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そろそろ馴染みと言ってもいいくらい訪れているバーで、初めて漠然とカクテルを頼んだ。いつもは固有名詞で注文するグラハムが、ただ、青いカクテルをと。受けたバーテンダーは静かに頷きながら、常よりどこか張り切った顔をした。
まもなく現れたアルコールは胸のすくような青をしていて、とても好ましい色彩だった。グラハムは一口含んで、少し笑った。甘い。菓子のようにとまではいかないが、日頃口にする酒とは馴染みのない甘さをしていた。しかし決して、度数は低くない。流した喉に一瞬の熱が宿る。

「たまには冒険してみるものだな」
「気に入ってもらえましたか」
「ああ。美しいと同時に、刺激的だ」

見つめて、飲むのがやや惜しいと思いながら、しかし欲する心のままに含む。
ゆっくりと話をしていると、ふと後ろに人の気配がした。バーテンダーが視線を上げ、すぐに親しみのある笑みを浮かべる。

「こんばんは」
「こんばんは、今日も混んでるな」

背後、上から降る声にグラハムは最小限の仕草で振り向いた。
そこにいた人物と目が合う。見とめて、さして驚きもしなかった。或いは耳の端で捉えた足音で、無意識に分かっていたのかもしれない。

「よう、奇遇だな」

久しぶり、とニールが微笑む。昨日会ったばかりのような自然さで。
グラハムも示し合わせなのだろうなと妙に納得してしまって、平然と挨拶を返す。

「ああ、久しいな」
「誰かと待ち合わせか?」
「いや、ひとりだ」

ふーん、と返すニールもまたひとりで、少し辺りを窺った。やや混雑している店内は、居場所を見付けるのに煩わしい。

「色男でもほっとかれるもんなんだな」

ニールはそう悪戯に言い、隣いいかと指差したのだった。



「てっきりおふたりが待ち合わせされてるのかと」

ニールの注文をコースターの上に起きながら、バーテンダーは言った。

「いいや、偶然偶然」

そうですか、と身を引く。ちょうど、少し離れた席から呼ぶ声が掛かる。
数十センチの距離で、ニールはグラハムの手の中を覗いた。

「綺麗だな、それ」
「そうだろう、彼の素晴らしいセンスだ」
「うまいか?」
「なかなか癖になる」
「へぇ」

そういうニールは飴色の液体を口に含む。カラカラと氷が鳴った。

「いつから飲んでるんだ?」
「一時間ほど経っただろうか」
「何杯目?」
「3だ」
「じゃあ、まだまだだな」

どこまで本気かわからない笑みをニールは浮かべる。単なる冗談なのか、まだまだ、いて欲しいということなのか。

「君は仕事帰りか」
「いや、休みだった。明日も休み」
「なるほど。しかし、飲みすぎには注意した方がいい」
「まだ1杯めだっての」

通りかかった店員にニールは食事のメニュー表を頼む。

「お前もなんか食うか」
「特に空腹ではない」
「まぁあれば食うだろ」

適当につまみの類いを複数注文した。あいかわらずだとグラハムは思う。
最初の皿が出てくるか来ないかの内に、

「そうだ、この間仕事でさ」

そんな切り出しで、ニールは話し始めた。
とりとめもまとまりもなく気ままに。日常を目の前に広げて見せるように言葉を並べる。
仕事で。休日に。一昨日。先月。さっき。
グラハムは、彼を知る他の人間が見たなら驚くだろうほど、聞き役に徹していた。もちろん短い相槌だけで終わるはずもなく、あるいは聞き役にしては口数は多いのだったが、常に比して自分から話すことは少なかった。
ニールへ伝えることがあまりないと、グラハムは感じていた。思い込みだとしても思っていた。
心をとく言葉も愛を伝える言葉もふたりの間に必要無くなったのなら、以前ニールへ語るべく持っていた言葉の、5割は消えてしまった気がする。
恋人だった。数ヵ月前まで。今は、何だろう。
ニールの2杯めのアルコールが出される。

「うちの近くのパン屋あっただろ」
「あの角の」
「そう、それがこないだリニューアルしてさ。お前がよく買ってたやつ、なくなっちまった」

それがどんなものだったか、仔細にはグラハムは思い出せない。連れ立ってニールの家へ行く時にしばしば立ち寄って、朝食にと買った。その行動だけを覚えている。

「人気がないようには見えなかったんだけどな」
「利益の問題かもしれない」
「ええ」
「大幅に変わったのか」
「まあまあ新商品も増えたな。キャラメルのが、おいしい」

今も変わらず通っているのだと思うと、ニールの生活が少し見えた。
終わった恋にまつわる場所だからという理由で、ニールは避けるたちではない。現にこうして、ここに来ている。かつて待ち合わせした場所でも、出掛けた最後に立ち寄った場所でも、それよりずっと気に入りで、うまい酒があるから、変わらずニールはここに来る。
そうした気っ風の良さでなければ、元恋人に話し掛けもしないだろう。

「お前は今、付き合ってる人いるのか?」

さばさばしたたちでなければ、到底こんなことを訊けるはずがないのだ。
グラハムは少し可笑しくなりながら首を振った。

「まさか、久々に基地から出たくらいだ」
「ああ」

膨らみのないだろう返答に、しかしニールは得心したとばかりに頷いて笑った。グラハムのことなど分かりきっているのだ。空には敵わねぇよと、いつだったか、やはり笑って言ったニールだった。

「まぁその気になればすぐなんだろ、どうせ」
「どうかな、追いかける恋でなくては燃えないものだ」
「贅沢者め」

ニールは足を組み、緑のオリーブを摘まむ。口に含むと飴を転がすように少し舐める。種は抜かれてある。

「ワインにしようかな。お前は? 何ならボトルで入れるけど」
「頼むなら9割君が飲む計算でいたまえ」
「冗談冗談。何飲む?」
「私はもう十分だ。これが見た目に反してきつい」
「だろうよ」

ハウスワインを頼んだ。カリフォルニアのものが出てくる。
そのうち南部に行ってみたいとニールは言っていた。行かないまま、終わった。
そのうち誰かと行くのだろうか。それともひとりで行くのだろうか。結局行かないのだろうか。知ることもない。

「君はどうしている」
「一回付き合ったやつはいるけど、すぐ終わった」

あっけらかんとニールは言う。
グラハムはもっと広範なことを聞きたかったのだが、話の流れを鑑みるとそんな答えも当然で、言葉が足りなかったと思う。ただ、さらりと受け止めた。そうかと返す。
ニールは話題への不満も悲哀もなく、むしろどこか楽しげにグラハムを見た。

「お前と付き合った後だと苦労するぜ」
「苦労? 何を苦労する」
「思い返せば色々、まぁ理想的とまでは言ってやらねぇけど、よかったなと思って」
「そうだろうか、君は仰天したり叱咤したり、むしろ私に対して苦労していた気がするが」
「自分で言うか?」
「短所は自覚している」
「……ふふ」
「なんだね」
「そういうとこだよ」

目を細めてニールはワインをあおった。また同じものを頼む。
オリーブも空にして、他愛のない話に戻った。
友人のこと、とうとうレンジが壊れたこと、最近故郷に帰ったこと。グラハムが身の回りを知っているものだから、ニールは何事も気軽に話す。
他愛ない話、愛の他の話。
もともと話す方だが、いつに増してよく喋るとグラハムは思った。酔っているのだろうか。いや、ペースこそ早いが、酔う程にも思えない。グラハムと付き合っていたニールなら。
5杯めのグラスを置くと、ニールはそれをコースターごと奥へ押しやった。カラカラ、氷が回る。

「……水を頼もうか」
「いい、大丈夫だ」
「私が頼むからついでに」

グラハムが声を上げようとするのを遮るように、ニールはスツールを回した。膝をグラハムへ向ける。今更グラハムは、ニールがスカートを履いていたことに気付く。
なぁ、と呟くと、ニールは右手をグラハムの腿へ置いた。

「ホテル行こうぜ」

グラハムは驚いた。今夜初めて驚いた。
思わずニールの目を見れば、ニールは正気だった。正気でないふりをしていても分かる。それなりに付き合っていたのだから。
グラハムの答えを待って、滑らかに弧を描いた睫毛がまたたく。
他の誰も聞いてなどいないというのに、グラハムは憚るように声を潜めた。

「……恋人でもないというのに」

そう、事実を口にするのは初めてだったが、出したらかえって自覚することになった。もう恋人ではない、のに。ふたりの同意の上でそうなって、ニールも分かっている、のに。

「別に、いいだろ、お互いフリーだし」
「そういう問題だろうか」
「問題はないって話だよ」
「しかし、」

言い募るグラハムの思考を遮るように、ニールは指先でつとグラハムの腿を撫でた。膝の方から上へ。どこで覚えるのだろう。
グラハムはその手を掴んで止める。

「やめてくれ」
「お前もどうせ溜まってるんだろ」

グラハムの大体の生活パターンを、ニールは知っている。厄介に、弱みを握られている気分にすらなって、グラハムはやや言葉に詰まる。

「酒のせいにしようぜ」

氷の溶けきるより早く、最後にはその一言で全て封じ込めて、ニールはグラハムの腕を取った。



誘った手前なのか変に雰囲気を作らない為なのか、ニールは自分から脱いだ。
白熱灯の素っ気ない光に、僅かに上気した身体がさらされる。
裸体を目の前にしてグラハムももう、やめるという選択肢は消えた。強いアルコールをあおった時のように、身体の奥がかっとする。
正面に立ったニールが両手を伸ばす。腕が首へ絡まる。引き寄せて顔を寄せて、止めた。

「……キスは無しだな」

恋人じゃないから。そう囁く。
おかしな線引きだと、グラハムは思う。
ニールは勝ち気に目を上げて、グラハムをベッドへ引き込んだ。

裸に引かれているのかニールだから引かれているのかわからないまま、グラハムは目の前の身体を探った。
月日が開けど勝手など知ったもので、お互いもう無意識にでも相手の快感を呼び起こさせそうだった。だからかえって、グラハムの意識はどこか冷静だった。
間近になって、ニールが丁寧に化粧をしていることに気付く。
ひとり、付き合って別れたと言った。
或いは別れたばかりなのかもしれない。未練の程は知れないが、それでアルコールを求めてあのバーに来ただとか、可能性としては十分あり得る。
訊こうかと一瞬魔が差した。思い直してやめた。邪推などするものでない。嫉妬しているわけでもなかったから、なおさら。
ニールの手が屹立した自身に触れたのに、グラハムは思考を戻す。ニールは機嫌良く、いくぶん挑発的に、笑っていた。

「乗ってやろうか?」
「いや」

申し出は嬉しいが、と断りながらその脚を抱える。誘いに押し切られてただ甘えたわけではないと、妙な責任の取り方をした。
コンドームを付ける。挿入する。
吐息と共に、ニールはかつてと変わらず受け入れる。いや、記憶より少し、濡れているだろうか。
揺すった。その要所も分かっていた。

ニールとは。
嫌になって別れたのではない。今でさえも、嫌に思うところがない。
むしろどんなことも受け入れて受け入れられて、許し合えた。
どんな自分を見せても良かった。たとえばひどい痴態を曝した夜もあったものだ。
だから、嫌になったと言うよりもむしろ、きっと。受け入れすぎたのだろう。
たとえばグラハムが基地に入り浸ってもニールが当然に考えたように。たとえばニールの少しの奔放さをグラハムがそういうものなのだと受け止めたように。
そうして気づけば燃えるように熱いものはなくなっていた。満ちた日々はグラスを飲み干すように自然に終わった。
これはその、自然の延長なのだろうか。全くの別物なのだろうか。
知り尽くした身体同士、至極気持ちが良かった。恋情がなくても。愛していると言わなくても、言われなくても。
膣の収縮に合わせてグラハムは射精した。指摘通り、コンドームにはたっぷりと精液が溜まった。それでもなお、まだ吐き出したいと、己は硬度を持つ。我ながら、少し嫌気がした。
ニールは天井を見、荒い息を吐く。

「……やっぱり、身体の相性、いいな」

交わさなかった唇の中、自分の飲んだアルコールの味が、現れてたち消える。







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