※「Plaudite, acta est fabula」シリーズ GN-XU。文字通り、初代GN-Xに更なる改良を加えた後継機。新たな動力源を手にしたモビルスーツの、最先端を行くひとつ。そううたわれている。 もっとも、ニールは詳しいことは知らない。新しいも何も、目覚めた時から既にそういう風にあった。それだけだ。過去のことなど、知らない。 ただ、そのコクピットに座しながら、人型の腹に収まっている状況が、母の胎内の子供のようだとふと思った。 温かくも柔らかくも、そして親しみもないものに、奇妙な感傷だ。しかし意識は俯瞰する。 宇宙の中、モビルスーツの腹の中。 胎児は生命の進化をなぞるように成長し、人となるけれど。既に成人になってしまった自分達は、これから何になるのだろうか。この無機物の中で、まさか、人でないものにでも。 ピピ、と粒子量を知らせるメーターの音に、ニールは意識を戻した。軽く操縦幹を握り直す。 コクピットの中で物思いに耽るなど、そうそうできることではない。裏を返せば、それは異例の、異常な静寂が訪れた証であり。 指先を2、3動かし、ニールは通信回線を開く。有視界通信。 「准尉」 『はっ、はぁ、は…っ、うぅ、』 繋がった瞬間、荒い呼吸音が響く。 ディスプレイに映った相手は項垂れていた。呼び掛けに答えず、ただ操縦幹を握った腕を強ばらせ、激しく肩を上下させる。 自分の呼吸まで苦しくなるような錯覚を覚えながら、ニールは目を細めた。 これ以上は無理だ。 別の通信回線を開く。室内にいる、見慣れた顔が映る。 「一度帰投する」 『勝手に決めないで欲しいな』 「続けさせてもおれが従わない」 『……仕方ないね』 相手は微笑を浮かべたまま言った。 通信が切れると同時に、2機の機体制御がオートになる。ニールにはまだ自力で帰投する余裕があるというのに、念入りなことだ。それとも見せ付けか。 『っ、少、尉、』 准尉のか細い声が聞こえる。言葉の先を封じるようにしながら、ニールはできるだけ柔らかく答えた。 「休憩だ」 駆動音と共にモビルスーツが動き出す。加速のGが掛かる。黒ごめの宇宙を運ばれていく。 駐機スペースは無人だった。と言って「誰の目もない」というわけでもなかったが。 コクピットのオープンは自分で操作した。抜け出るとそのまま無重力空間を飛び、ニールは僚機の元へ向かう。閉じたままの腹部に着くと、外部コンソールからその機体に働きかけた。震動と共に、殻が割れるようにコクピットが開く。 まずヘルメットが浮いて出てきた。続いて小さなタブレットが幾つか、泡のように。 「准尉」 上部のへりを掴み、踵で着地し、ニールは展開したコクピットへ乗り上げる。座席が完全に露出するジンクスのコクピットを、この時ばかりは助かると思った。 「立てるか」 パイロットは右手で口を押さえ、項垂れたまま首を振る。立てないという意味なのか、そもそもの拒絶なのか、構わずニールは腕を取った。無重力空間は簡単に作用に従う。そっと引き寄せ、肩を抱いた。振り払われなかった。 さらうようにジンクスを離れる。 休憩室は宇宙をのぞむ全面ガラスを前に、もう片面の壁へベンチが据え付けられた、簡素な部屋だった。 准尉を座らせ、その隣にニールも腰掛ける。力ない准尉に肩を貸し、その背に手を添えた。 薬が効いてきたのか、過呼吸寸前だった呼吸は幾分落ち着いた。しかし止めどなく涙が舞う。苦しみ、痛み、不甲斐なさへの自責。薬の及ぶところではない。 嗚咽の度、金色の髪がさらさらと流れる。 「ある人物のモビルスーツの訓練に付き合ってあげて欲しい」。 グラハム・エーカーに無理に模擬戦を挑まれてからややもせず、リボンズ・アルマークはニールに指示を出した。リボンズの元にいた時はモビルスーツの操縦はおろかコクピットに座ったこともなかったのに、どういうつもりか。 嫌だと思った。乗りたくない。怖い。それに「訓練に付き合え」と言われても、ニールこそ素人だとリボンズも分かっているはずだ。 まさかまた、一方的に攻撃される的役か。それとも最悪、あいつの相手ということは。 様々考え、困惑しながらも、ニールに拒否権はない。諦観と共に向かえば、待っていたのは真新しいパイロットスーツを着た、年下の女性だった。 ルイス・ハレヴィ。これから新設される部隊に、准尉として所属する人物。そう紹介された。 しかし軍人としての経歴が長くないだろうことは、ニールにもすぐ分かった。モビルスーツの操縦にまだ、慣れていない。それどころかルイスは、本当に戦場に出られるのか、ニールにも疑わしい状態だった。 今日の訓練は6回目だ。 今までルイスが異変をきたさなかったことはない。 皮肉にもニールの方がモビルスーツを操る感覚を掴みつつある。いや、掴むと言うよりは「取り戻す」という感覚に近いのだが、怖くて封じる。 ニールはかける言葉もなく、正面を見つめた。宇宙空間をのぞむガラスに、ふたりが鏡写しになる。 眼帯を付けたひとりと、項垂れたひとり。 どちらも顔が青い。 平然を装っていても、ニール自身、コクピットを出てなお汗が止まらないし、吐き気を始め具合が悪い。 ただ彼女に比べればと思う。 いつも、荒い呼吸と呻きと嗚咽を聞く。 リボンズに訊けば、少し発作があるのだと言う。しかし、それで済むのだろうか。 「……すみません、でした」 やがて小さな呟きが落ちた。固くも弱々しかった。 「謝らなくていい」 ニールはガラスを見たまま返す。 口を押さえていた手で、ルイスは目元を拭った。ひどく荒れていた。 「情けないです、何度も、こんな」 「……責めることじゃないだろ」 「いいえ、こんなことでは、実戦にいけません」 俯いたまま、ルイスはもたれていた体を起こす。涙の粒がひとつ、ニールの眼帯の下、頬に当たった。 「こんなことでは、駄目なのに」 ニールは押し黙る。背中に添えていた手の行き場を無くす。 初めてルイスが苦しむ様を見た時。 こんな状態で乗せるのかと、思わずニールはリボンズを問い詰めた。リボンズは簡潔に、彼女の意思だよと答えた。彼女が、乗ると決めたんだ。 「……戻りましょう。もう、大丈夫です」 ルイスは立ち上がる。 本当に、それは彼女の意思だった。 何度苦しんでもやめない。過呼吸を起こしてなお、続行を望みさえする。 しかし確かめるほど、ニールは戸惑う。苦しくなる。他人を思いやる心情的に、そして、もっと、自分の内側の深い所で。 「……なんで、そこまで」 ついこぼれた言葉に、ルイスは振り返った。目が合う。 ルイスは大きな青い瞳を揺らし、ぐっと眉根を寄せた。どこかで見たことのある表情だとニールは思った。 「……少尉には、分からないと思います。分かられようとも思いません」 カシャ、とルイスの左手から音が鳴る。タブレットケースを握った拳が震えていた。 「准尉、」 「何を言われようと、たとえ何を捨てても、私は行きます」 「…っ!」 瞬間、閃光のように突き抜ける痛みがニールの頭を襲った。息を飲む。全身が一気に妙な熱を持つ。 背を向けたルイスに、誰かが重なる。金髪の背中が脳裏に描かれる。ーーーグラハム。 彼も戦闘訓練に明け暮れている。毎日毎日、まるで取り憑かれたようにモビルスーツへ向かう。ニールを置き去りにするように出て行く。その後ろ姿。ーーーいや。ーーーもっと、 頭を押さえたニールに気付かず、ルイスはドアを開けた。 「再開を。お願いします」 薄暗い通路へルイスは出て行く。ニールに止める術はない。 幻のように頭痛は過ぎ去り、体の調子を確かめながらニールは立ち上がった。 ガラスは再び宇宙だけを映す。 [グループ][ナビ] [HPリング] [管理] |