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好き、なんて久しぶりに聞いた言葉だ。子供の頃、そうまさに正しく「子供」だった頃、友人と話して以来ではないか。
誰が誰を好きで、自分はどうで。時には誰々がおれを好きだなんて、無邪気な密告を受けたこともあった。そうだ、思い出した。記憶の奥。
彼ら彼女らは今どうしているのだろうとふと思う。まだ、おれのことを、覚えているのだろうか。忘れていてほしい。仮にもし残像があったとしても、彼らの記憶の中のおれは純粋なまま、今のおれとは違う。
ガラス向こうの花壇を見つめ、目を閉じる。
日当たりの柔らかい窓際席はいつもは座らないのに、相手が先に選んでしまっていた。

「返事は熟考を要するかね」
「……そうだな」

好きだ、と、数分前にのたまった相手は、言っておきながらまるで泰然自若として、緊張や照れる素振りもなく、ゆっくりと紙コップのコーヒーを啜っている。
変なやつだな、と思う。そして美しい人間だ。美しいから美しい言葉しか吐けないのではないか、そう思わせるほど。
そんなのが、どうして、おれに。

「それで、どうしたいんだ」

目を見る。まともに人の顔を見るのはずいぶん久しぶりな気がした。

「告白してくれなくたって、セックスならしてやってもいいぜ」

あんた顔はいいしな、と本音を混ぜる。
そういう関係になれれば私も嬉しいが、と言った。素直なやつだ。

「ただ口にしたかっただけだ」
「……ふうん」

そんなものなのだろうか。よく分からないなと思う。
氷で薄まり始めた炭酸飲料を喉に通し、ストローを噛む。
やたら開放的な、床に丸まったナプキンが転がったりなんかしている、ファーストフード店は気楽でいい。
小洒落たレストランやカフェでもないここなら、突然立ち上がって出て行ったってドラマにならないだろう。
それにしても。
「好き」なんて。照れだとか喜びだとかでなく、珍しい、不思議なものに会った気分だ。そんな名前の感情もあったこと、忘れていた。

「へんなの」
「よく言われる」
「……いや、」

お前のことを言ったわけじゃないけど。でも自認のようだし訂正しないでおく。
好きとか恋とか恋人とか。その言葉に触れたのは本当に、子供の時以来だった。おかしな話だ。子供のそれこそままごとのようなものなのに。いや、子供だからこそ、侮れないのか。
思い出す。
まだ家にいた頃。
ライルに恋人が出来た。たちまちなんだか少し、ライルが遠くなった気がした。
でもそれはいじらしい疎外感でもなかった。
おれは、そう。ライルに恋人が出来たことを、友人の誰かから聞いた。本人からでなく、誰かから。そのことがずっと、胸にわだかまった。嫉妬したのだ。ライルより恋人よりその友人の方に、おれは嫉妬した。
そんな子供時代だった。それも一種の恋にまつわる話。自分が触れた唯一の話。
今思えば、おれが一番気を引きたかった相手はライルだったのかもしれない。
好きと言えばライルが好きだった。
でもそれはまた別の「好き」だって、難しい、と思ったまま、それきり、その言葉たちとは遠くなった。そうだった。思い出した。

「これほど熱烈な感情を抱いたのは君が初めてだ」

さっきからじっと見てきていた男は感慨深く言う。対峙しながら別の人間のことを考えていた、不誠実なおれに。

「……陳腐な台詞だな。その『君』は何人目だ?」
「初めてだと言った」

男の言葉を聞いているとなんだかぼんやりしてくる。舞台の中にでも入り込んだみたいだ。自分の言葉も台本のようで、思考が伴わずに口が勝手に動いている気がする。要するに、現実味がない。
男の、子供みたいな顔。これは誉め言葉だ。征服者ではなく冒険者の目をしている。

「君が好きだと思ったのだ」

ポケットから秘密の宝物を見せるように、男は懐かしい言葉を持ち出す。新しく取り扱う。おれに向ける。

「……やめてくれ、よくそう堂々と言えるな、あんた」
「照れているのかね」
「おれが照れるなんてあるかよ」
「そうだろうか」

息を飲み込むように口を閉じた。炭酸飲料の後味が広がる。
おかしい、話だ。おかしい。何もかも。
ああ、こんな時どうしたらいいなんて、昔の姿のままの、記憶のライルに訊く。ほとんどすがり付くように。
子供に戻ってしまったみたいだった。久しぶりに好きなんて聞いたから。
いいや。
もうとっくに手放していた感覚が、感性が、感情が、甦ろうとしている。
ねぇ、ニールは好きな人、いるの?
かつての友人の声が、幻の声が、聞こえる。内緒話をするように、耳元で。軽やかに、無邪気に。






あきゅろす。
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