旧軍のわだかまりから外れているルイスにとって、グラハムについて一番に想起することは、まさにガンダムをひとりで討った人物だ、と言うことだ。ユニオンのエースでもオーバーフラッグス隊隊長でもなく。
ガンダムを斃した人。おそらく、軍内でも稀有だろう、ひとりでガンダムを斃し得る人。
率直にそれはルイスの希望と重なる。だから、グラハムの存在はルイスには前向きに受け止められるのだった。
どんな訓練を、経験を積んで、どんな積み重ねで、ここにいるのだろうと思う。
しかし纏う雰囲気が独特だ。恐らく面だけのせいではない。堂々と、自尊心は感じるが、その経歴を誇っている風でもなく。もっと英雄然としていてもいいと思った。しかし違う。ただストイックなだけなのか。
グラハムは視線を注がれていることに気付かず、いや注目それ自体がどうでもいいのか、ついぞ前を見ていた。技術官も引かせ、両手でヘルメットを持ち上げる。何百、何千と繰り返してきたと思われる、無駄のない所作で被る。
金色の髪も覆われ、日没のように暗く沈んだ、そのシルエットに角が立つ。
ルイスは思わず息を飲む。
知っている。記憶の中の、かつて日本で見た創造物、あれは、そう。
ーーー鬼だ。

「あぁ、」

ルイスは自分の心臓を掴み出され、掲げられたかのような錯覚を覚える。そして掴み出された跡を埋めるように、胸にぞわりと沸き起こったのは、恐怖ではなく、興奮、高揚や憧憬だった。自らを肯定された気さえする。
この世に鬼がいる。人が鬼になる。
それがガンダムを狙う者の姿だ。ガンダムを追う者の心だ。ガンダムが生んだものだ。
ルイスはぐっと拳を握った。左手が軋んだ音を立てる程。
あの人も変わってしまったと、ユニオン出身者がぽつりと呟いたのも、ルイスの耳には届かない。

「全員揃ったな」

隊長が合流する。入れ替わるようにグラハムはコクピットへ消えた。




自室のモニターでは艦の外の様子が見れる。といっても宇宙航行中のため、ほとんどのカメラが暗闇を映しているが、離発着ハッチのある部分だけは、光が忙しなく往来していた。
また一点、赤い光が宇宙空間に飛び出る。ニールはそれを見つめる。行った、と思う。僚機も伴わず行くのはグラハムしかいない。
煌々としたそれが果てしない暗闇に遠ざかると共に、ニールは気が休まるのを感じた。
あれから、初対面の日から、グラハムとは目も合わせず口も効いていない。お互いに避けていると言ってもいい。グラハムは一日の大半を訓練なりモビルスーツの調整なりに費やしているが、こうして目に見えて遠くに行ってくれた方が正直な所落ち着いた。
いくらグラハムがニールの過去と関わりがあると言われても。或いはそれごと遠ざけたくなる気持ちすら、今はある。
ニールは幾度と知れない溜め息を吐く。モニターを消そうと腕を伸ばすと、ピピ、と卓上の携帯端末が鳴った。そのまま応じる。

「はぁいニール、元気にしてる?」
「ヒリング」

ふわりと遊ぶ薄緑の髪、口角のきゅっと上がった顔が目の前に現れる。ヒリング・ケア。アルマークの元にいた時からニールは世話をされてきた、と言うより構われてきた、と言った方がいいのか。何かと無邪気にヒリングは話しかけてくる。

「そろそろそっちの生活も慣れた?」
「何とも言えないな。色々勝手が分かんねぇし」
「あら、ミスターに教えて貰ったら」
「……そういうわけにも」
「うまく行ってないのね」

核心を突かれニールは思わず言葉に詰まる。ヒリングは呆れるでも案じるでもなく、紫色の瞳を瞬かせこちらを見る。

「……正直何か聞き出せる気がしない」
「諦めるには早すぎよ。彼だけが知ってることがあるはずなんだから」
「なんだってあんなやつとおれが」
「怖い顔しないでニール」

ヒリングは小さく笑い声を立てた。掴み所がない。仕草から態度から、いつも猫のようだと思う。そう言えば、と話題の毬も軽やかに転がす。

「そっちでハレヴィ准尉とは会った?」
「いや、まだだけど」
「頑張ってるみたいよ、訓練の成績も良いし。たまには会ってみたらどう?ミスターよりは話しやすいでしょ」

ルイス・ハレヴィ准尉。アルマークの元で会った、数少ない顔見知りだ。ヒリングとは対照的にずっと固い表情をしていて、過呼吸を起こしてまで訓練を続けようとしていた、その印象が強い。克服したのか。

「そのうち見かけたら声かけるよ」
「そうしてちょうだい」

ニールは頷く。確かに思い出すとルイスのことは気掛かりだ。このまま自分のことで鬱々としているより建設的な気もする。例え現実逃避らしくとも。

「そろそろリボンズの所に行かなくちゃ。じゃあね。また近い内に」
「ああ、また」

ヒリングはそう言って自分から通信を切った。相変わらず、気まぐれで繋げてきたのだろうか。
付けっぱなしになっていたモニターを今度こそ消そうと、ニールは顔を上げる。またいくつかの光が連なって出ていった。気付かぬ間にも見ぬ間にも、いつまでもそれは続く。






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