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魔法使いパラレル




「もう帰ってしまうの?」

高く響く声に、足を止めざるを得なかった。玄関先、振り返ると、この屋敷の一人娘が階段を小走りに降りて来る。フリルの付いたドレスの揺れる様は劇的だったが、居疲れしていたグラハムにはあまりに過剰な演出にも見えた。

「失礼、もう随分長居をしてしまった」
「まだこれからなのに」

令嬢の弁を支えるように、階上の奥からは賑やかな声が聞こえ、時折ドッと沸く。
地域の有力者の揃った晩餐会。その一席からグラハムは逃げてきた。隙を見計らったつもりだったのに気付かれるとは、よほど目敏いのか、ここが己の屋敷ゆえ、使用人に命じて見張らせていたのか。
令嬢は両手でグラハムの袖を掴む。きっと出席者の誰より粗末なシャツなのだが、まるで気にしていない様子だった。

「朝までいたって平気よ、戻りましょう、一緒に」
「いや、私はもう十分楽しんだ」
「それでも」

熱心に言葉を並べ腕を引く。
有力者どころか、一介の労働者に過ぎないグラハムを、今宵招待したのがこの令嬢だった。令嬢は今夜の主催である資産家の一人娘で、資産家はグラハムの務め先の一番の出資者である。数ヵ月前、父親に付いて職場を訪れた折偶然グラハムを見付け、仲間によると「惚れぬいている」らしい。
直接本人に言われた訳ではないから分からないとグラハムを思うのだが、この熱心もそこから来るのだろうか。

「……恐れながら、私の立場も分かって頂きたい」

できるだけ慎重にグラハムは言った。令嬢ははっとして、グラハムを見つめる。指先に力を込め、それでも尚引き止めようかと逡巡したが、名残惜しげに離した。

「……分かったわ、ごめんなさい。……でも少し待って、馬車を遣わせるわ」

そう使用人を呼びかけるのを、グラハムは制する。

「そこまでしてもらう必要はない」
「真っ暗で怖いじゃない。危ないわ」
「慣れた道だ。心配には及ばない」
「でも」
「それに私の家の辺りに行くのには、何事かと騒ぎになってしまう」

やや軽い調子で言うと、令嬢は少し笑った。

「……グラハムさんにはもっと良い土地と、立派なお家の方が似合うわ」

蝶が舞うように壁際へ行くと、令嬢は何かを持って戻ってきた。

「せめてこれを使って」

手にしていたのはランタンだった。アンティークな装飾の付いたそれに、老齢の使用人が咎めるが、言い返して火を点けさせる。
グラハムはあまり断り続けるのもよくないと思い受け取った。

「では失礼する」
「気を付けて。おやすみなさい」


街の道路は比較的整備がされており、街灯が点々と並ぶ。区画もある程度、中心部では特に整然とし、直角に交わる道路も少なくない。
鉱山が見つかったのを皮切りに人が集まり、産業の栄えた街だった。令嬢の父親の出資先、グラハムの職場も動力工場兼発明所のような場所で、産業の一部を支えている。
人気のない、宵闇に包まれた職場の前をグラハムは通りすぎた。
明日は休みだったが、今度ここに来れば今夜のことを冷やかされる、或いは根掘り葉掘り訊かれるのは必須だ。そもそも明日の休み自体、何を思ったか勝手に入れられていたのだった。
いや、令嬢の誘いも、当初グラハムは辞退する気でいた。場違いの感と厄介事になりそうな勘と煩わしさがあったのだ。しかしなにぶんその家はグラハムの職場の出資元なものだから、面白半分の同僚どころか上長にまで、機嫌を損ねる真似はよくないと説得され、ほとんど送り込まれる形で参加したのだった。
「タダ飯だ」と背中を叩いてくれる同僚もいたが、結局あまり励ましになっていない。
確かにここ数年、あるいはこれまでの人生で最も豪勢だろう料理を見たし、確かに腹は満ちたが、グラハムの気は滅入るばかりだ。令嬢は今後もきっと、いやますますグラハムに接触してくるだろうし、どう関わっていけばいいものか。
ため息を吐きながらグラハムは大通りから路地へ入った。街灯がぐっと減り、住宅の影が夜を濃くする。
普段日が沈めば早々に帰宅するグラハムにとって、こんなに暗い夜道は久しぶりだった。どの家も静まり返り、歩くのはグラハムだけだ。
さすがにもう夜に恐怖を覚える歳でもないが、非日常的な時を過ごしていることを実感し、歩調を早めようとした、その時だった。
突然風が激しく吹いた。
呼吸を妨げるほどの勢いにグラハムは思わず顔を伏せた。ガタガタとランタンが激しく揺れる。明かりが消えはしないかと咄嗟に危惧した。慣れた道とは言え、光がないのは多少心もとない。揺らめいている灯火に目を向けた時、何故か影が覆った。
人がいた。

「ぅわっ!!」
「!」

すぐ近くで声がする。目の前に人がいた。それも風に押されたように、グラハム目掛けて倒れ込んで。
ぶつかる、と思う。息を飲む。
しかし身構えた頃にはすぐ横で固い音がした。相手が地面に転がっている。

「…っつ…ぅ……」

間一髪、どうにかグラハムを避けたらしい。地面を突っ伏したまま呻く。道は石畳で覆われており、傍目にも明らかに痛い。
今更グラハムは背筋を冷やし、ランタンを相手へ翳した。

「だ、大丈夫か?」

一歩踏み出せばぐちゃりと何かを踏んだ。反射的に怯んで見れば相手の衣服だった。足首まで覆う長さの厚いローブで、地面に凧のように広がっている。上にはフードが付いており、悶える着用者の頭を覆っていた。あまり見ない格好、しかしそれより、踏めば音が鳴るほどびしょ濡れなのにグラハムは戸惑う。
しかし相手が起き上がろうとする動作を見せたのに慌てて足を引き、呆けている場合でないと改めて寄った。

「すまない、怪我は」

相手がゆっくり身体を起こす。しかし答えず、バッと後ろを振り返った。水滴がグラハムの顔に飛ぶ。反射的に目を眇めながら追って見ると、グラハムは再び驚いた。カラスほどの大きさの、青い稲妻のようなものが宙に浮いていた。向かってきていた。速い。

「くそ、」
「なんだあれは」

ローブの人物は胸ポケットから小瓶を取り出す。稲妻に向かってそのまま投げ付け、右手を翳すと空中で瓶が割れた。一瞬で白い砂が広がる。翳した手の指を動かすと翠の光が砂を縫い、直進してきた稲妻を絡め包んだ。繭が出来上がり、操った手をぐっと握ると合わせて収縮する。そのまま潰してしまうつもりのようだった。しかし指先が手のひらに付かないままぎりぎりと手が震え、瞬間、指が跳ね返された。繭が弾ける。
舌打ちをする。

「さすがだな」

言いながら手を下から斜め上に振れた。再び現れた稲妻に、割れ落ちていた小瓶の破片が飛び突き刺さる。その隙に人物は立ち上がろうとした。そこで初めてグラハムの存在に注意がいったらしい。

「あんた危ねぇぞ!」
「……さっきのことか、今現在のことか」

グラハムはまるで理解が追い付かずにいた。立ったままいまだ中空の稲妻を茫然と見る。破片に身悶えているらしく、激しく波打っていた。

「あれは何だ、君も何だ」
「とりあえずどっか行け!」

荒々しい口調で言いながら人物が立ち上がりかける。しかしよろめいて再び膝を着いた。転んだせいかと思うとグラハムは置く訳にもいかない。

「手を、!」
「!」

口を開けた瞬間、グラハムは目映い光に視界を覆われた。稲妻が破片を振り捨て迫っていた。怒り狂ったのか、格段に速い。グラハムは息を飲む。間近になって、稲妻だと思っていた物に、形のあるのが見えた。獅子だ。青白い牙を剥く。
対抗する人物が手近にあった石を投げ付けた。翠の光と共に石は鋭く尖り獅子の脇を刺す。獅子が吠える間にグラハムは下へ強く腕を引かれ、なされるがまま腰を落とした。頭上でまた砂嵐のような音が響く。確かめようとしたが、直近で見た獅子の光が目に残り、白んでいた。

「行けつったろ!」
「視界が定まらない」
「近くで見すぎだ」

人物は恐らくさっきと同じ術を取っているのだが、今度は握り潰さずに離れた地面へ叩き付けた。足を引きずり、手を着きながらグラハムの前へ動く。

「早くしねぇと」

苛立ちを含んだ声で人物は自身のローブを探った。やはり濡れた音がする。
全く事態も現象も物体も視界としても、グラハムには何が何だか分からないが、めぼしい物がないらしく、舌打ちをした。

「そのローブ自体は使えないのか」
「使えるけど脱げねぇし」
「脱げないローブがあるのか」
「いや今は無理なんだよ」
「濡れているし重そうだ」

言うやつだな、と振り向く。と、グラハムの手元に目を止めた。

「あんたその火」
「は、」
「貸せ」

いまだ手放さずにいたランタンをほとんど奪うように取る。ようやく戻ってきた視界の中、グラハムは人物が細い棒の先を火へ入れるのを見た。貰い火をするのかと思えば、まるごと火を持っていく。それも棒自体は燃焼しておらず、浮かせるように火を纏っていた。
砂の繭を破り動き出そうとしている獅子に、人物はその先端を向ける。ふっと腕を動かすと、何かを空中へ書き付け始めた。文字なのか、炎の筆跡が刻まれる。右から左へ、そして位置を下にずらし左から右へ。
獅子がぐっと上体を下げる。駆けてくる。地鳴りのような音が響く。瞬く間に半分詰め、跳躍した。本物の獅子の大きさへ変貌する。
対抗者は書き上がった文字の上へ縦横線を重ね、ぐるりと円を描いた。結ばれた瞬間、筆跡全てから激しい炎が噴き上がる。棒を振るとそのまま獅子へ飛んでいった。
同じ速度で正面からぶつかり合う。獅子の鼻先が円環に触れると、一瞬で炎が全身に移った。青白い光と赤い炎が鮮烈に絡む。獅子は尚も進もうとした。が、上げた足を引き攣らせ立ち止まる。頭を左右に振る。咆哮を上げ悶える。
グラハムは魅入っていた。閃光と火炎が決して混じり合わず輝く。まもなく炎に完全に包み込まれると、獅子は水晶の像のように見えた。恐ろしいはずなのに美しい。
人物がグラハムの顔の前へ腕を翳す。次の瞬間、爆風のような風が吹き、獅子が弾けた。
後には橙色の火の粉が、雪さながらに舞う。

「……終わったのか?」

グラハムは人物を窺う。風でフードが飛んでおり、栗色の髪が火の粉に照らされていた。声に振り返った顔は、右目が黒く覆われている。隻眼だった。一つの青い目がグラハムを捉える。しかしそれより、青白い顔の額や唇の端から滴っている赤にグラハムは驚く。
人物は気が抜けたとばかりに腰を落とした。肩で息をする。

「終わった、けど、終わってねぇ」
「なんだその怪我は」

よく見ればローブの所々も切れ、血が滲んでいた。とても今の獅子との応酬や転倒によるものとは思えない。とりわけ足の傷が多く、視線に気付いたのかローブを寄せた。

「酷い怪我だ」
「だから転んだせいじゃねぇんだから気にしなくて良かったんだよ」

人物は呆れた声を出す。そしてはあと息を吐いた。

「あんた忘れねぇよな、今の」
「生涯覚えている自信がある」
「残念だ」
「説明の欲しいことが山とあるのだが」
「だいぶ骨が折れる」

ボッと最後の火の粉が消えた。たちまち宵闇が流れ込むように帰ってくる。これほど暗かったかという暗さで辺りを包んだ。

「しかしまずは手当てをしなければならない」
「……いや、お、れは、……でも」

荒い息に声が途切れる。だいぶ弱っているのかもしれない。気温の下がる夜中でもあるし、場所を変えた方がいいとグラハムは判断した。

「幸いもう少し行けば自宅だ。動けないような、ら、!」

人物が前のめりに体勢を崩す。咄嗟にグラハムは肩を抱いた。

「君、」
「……血」
「血?」
「出しすぎた……」

くそ、ともはや声にならない声で呟く。額から血が滴る。
グラハムの呼び掛けもどこまで聞こえたか、やがて瞼を落とした。







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